桃きのこの森へ5

 いざ森へ出発……の前に。

 わたしはロゼと一緒に、工房へ戻ってきた。

 探索に必要な道具を工房に置いたままだったからなのと、ミュウの様子を見るためだ。


「クロちゃん、ロゼちゃんっ!」


 浴室に入ると、嬉しそうな声音でミュウが出迎えてくれる。


「おかえりなさいっ、早かったですねっ。もう材料を採ってきたんですかっ?」


「いいや、まだだ」


 端的にロゼが答える。


「森に行くのはこれからだよ、いったん道具を取り帰ったんだ」


 わたしは、そう付け加えた。


「そうですか……またお留守番ですね……」


 ミュウは寂しげに俯く。


「……体調はどう?」


「寂しくて死にそうですっ」


 うん、まだ大丈夫そうだな。


「ところで、その人もクロちゃんとロゼちゃんのお友達ですかっ?」


 ミュウがわたしとロゼの背後を指さした。


「おいミュウ、なにを言って……なっ!」


「どうしたのロゼ……って、えぇ……」


 ミュウのしなやかな指がさし示す先には……浴室の入り口に、ひとりの小柄な美少女が立っていた。


「な、なななな、なんなんですかその女は、クロさんんんっ!?」


 茶髪のショートヘア、冒険者ギルドの制服を着た美少女……チコが叫び声を上げながら浴室に入ってくる。


「いや、叫びたいのはむしろこっちだと思う……チコなにやってんの?」


 ていうか、いつからいたんだろう。


「どうも怪しいと思って、クロさんたちの後を尾けて来たんですぅ!」


「怪しいってなにが?」


「具体的には女の気配を感じました!」


 なんじゃそりゃあ。


「そしたら案の定コレですよコレ! クロさんったらチコというものがありながら、また新しい女を作って!」


 半泣きに近い状態でチコは声を荒げる。その勢いに、ミュウは呆気にとられているようだ。


「新しい女って……人聞きが悪いよ」


「しかも、なんなんですかこの子! 下半身が魚なんですけど! もしかしてあれですか! 人魚ですかぁ!?」


「正解だけどさ」


 こうなるから、チコには話したくなかったんだよなぁ。


「フォイアロートさんまで一緒になって、お風呂でナニをするつもりだったんですかぁ!?」


「ち、チチチチ、チコくんっ!? ナニをってそれは……!」


 チコの戯言に、ロゼが狼狽する。なにやってんだか、この二人は。


「えぇと……クロちゃん?」


 ミュウが困惑気味にわたしを見上げてくる。

 もうしょうがない。チコにもちゃんと事情を話そう。


「チコ、ちょっと落ち着いて」


「これが落ち着いてられますかぁ〜!」


 荒ぶるチコを鎮めてから、わたしはミュウについて説明した。



「……そんなわけで、ミュウを人間に変身させる薬を作らないといけないんだ」


 拗ねた子供みたいに頬を膨らませているチコに、わたしはここまでの経緯を話した。


「理解はしましたけどぉ……」


 ちら、とチコは浴槽にいるミュウに目をやる。


「よろしくお願いしますねっ、チコちゃんっ」


「ふんっ、馴れ馴れしく呼ばないでくれますかぁ?」


 ニコニコ顔のミュウとは対照的に、不機嫌さ全開でチコはそっぽを向く。

 そんな態度を取られたミュウはミュウで、ムスッと顔をしかめる。なんだか不穏な空気。


「と、とにかくっ!」


 不自然なぐらい朗らかに、ロゼが口を開く。


「クロ、早く森へ行こう。時間がなくなってしまうぞ」


「おっと、そうだった……じゃあミュウ、留守番お願い。で、チコはちゃんとギルドに戻るように」


 わたしが二人それぞれに告げると、


「嫌ですっ」

「嫌でーす」


 ミュウとチコは異口同音にそう言った。


「やっぱりぃ、クロさんを危険な森へ行かせるなんてチコには無理ですぅ」


「うん、本音は?」


「クロさんとフォイアロートさんを森で二人きりになんかさせたくありません! なのでチコも行きます!」


 この子は全体的になにを言ってるんだろう。


「チコもって、ギルドの仕事はどうするの?」


「仕事なんかよりクロさんです! なのでぇ急用につき早退です!」


 いいのかなぁ、それで。まぁ、チコが来てくれるのは心強いんだけどさ。


「しょうがないなぁ……チコも一緒に行こう」


「はぁい!」


「お、おいクロ、魔物が出る森にチコくんを連れて行ったりしても大丈夫なのか?」


 ロゼがわたしに耳打ちしてくる。


「あ、そっか。ロゼは知らないんだっけ」


