桃きのこの森へ4
翌朝、工房のベッドで目を覚ましたわたしは洗面所へ向かった。
顔を洗う前に、浴室の覗いてミュウの様子を確認する。
昨夜、寝る前に念のために水を張り替えたけど、大丈夫だろうか。
「う~ん……クロちゃん……可愛い……」
浴槽の縁にもたれながら、ミュウはすやすやと眠っている。
よかった。体調が悪いとか、そういう感じはない。
というか、なに恥ずかしい寝言を口走っているんだ。
ミュウを起こさないように、わたしはそっと浴室を出た。
顔を洗って身支度を済ませたわたしは、朝食を用意してからミュウを起こした。
浴室で二人、パンとハムエッグを食べる。
「クロちゃんて可愛いというか、美人さんですよねっ」
朝食を食べ終わったあと、ミュウがわたしをじっと見ながら言った。
唐突だなぁ。
「会ったときからずっと思っていたんですけどっ」
「……ミュウに言われても嫌味に感じるんだけど」
「なんでですか!?」
そっちの方がよっぽど綺麗で……可愛いから。
なんて、恥ずかしくて口には出せないわたしだけど。
目が覚めるに色鮮やかな、ふわふわとした桃色の髪と愛くるしい顔。明るくて元気な振る舞いは、見ているこちらも前向きになれそう。
「クロちゃんの長くて綺麗な髪、とっても神秘的ですっ」
「ええ……」
頬が熱くなる。神秘的って。
「黒い髪の毛って、ワタシたちの国じゃ見ないですっ」
「ああー、それは地上……っていうか、この国でも同じみたいだね」
わたしの故郷は、ここセイントベル王国から海を越えて遙か東にある。そこでは黒髪は珍しくもなんともない。わたしの両親も黒髪だったし。
「地上にも色々な国があるんですねっ」
「も、って言うからには海にも?」
「はいっ、ワタシの国以外にもいくつか国があるって習いましたっ」
それよりも、とミュウはわたしの全身を眺めてくる。
「な、なに……?」
「クロちゃん、着ている服も可愛いですよねっ」
「もうなんなの……お世辞を言っても朝食のおかわりは出ないよ?」
「本音ですっ! ……おかわりは欲しいですけど」
「欲しいのかよ」
わたしの服装は……右肩にマントを羽織っていて、中はフリルをあしらったミニスカートのワンピース。膝上まである黒いブーツを履いている。全体的にモノトーン。こんな感じ。
自分でも気に入っているので、褒められて悪い気はしない。
「いいなー、ワタシも可愛い服が着てみたいです」
「その胸当てだって可愛いと思うけどね」
「えへへ、ありがとうございます……でも、ワタシは服がいいんですっ」
「そっか、人間に変身したらまずは服だね」
「はいっ、楽しみですっ!」
ミュウが嬉しそうに微笑む。その期待に応えるためにも、がんばらないと。
わたしは家を出て、冒険者ギルドへ向かっていた。
もちろんミュウはお留守番だ。
ロゼとはギルドで合流すると、昨夜に約束している。
家を出てから数分、わたしは町の中心地にある冒険者ギルドに到着した。わたしは白いレンガ造りの瀟洒な建物を見上げる。ここが冒険者ギルド・マリンシェル支部だ。
冒険者ギルドっていうのは、冒険者たちを管理している組織。世界の各地に支部が存在していて、依頼を仲介、斡旋している。
わたしも一応、冒険者の資格を持っている。資格がなければギルドから依頼を受注できないし、持っている方が色々と便利だから取得した。
錬金術で解決できそうな依頼を受けて、お金を稼ぐ……わたしは、そうやって生きてきた。それはこの町でも変わらない。
わたしが冒険者ギルドの中に入ると――
「ああっ、クロさーん!」
受付にいる茶髪の少女がブンブンと手を振ってきた。
「クロさーんクロさーん!」
カウンターから身を乗り出してわたしを呼ぶ茶髪の少女は、今にもこちらへ向かって飛び出して来そうな勢いだ。
「お、おいチコくん、危ないぞ」
カウンター前に立っていたロゼが、チコと呼ばれた茶髪の少女にやんわりと注意する。
「なんですかフォイアロートさん、チコとクロさんの逢瀬を邪魔する気ですか?」
「いや自分はそういうつもりじゃ……」
チコの言いがかりに、ロゼは困り顔でわたしの方を見てくる。
「あっ! 今クロさんに意味ありげな視線を送りましたねぇ!?」
チコはジト目でロゼを指さす。
「ええっ、意味ありげなって別に自分は……」
「またやってるよ」
わたしは嘆息まじりに呟きつつ、二人がいる受付に歩いていく。
周りにいる冒険者たちも、わたしと同じく「またか」みたいな反応をしていた。
どうもチコとロゼは仲が良くない……というか、チコがロゼを目の敵にしている感じ。ロゼの方もそんなチコが少し苦手みたいだけど。
二人は顔を合わせる度に、今みたいなやり取りを繰り広げている。よく飽きないよなぁ。
わたしが受付カウンターの前まで来ると、チコはロゼから興味を失ったように、わたしへと満面の笑みを向けてきた。
「クロさぁん、おはようございますぅ!」
顔の前で両手を合わせて身体をくねらせながら、上目遣いでチコが挨拶してきた。
