桃きのこの森へ3

「クロちゃんっ!」


 浴室に入った途端、浴槽にいるミュウが元気な声で出迎えてくれる。

 こちらへ満面の笑顔を向けてきたミュウの視線が、わたしの隣にいるロゼへ移った。


「……クロちゃん、この人は誰ですか?」


 わたしに訊ねるミュウは、どことなく不安そうだ。

 ロゼの方も、なんとも形容しがたい表情でミュウを見ている。


「この人はロゼリア。わたしの友達だよ」


「クロちゃんのお友達ですかっ」


 なぜかそれだけで安心した様子のミュウ。便利な言葉だなトモダチ。この子はもっと警戒心とかそういうのを養うべきなのでは。


「ロゼ、この子はミュウ。わたしが釣り上げちゃった人魚で以下略」


「省略しないでくださいっ!?」


「あ、ごめんつい……でもミュウの事情、ロゼに聞かせてもいいの?」


「クロちゃんのお友達なら大丈夫ですっ」


 らしいので、わたしはロゼに人魚の国やらお姫様やら、ミュウの事情を語る。……どうしてわたしが説明しているんだろう。まあいいけど。


「――というわけで、ミュウは地上に家出してきたらしいんだ」


「それはまた随分と壮大な家出だな……」


「ん? もしかしてワタシ、褒められてます?」


 えへへ照れちゃいます、とミュウがはにかむ。


「褒めてないよ」


 にべもなく突っ込んでおくわたし。


「というわけなんだけど、ロゼ」


「うん?」


「ミュウをここに住まわせてもいいかな」


「ふむ、クロがそう決めたのなら自分は問題ないと思うが」


「ありがとう、ロゼ」


「ロゼちゃん、ありがとうっ! 改めてよろしくお願いしますねっ!」


「こちらこそよろしくだ、ミュウ」


 さて、ひとつ懸念がなくなったところで本題だ。


「それでロゼ、わたしはミュウを人間に変身させる薬を作らないとなんだけど……」


「人間に変身……?」


「うん。なんか、あまり陸にいるとよくないらしいから」


「まあ、人魚だものな」


「人魚だからねえ」


 ロゼとわたしは浴槽の水に浸かるミュウを見て、しみじみと言い合う。


「はい、人魚ですよ?」


 当のミュウは、そんなわたしたちをきょとんと見上げていた。


「しかし人間に変身する薬、か。本当になんでも作れるんだな、錬金術というのは……」


「んー、なんでもじゃないけどね」


 たしかに錬金術は万能だけど、決して全能じゃない。

 特にわたしはまだまだ未熟だから、なおさらだ。


「ところで薬はまだ作らないのか? ミュウのためにも早く作ってやった方が……」


「うん、わたしもそう思ってるんだけど、材料が足りなくて」


「そうなのか」


「だから今からちょっと森に採取へ行こうかと」


「なるほどな――って、それはダメだ!」


 急にロゼが語気を強くして、わたしに待ったをかける。


「クロ、夜の森が危険なのは君だってわかっているだろう?」


「うん、でも準備はしっかりするよ。錬金術で作った道具も持っていくつもりだし」


 錬金術は素材を得るために危険な魔物がいる場所にも赴かなければならない。貧弱なわたしには、魔物から身を守るための道具は必須だ。


「君の道具が強力なのは自分も知っているが、それでも今はダメだ」


「どうして?」


「クロ、あの話を耳にしていないのか?」


 話って、なんのだろう?


「知らないけど……」


「そうなのか、てっきりもうクロも聞いたものだとばかり……」


「わかんないけど、なんの話?」


「最近、森にはとてつもなく凶暴な魔物が出没するらしいんだ」


「そうなの?」


 初めて知ったな。近頃、森に行ってなかったし……しかも工房にこもり気味だったから、町の人たちの噂話も耳に入ってこなかった。


「凶暴な魔物ってどんな? でっかいウルフとか?」


 あの森には基本、ウルフしか生息していなかったと思う。


「それが……わからないらしいんだ」


「わからない? じゃあ、その話ってどこから出てきたの?」


「実際に襲われた人間は存在するんだ――」


 ロゼによると、最初に被害に遭ったのは旅の商人らしい。

 マリンシェルに来る途中、森に入り込んでしまった彼はウルフの群に囲まれたそうだ。

 絶体絶命の危機。そのとき、謎の黒い影が現れてウルフたちを蹴散らしたという。


「いやそれ助けられてない?」


 わたしの疑問に、ロゼは首を横に振った。


「まだ続きがある――」


 ウルフを蹴散らした謎の黒い影は、そのまま旅の商人にも襲いかかったそうだ。


「ふうん……でも無事だったんだよね?」


「ああ、どうも殴られて気絶した程度で済んだみたいだな。気が付いたら森の外に転がっていたらしい」


「森の外に? それってつまり、その凶暴な魔物が運んだってこと?」


「それは自分にはわからないが……」


 謎だなあ。


「旅の商人はそのままマリンシェルへと走り、冒険者ギルドに駆け込んだ」


「そこで謎の黒い影についてギルドに報告した、と」


「ああ、さっそく何名かの冒険者が森に乗り込んだそうだが……」


 語るロゼの表情は浮かない。


「全員、返り討ちにされちゃった?」


「ああ、残念ながらな。今ではその凶暴な魔物を怖がって、誰も討伐依頼を引き受けないそうだ。まったく不漁の問題もあるというのに厄介だよ……」


 ロゼがやれやれと嘆息する。

 わたしがこもっている間に、そんな出来事が起こっていたとは。


「でもさ、ロゼ」


「なんだ?」


 ロゼは危険だからと、わたしを止めたんだろうけど……


「その話、遅かれ早かれ、冒険者ギルドからわたしに依頼が来るんじゃないかな?」


 冒険者じゃ敵わない強力な魔物の討伐……この町にやってきてからも、何度か冒険者ギルドに依頼された。自慢じゃないけど、わたしが作る道具は強力だから。

 最初からわたしを頼らないのはたぶん、冒険者たちの顔を立てているんだと思う。


「わかっているさ……でも、夜の森はダメだ」


「どうしても?」


 夜は魔物が強力になる。冒険者たちが敵わないような凶暴な魔物が、さらに強くなってしまう……しかも、どんな相手か未知数。たしかに夜の探索は危険だけど、しかし。


「ミュウの薬を早く作ってあげないと」


「それは自分だって同意見だがな――」


「あのっ!」


 これまで大人しくしていたミュウが、不意に声をあげた。


「ワタシなら、大丈夫ですからっ!」


 まだ元気ですっ、と腕を振り上げてみせる。


「本当に平気?」


「はいっ、ワタシのせいでクロちゃんが危ない目に遭う方がイヤですっ。ですからその、お薬の材料は明日になってからにしましょうっ、ね?」


「……わかったよ、ミュウが平気なら」


「よし、ならば明日は自分もクロに同行する。一応、冒険者ギルドで護衛を雇ってから森へ出かけよう」


「護衛なんている?」


 ロゼにも戦いの心得はある。わたしの道具もあるし、必要ないと思うけどなぁ。


「念のためだよ。相手の強さがわからない以上、警戒はするべきだろう……さて、話が纏まったところで夕食にしないか?」


 そういえば忘れていた。


「ご飯っ! ワタシもお腹が空きましたっ!」


「ふむ……今夜はミュウの分も屋敷からここに運ぼう」


「わーいっ!」


「しかしメニューはシーフードシチューなんだが……その、人魚的に大丈夫か?」


「大丈夫じゃないですーっ!」


 浴室での夕食は、とても賑やかになりそうだった。

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