海の底で10
「はい、ここが書庫だよ、クロちゃん」
「おお……」
ここは海の底だ。紙の書物はない。
アクアフィリスの書庫には、文字の刻まれた石版が整然と並んでいた。
わたしが書庫に来たのは、なにかヒントを探すため。
アクアフィリスは地上よりも精霊やマナとの関わりが深いみたいだから、書物に手掛かりがないかと考えたのだ。
試しに近くにある石版を手に取ってみる。
「うん、普通に読める」
不思議だけど、地上とアクアフィリスは言語も文字も共通してるんだよな。
出会った当初からミュウとも言葉が通じていたから、大丈夫だとは思っていたけど。
わたしは石版に目を通し、精霊やマナに関する物がないか探していく。
途中、疑問に思っていたことをミュウに訊ねてみた。
「ミュウ、貴女の治癒能力で女王様を癒せないの?」
「実はワタシも地上から帰ってくるまではそう考えてたの。ワタシの治癒能力でママを……って。でもママのは怪我でも病気でもないみたいだから」
「そっか、たしかに……」
「ワタシの治癒能力は、ちょっとした身体の異常しか治せないの」
マナの穢れは身体じゃなく、言うなれば魂の異常だ。ミュウの能力ではどうしようもないのか……。
「魂の異常……そっか、魂の異常だ」
「クロちゃん?」
わたしは石版を読む速度を上げる。
なんとなく方向性が見えてきた。
マナの穢れは魂の病気……だったら、魂を癒す薬を作り出せばいいんだ。
三十分ほど経過した。
もうほとんどの石版を読んだけど、手掛かりになるような物はまだ見つからない。
残るはこの棚だけだけど……
「クロちゃん、そこはダメ」
手を伸ばしかけたわたしをミュウが止める。
「ん? 読んじゃダメなの?」
閲覧禁止の資料的な?
「ダメというか、読めないと思う」
「読めない?」
「うんっ。その棚の石版、誰も読めない文字で刻まれてて……」
「解読不能なのか……見てもいいんだよね?」
「うんっ」
とりあえず、手に取って石版に目を落としてみる。
「あー……これ古代語だ」
「コダイゴ?」
「うん、古代語。大昔の人たちが使っていた文字だね」
「へぇ……もしかしてクロちゃん、読めるのっ?」
「少しだけなら。昔、師匠に習ったんだ」
「すごいっ!」
覚えてるか不安だけど……わたしは古代語が刻まれた石版の解読を試みる。
「これは……」
もしかしたら当たりかもしれない。
精霊やマナについて色々と記されているみたいだ。
「なにかわかりそうっ?」
「他のも解読してみないと……」
わたしは棚から次の石版を取り出す。
そうやって解読を続けて六枚目。
「あった!」
わたしは快哉を叫んだ。
「本当にっ?」
「うん、マナの穢れについて書かれていて……」
簡単に説明すると、こんな感じ。
精霊はマナの穢れを浄化する機能を持っている。
なんらかの理由で機能不全を起こした場合、精霊はマナの穢れに侵されてしまう。
マナとは精霊にとっては人間でいう水と空気であり、浄化機能に異常をきたした精霊は穢れたマナを溜め込んでしまうからだ。
マナの穢れによって暴走した精霊を止めるには、精霊が溜め込んだ穢れの浄化と、浄化機能の回復が必要である――と。
「む、難しくてよくわからないっ」
ミュウが頭を抱えて首を横に振った。
「あれ……肝心の回復方法が記されてない」
わたしは七枚目の石版を手に取る。
うーんと……よかった、ちゃんと書いてる。
「回復には特殊な薬を用いる……か」
よしきた。薬なら錬金術師にお任せだ。
「えっと必要な材料は……」
まずは清らかなマナの結晶。
これは大丈夫。すぐに用意できる。
次は、癒しの水。うーん……? 回復薬でいいのかな。少し不安だけど、よしとしよう。
それから……
「虹色珊瑚……聞いたことない材料かも」
「アタシ、知ってるよっ」
「本当?」
「うんっ。この辺りで採れる珍しい珊瑚なの」
「なるほど……手に入るかな」
「たぶんっ。お城か町のお店にあると思うよっ」
「じゃあ大丈夫かな。最後は……」
ん、なんか見覚えのある材料が書かれている。
「……桃きのこ?」
「えっ? それって、オヤカタさんがいた森?」
そうだ。
マリンシェルの近くにある森。その森の名前の由来となった、幻のきのこ。
月が桃色に輝く夜、森に生えるという伝説らしいんだけど……ここ百年間、誰も見た者はいないという。
「ここにきて入手困難!」
「手に入らないの……?」
ミュウが不安に揺れる瞳でわたしを見つめる。
わたしは言葉に詰まった。
正直、かなり絶望的……
なんて、ミュウに言えるわけがない。
今から地上に戻って、森で桃きのこを探す?
