クロのために3

 アクアフィリスの王宮、とある一室。

 手甲を装備したチコの拳と、ロゼが振るう剣とがぶつかり合う。


「結構やるじゃないですかぁ、フォイアロートさん」


「そちらこそな、チコくん」


 互いに笑みを浮かべ、後ろに退がって距離を取る。

 チコとロゼ、仲が良くないはずの二人が一緒に訓練をしているのには理由があった。



 海の精霊に敗れ、アクアフィリスに退却した直後。チコは激しく落ち込んでいた。


「クロさんの力になれなかった……」


 用意された客間で、チコは深い溜息を吐く。

 それから自分の両手に視線を落とす。拳を握ったり開いたりを何度か繰り返した。

 海の精霊は強い。チコが人魚の身体に不慣れだったというのもあるかもしれない。だが、それ以上に。


「カンが鈍ってる」


 冒険者ギルドの事務員になってから、昔に比べて「実戦」に出る機会が減った。


「平和ボケってやつだな」


 チコはバシン、と自らの両頬を叩いた。

 いつまでも落ち込んでなどいられない。そんなものは「チコ」らしくない。


「クロさんのためにぃ、特訓です!」


 身体を動かして、少しでもカンを取り戻そう。

 そう決めた直後、客間の扉がノックされた。


「はい?」


「チコくん、少しいいだろうか」


「げ、フォイアロートさん」


 チコは露骨に嫌そうな反応をしてやる。

 正直、チコはロゼが苦手なのだ。

 愛しのクロと親しくしているのが気に入らないというのもあるし、大嫌いな貴族だからというのもある。

 だが、チコにもわかっている。ロゼはこれまでチコが接してきたような貴族たちとは違う。

 傲慢で横柄、威張り散らすだけしか能がない貴族たちとは、なにかが異なっている。

 気に入らないけど、嫌いになりきれない。かといって、仲良くする気にもなれない。だから苦手だった。


「なんの用ですかぁ?」


「まず部屋に入れてはくれないだろうか」


「はいはい、勝手にどうぞぉ」


 遠慮がちに扉が開き、ロゼが部屋に入ってくる。


「単刀直入に話す」


「は、はあ……」


 真面目くさった顔で、ロゼがチコの目を正面から見据えた。こういう所も苦手だ。


「チコくん、自分と訓練をしてはくれないだろうか」


「…………はい?」


 なんとも時宜にかなった申し出だった。


「いきなりどうしたんですかぁ?」


「自分はクロを守りたい。その思いは君だって同じだろう」


「まあ、それはそうですけどぉ」


「我々は海の精霊を相手に、手も足も出なかった」


 ロゼは口惜しげに唇を噛む。


「海の精霊をなんとかしなければならないのは、本来ならば自分の役目だというのに……それだけじゃない。自分はなにもかもクロに頼りっきりだ」


 否定はしない。チコもそう感じている。ロゼはクロに、クロの錬金術に頼っている。

 それはチコだって同じだ。出会った頃から今まで、何度となくクロに助けられてきた。

 少しだけ、この苦手な相手に共感を覚えなくもない。


「せめて、少しでもクロの助けになりたい。だからチコくん……」


「はいはい、もういいですよ。暑苦しいんですからぁ」


 チコは迷惑そうに手を振って、ロゼの台詞を遮った。


「ちょうど、チコも身体を動かそうと思っていたんですよねぇ」


「チコくん、それじゃあ」


「ええ、相手になってあげますよ」


 といった経緯で、二人は一緒に訓練をしていたのだった。

 もうどれぐらい打ち合っただろう。ふとロゼが動きを止める。


「なんですかロゼさん、降参ですか」


「違う。いや、そもそも勝負をしていたつもりはないぞ」


 チコとしては、ぶっ倒すつもり満々だったのだが。


「なにか、外が騒がしくないか」


「あぁ、言われてみれば……」


 チコとロゼがいるのは、アクアフィリスの兵士たちが戦闘訓練を行う部屋だ。

 開け放たれた扉の向こうから、なにやら慌ただしい様子の声が聞こえてくる。


「ちょっと見に行ってみましょうか」


「ああ。ところでチコくん」


「はい? なんですか?」


 ロゼは、どこか嬉しそうな表情を浮かべている。いったいなんだろう。ちょっと不気味だ。


「先程、自分をロゼと呼んでくれたな」


「……なっ!」


 たしかに、咄嗟にそう呼んでしまったかもしれない。


「ようやく自分を認めてくれたというわけだな。嬉しいぞ」


「は、はあ? なにを言ってるんです? フォイアロートさんじゃ長ったらしいから、短く呼ぶようにしただけですし。認めるとかなんとか、そういうんじゃないですから!」


「よし、海の精霊に我々の友情パワーを見せてやろう!」


「聞けよ!」


 友情パワーとはいったい。そんな謎の力は存在しない。


「はぁ……とにかく、外の様子を見に行きますよ!」


「わかった!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る