海の精霊2

 ミュウと一緒に書庫から出ると、宮殿内になにやら慌ただしい空気が流れているような気がした。


「クロ、ミュウ!」


 わたしとミュウの元に、ロゼとチコが泳いでくる。


「なにか様子がおかしいみたいだけど、なにかあったの?」


「……もしかしてママの身になにかっ!?」


「大丈夫だ、ミュウ」


 ロゼは首を横に振って、ミュウの悪い予想を否定する。


「女王の部屋に伝令が来てな。アクアフィリスの近くで、騎士団が海の精霊に襲われたらしいんだ」


「今は騎士団が食い止めているみたいですけどぉ、このままじゃあ、またアクアフィリスが襲撃されるかもってぇ……」


 ロゼとチコがわたしに意味ありげな視線を送ってくる。

 たぶん、二人はわたしに確認したいのだろう。

 海の精霊を止める手立てはどうなったのか。

 ふと、ロゼがなにか気づいたように辺りを見渡す。


「そういえばオヤカタは一緒ではないのか?」


「ああ、オヤカタくんは……」


 海の精霊を治す薬――浄化薬の錬成には、多量の胞子が必要だった。

 何度も胞子を出してくれたオヤカタくんは、げっそりと萎れきってしまったのだ。


「オ、オレに構わず行ってください……がくっ」


 そう言い残してオヤカタくんは気を失った。

 抱き起こすと「すやぁ」と穏やかな寝息を立て始めたので、大丈夫だと思う。だから、そのまま書庫に寝かせてきた。

 ロゼにそう説明すると……


「クロさん、その話からするとぉ」


 チコが期待の眼差しでわたしを見てくる。

 ロゼも、希望を得たかのような表情を浮かべている。

 そんな二人に、わたしは口の端を吊りあげてみせた。

 はたして不敵っぽく笑えているだろうか。



 わたしとミュウ、ロゼ、チコの四人でアクアフィリスを出た。

 騎士団が海の精霊に襲われたという地点に急ぐ。


「クロ、具体的にはどうする気なんだ?」


 水を切って泳ぎながら、ロゼが訊いてくる。

 浄化薬は完成した。

 ちゃんと効果があるかは、使ってみなくちゃわからないけど、大丈夫なはず。

 問題は浄化薬を海の精霊にどうやって飲ませるかだ。

 話によると、海の精霊は暴走状態。生き物を襲ってるみたいだし、大人しく薬を飲んでくれるとは考えにくい。

 なら無理やり飲んでもらうしかないんだけど……

 わたしは一度だけ遭遇した海の精霊を思い出す。

 黒くて大きな影。あの威圧感。はっきり言って、かなり怖かった。

 でも、やるしかないんだ。


「ロゼ、チコ、力を貸してくれる?」


「なにを今さら……当たり前だろう」


「そうですよぅ、クロさんのためなら……チコ、恥ずかしいけど脱ぎますよぅ」


「うん、チコは脱がなくていいよ」


「てへ、間違えました。ひと肌脱ぎますよぅ」


 なにをどう間違えたのやら。


「クロちゃんっ、ワタシはワタシはっ?」


「ミュウには、怪我人の治癒を頼みたいんだけど……いい?」


 たぶん海の精霊に襲われて負傷した人とかいるだろうし。わたしたちの誰かが怪我をする可能性もある。


「もちろんっ!」


 ミュウは胸をどんと叩いて「任せてっ」と力強く言った。うん、頼もしい。


「ロゼとチコは海の精霊の注意を引いて、わたしが薬を飲ませる隙を作って欲しい。かなり危険だけど、お願いできる?」


「ああ、任せてくれ!」


「ボッコボコにしてやりますよぉ!」


「チコ、ボッコボコにはしないで」


 そんなに傷つけたらダメなんだってば。


「薬を飲ませるのは、クロさんじゃなきゃダメなんですかぁ? チコかフォイアロートさんが戦いながら隙を見て……っていう方がぁ、クロさんに危険がないようなぁ」


「うん、わたしじゃなきゃダメ……というか、無理だと思う」


「そうなのか……クロ、理由は?」


 ロゼもチコも、わたしの身を案じてくれているみたいだ。ちょっと嬉しい。


「正確には、海の精霊に対してわたしがやるのは『薬を飲ませる』っていう行為じゃないから……かな」


「むむむぅ?」


「どういう意味だ?」


 チコとロゼが揃って首を傾げる。


「わたしがこれから海の精霊にやろうとしているのは――錬金術なんだ」


 簡潔に事実を述べてしまえば、こうなる。

 正確には違うんだけど、精霊の力を借りなければできないことではある。


「詳しい説明、聞く?」


 チコとロゼは激しく頭を横に振る。

 まぁ、今は時間もないしね。


「まだよくわからないですけどぉ……錬金術ならクロさんにしか無理っていうのは納得できましたぁ」


「自分もだ」


「真似しないでくださぁい」


「え、いや、真似とかではなくてだな……」


「みんな、あれっ!」


 ミュウが張り詰めた声で前方を指さす。

 そこでは黒く巨大な威容が、武装した人魚を蹴散らす光景が繰り広げられていた。


「急ごう……!」


 わたしはみんなに告げて、泳ぐ速度を上げる。

 まだ恐怖はある。

 けど、わたしにはみんながいる。

 だから大丈夫。

 わたしが、海の精霊を助けてみせる。

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