現実的じゃない。
百年間、誰も見てない物が簡単かな発見できるとは思えない。
そもそも、月が桃色に輝く夜という条件もある。それがいつなのかも不明だ。
「どうですかな、クロ様」
考え込むわたしの眼前に、ひょっこりとオヤカタくんが現れた。
……ちょうどよかった。
「オヤカタくんって、桃きのこの森に住んでいたんだよね?」
「あの森というか、あの森の裏側にある異空間ですな」
「桃きのこって知ってる?」
「それはもちろん!」
オヤカタくんは大きく首肯する。
「持ってたり……しないよね?」
「ありますぞ」
「そうだよね、そんな都合よく持ってるわけないよね……え、ある
の?」
嘘だぁ。
「必要なんですかな?」
「うんっ、海の精霊を治す薬を作るのに必要みたいなのっ」
わたしの代わりにミュウが答える。
「なるほどなるほど……クロ様、それは桃きのこ自体が必要なんですかな?」
「え? ちょっと待ってね……」
わたしは石版を確認する。
「ううん、胞子があればいいみたいだけど……」
「それはよかった! オレ、この身を捧げねばならぬかと。まぁクロ様のためならば喜んで捧げますが!」
んん?
身を捧げるって、まさか……
「そういえば、オヤカタさんもきのこだよねっ。それに色は桃色……あっ!」
どうやらミュウも思い至ったらしい。
わたしはオヤカタくんにたしかめる。
「あの……オヤカタくんって、桃きのこ……なの?」
「まさしく!」
なんか、そういうことらしい。
「桃きのこというか、桃きのこのかわいい妖精さんですぞ」
「は、はぁ……」
「地上に帰れば、桃きのこはいくらでも栽培できるんですが……」
幻のきのことはいったい……。
「今回は胞子だけでいいようなので……どうぞ、好きなだけお取りください」
オヤカタくんは、ずいっと頭……というか傘の部分を差し出してくる。
「じゃ、じゃあ遠慮なくもらうね」
「どうぞどうぞ」
なんか釈然としないけど、これでなんとかなりそうだ。
小瓶一杯に、オヤカタくんの胞子を詰め込む。
「とりあえず、これぐらいあれば大丈夫かな」
「お役に立てたようでなによりですぞ」
誇らしげに言うオヤカタくんは、なんだか少し萎れて見える。
「へ、平気なのかな、オヤカタくん」
「少し眠れば回復しますとも……」
「そ、そうなの?」
「そうですとも。というわけで、おやすみなさいませ」
言うが早いか、オヤカタくんは「すやぁ」と穏やかな寝息を立てはじめる。
そのままオヤカタくんの身体は書庫の中をゆらゆらと漂い出した。器用な寝方だ。
……よし。わたしは他の材料の準備に取り掛かかろう。
癒しの水は回復薬で大丈夫だと思うから、持ってきた物をそのまま使えばいい。
まずは清らかなマナの結晶。これについてはフワラの協力が必要だ。
濃度が高いマナは結晶化することがある。
自然にできた物だと不純物が色々と混ざるんだけど、精霊であるフワラの力を借りれば混じり気のないマナの結晶を生み出せる。
わたしはフワラに呼びかけた。
いつものように、小さな光る獣が姿を現してくれる。
「フワラ、よろしくね」
「ミミー」
フワラがマナを操り、結晶化させる。
瞬く間に青く透き通った結晶ができあがった。
「ありがとう、フワラ」
「ミミッ」
フワラの頭を撫でる。
回復薬に、清らかなマナの結晶に、桃きのこの胞子……
残る虹色珊瑚は、ミュウが「任せてっ」と言って調達しに行ってくれた。
わたしは待っている間、錬成方法の勉強をしておこう。難易度高そうだしね。
三十分ぐらい経った頃、ミュウが書庫に戻ってきた。
「お待たせ、クロちゃんっ」
「おかえり」
「はいっ、虹色珊瑚もらってきたよっ」
ミュウが布に包まれた物を差し出してきた。大きさは拳ぐらいかな。
「おお、ありがとう」
「えへへ」
受け取って、布を開いた。
「これが虹色珊瑚……」
その名の通り、虹色をした珊瑚礁だけど……思っていたのと少し違う。
なんというか、輝きがない。もっとキラキラした珊瑚を想像していたんだけどな。
「クロちゃん、どうかしたの?」
ミュウが不安げな目を向けてくる。
「もしかして、これじゃダメだった?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。さっそく薬を錬成しよう」
「がんばってっ、クロウちゃんっ!」
ミュウの応援に頷いて、わたしは錬成の準備を開始する。
「フワラ、お願い」
「ミーミー」
わたしの側にいたフワラが鳴き、海中でくるりと一回転した。
すると、ごく小さな範囲の海水が消えてなくなる。
わたしの眼前に、ぽっかりと水のない空間が出現した。
大きさは、わたしの半分くらいかな。
その空間に、地上から持ってきた道具袋を突っ込む。
これで袋を開いても中身が濡れる心配はない。
開いた袋から、まずは今から使う回復薬を取り出す。
そして次に、こんなこともあろうかと持ってきた小型の錬金釜を出した。
これがなければ、わたしに薬の錬成は不可能だ。
水のない空間で、錬金釜のフタを開く。
そしてわたしは、錬成作業に取り掛かった。
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