「おはようチコ」
「きゃっ、クロさん今朝もクールでカッコイイですぅ」
パチパチ、とチコは長い睫毛の大きな瞳を瞬かせる。なんか星でも飛んできそう。
「あ、うん、ありがと」
チコは可愛い。茶髪のショートヘア。小柄で、顔は子犬のように愛らしい。紺色のジャケットにプリーツスカートといったギルドの制服もよく似合っている。
だけどなぜだろう。可愛い物が好きなはずであるわたしの琴線に触れないというか……なんか、あざといというか……チコが嫌いというわけじゃないんだけどね。いい子だし、ギルドの職員として頼りにもなるし。
「クロさん、今朝はこんなに早くからどうしたんです?」
「ん、ロゼ、まだ言ってなかったの?」
「まだなにも」
ロゼが小さく肩をすくめる。
先に来ていたみたいだから、もう用件は話しているかと思った。
「自分も来たばかりだったし、それに……」
ロゼは言葉を濁しながら苦笑する。
なにかを察してくれっていう雰囲気……まぁ、チコだろうなぁ。
またチコがロゼに絡んで、まともに話ができなかったんだろう。しょうがないなぁ。
「あのさチコ……」
わたしは、ざっくりとチコに事情を話した。
「うーん、森に採取へ行きたいから護衛の冒険者さんですかぁ……」
わたしの説明を聞いたチコは、なぜか悩ましげな反応だ。
「なにかマズかった?」
「あの森には今、凶暴な魔物が出没するっていうのはクロさんも知っていますよね?」
「うん」
昨夜、ロゼから聞いて知ったばかりだけど。
「たしかに危険ですからぁ、チコとしてもクロさんには護衛を連れて行ってもらいたいんですけどねぇ……」
チコはギルド内にいる冒険者たちに視線を向ける。つられてわたしも彼らに目をやった。
すると、どうやらわたしたちの様子をうかがっていたらしい冒険者たちが、慌てて顔を逸らす。今気づいたけど、ギルドにいる冒険者たちは、みんな怪我を負っているみたいだ。これって……
「チコ、もしかして……」
「はい、町にいる冒険者さんは、みーんな件の魔物に返り討ちにされちゃったんですよねぇ。だからビビっちゃってぇ、誰もついてきてくれないと思いますよぉ」
冒険者たちに聞こえるように、わざと大きな声で嫌味っぽくチコは言う。
「くっ……」
「ううっ……ちくしょう」
「ぐすん」
冒険者たちは悔しそうに歯噛みしたり、泣いたりしていた。……いや、泣くなよ。
「それならもう、わたしに依頼を回すところだったんじゃない?」
「はい、実は今日にもクロさんに依頼が行くはずだったんですよねぇ」
そうだったのか。それは渡りに船……なのかな?
「でもでもぉ、チコとしては危険そうだからクロさんには行って欲しくないっていうかぁ」
甘えた声を出しながら、チコが身体をよじる。
動きは奇妙だけど、心配してくれているのは伝わった。
「ありがとうチコ。でも、わたしはどうしても素材を採りに行かなきゃいけないんだ」
「凛々しい……しゅき。じゃなくてぇ、どうしてそんなに急いでるんです?」
「それは……」
言葉に詰まる。果たしてチコにも人魚の……ミュウの存在を明かすべきか。
チコもわたしの友人だ。できれば隠し事はしたくない。したくないんだけど……
わたしは隣にいるロゼと目を合わせた。彼女も同じことを考えているのか複雑な表情だ。
なんというかまぁ……チコにミュウの存在を知られると、面倒くさい感じになる予感しかしない。
ここは適当に誤魔化そう。ごめんチコ。
「ちょっと、どうしても急ぎで作らないといけない薬があってさ。材料は森で採るしかないんだよ」
嘘は言ってない……よね。
「なるほど……そうなんですねぇ。クロさんはお仕事熱心で素敵ですねぇ」
チコは腕を組んで、うんうんと首を縦に振る。たぶん納得してくれたかな?
「心配ですけどぉ……わかりました。朝から昼間なら、件の魔物も出ないみたいですし……」
「え、そうなの?」
「はい、今のところ凶暴な魔物が出没するのはぁ、夕方から早朝にかけてみたいです」
ふーん……夜行性なんだろうか。まぁ、大体の魔物は夜の方が活発なんだけど。
「あ、でもわたしが退治しなくていいのかな?」
「それはぁ……もうちょっと日を置いてからお願いすると思います」
「というと?」
「実はぁ王都から凄腕の冒険者さんに来てもらえないかって、お願いしているところなんですよぉ。……ここの冒険者さんたちが不甲斐ないから」
チコが吐く毒に、冒険者たちがまた泣き出す。だから泣くなよ。
「今のところ夕方以降、森に入らない限り被害はないみたいですしねぇ」
「あ、そうなんだ」
なら王都からの応援を待っていても大丈夫なのかな。
「ありがとうチコ、それじゃあ行ってくるよ」
「はぁい、気をつけてくださいねクロさん」
チコに見送られ、わたしとロゼは冒険者ギルドを後にした。
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