「んん? なにをだ?」


「まー、チコなら平気だから」


 釈然としない様子ながら、ロゼは「そうか」と引き下がる。


「はいっ、はいっ! ミュウも行っていいですよねクロちゃんっ!」


「んー、ミュウはダメ。というか物理的に行けないでしょ」


 人魚なんだから。どうやって森まで一緒に来るっていうんだか。


「行けますっ! 地べたを這って!」


「怖いよ。あと本末転倒だよそれ」


「むー……あっ!」


 少し考え込んでから、ミュウは閃いたといわんばかりに声をあげた。


「なにか妙案でも浮かんだ?」


「クロちゃんがわたしをここまで運んでくれたカゴに入っていきますっ!」


「却下」


「どうしてーっ!?」


 あれは時間制限があるし。

 薬に頼るんじゃなくて、はじめから普通に大きな入れ物を用意すれば済むけど……問題はもうひとつある。


「森まで背負って行くのは重くて無理」


 これも錬金術の薬で力を強くはできるけど、やっぱり時間制限があるし。

 いやでも待てよ……チコも来てくれるんだった。それならいけるかも。


「ちょっと待ってて」


 わたしは告げて、浴室から工房へ移動した。

 素早く材料を用意して、ぱぱっと錬金術で『ある物』を錬成する。

 出来上がったそれを抱えて、浴室へ戻った。


「よいしょっと」


 わたしは浴室の床に『ある物』を置く。


「クロ、これは?」


「でっかい桶だよ」


 ロゼからの問いに、わたしはありのまま答えた。


「それは見ればわかるんだが……これにミュウを入れるのか?」


「うん、水を張ってミュウを入れる」


「どうやって運ぶつもりなんだ?」


「それは……背負ってだよ、ほら」


 わたしは桶に付いている二本のベルトを指さした。


「これを両肩にかけて、背負えるように作ったから」


「なるほど。しかし、水とミュウを入れたらかなりの重量になるぞ。いったい誰が……」


「もちろん、運ぶのはチコだよ」


 ね、とわたしはチコの肩に手を置く。


「えぇ〜チコですかぁ? クロさんったらまたまた冗談ばっかりぃ。か弱いチコに、そんな重そうな物が持てるわけないじゃないですかぁ」


「そうだぞクロ、どう考えてもチコくんには無理だろう」


「いやー平気だと思うよ。はいチコこれっ!」


 ばっ、とわたしは後ろ手に隠していた重たい金属の塊(錬金術の材料だ)をチコに向かって投げつけた。


「……っ! はぁぁっ!」


 目前に迫る金属の塊を、チコは裂帛の気合いと共に拳で粉々に粉砕してみせる。


「ね?」


「あ、ああ……すごいな」


「やだぁ〜手がいたぁ〜い」


 恥ずかしい〜、とチコは身体をくねらせる。

 ご覧の通り、チコは小柄で愛くるしい見た目に反して怪力の持ち主なのだ。

 ヘタな冒険者より、よっぽど強いと思う。どうしてギルドで事務の仕事なんてやっているんだろう。

 それはさておき……


「チコ、お願いできるかな」


「嫌ですよぉ、どうしてチコがこの人魚を背負って歩かなきゃいけないんですかぁ」


「頼むよ、ミュウを置いていったら本当に這ってでも付いてくるかもしれないし」


 さすがにこれは言い過ぎかもだけど……。

 実のところ留守番させるのはちょっと不安だったんだよな。

 ミュウはいつ体調を悪くするかわからない。近くにいればすぐに対処ができるから安心だ。だから、連れていけるならそれに越したことはない。


「……条件があります」


「なに?」


「今度、チコと一緒にお出かけしてください」


 なんだ、どんな要求をされるのかと思ったら……意外と普通だった。


「いいよ」


「わ〜い! 約束ですからねぇ?」


「はいはい……じゃあ、ミュウをよろしく」


 さて、そうと決まれば準備だ。


「クロちゃん? ミュウも行けるんですか?」


「うん、一緒に行こう」


「やりましたっ! クロちゃん大好きですっ!」


 ざばっ、と水から出たミュウがわたしに抱きついてくる。


「あー! なにやってるんですかぁ、この淫乱人魚! クロさんに抱きつくなんて羨まけしからんですよぉ!」


「ちょ、ちょっとミュウ……服が濡れちゃう」


「おーい、早く準備をした方がいいのではないかー?」


 ロゼの言う通りだ。

 その後、準備を終えたわたしたちはマリンシェルの町を出発した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る