錬金術師と人魚姫 1
微睡みから覚める。何度か瞬きをしているうちに、徐々に意識がはっきりしてきた。
まず目に入ってきたのは、びっしりと文字が綴られた分厚い本だ。
――ああ、そうか。薬の研究中に寝ちゃったんだ。
机に突っ伏していたわたしは、ゆっくりと上体を起こす。
「ん~っ……」
椅子の背もたれに身体を預けて、ぐーっと伸びをした。
「……ふう」
とても懐かしい夢を見た気がする。わたしが錬金術の師匠に弟子入りした日の夢だ。
あれから紆余曲折を経て、わたしは錬金術師として独り立ちしていた。正確には、独り立ちせざるを得なかったんだけれど――
師匠から錬金術を学んだわたしは、今ではそれなりの物を錬成できるようになった。
だけど、本当に作りたい物はまだ作れないでいる。
どんな怪我や病も治せる万能の薬。わたしが錬金術師になることを選んだ理由であるそれを作り出す道は、遠く険しい。なにせ、あの師匠ですら作ったことがない代物なのだから。
「居眠りなんてしてる場合じゃないよなぁ……」
研究のために読んでいた分厚い本を閉じる。珍しい植物の生態を記した本だった。
「うーん……ちょっと当てがはずれたかな」
館内を見回して、呟いた。
わたしがいるのは、こじんまりとした図書館――だった場所だ。数年前に館長が亡くなってから放置されていた、らしい。
そんな元図書館であるここは、三ヶ月ほど前からわたしの仮住まいとなっていた。
わたしは錬金術師としての仕事で、この元図書館がある町に長期滞在している。
もっときちんとした住まいが用意されていたんだけど、わたしは放置されていた元図書館に住むことを選んだ。
理由は、本棚に収められた書物たちだ。
わたしは本が好きだった。たくさんの本に囲まれて暮らすというのが、ちょっとした夢だったのだ。それに加えて、もしかしたらなにか研究の参考になる本が眠っているかもしれないという、淡い期待もあった。残念ながら今のところなんの収穫もないけど。
この町にやって来て三ヶ月と少し。館内にあるほとんどの本に目を通した。残り僅かとなった未読の本に、研究の参考になるような物があれば僥倖なんだけどなあ。
「さてと、そろそろ仕事しないと」
入り口の脇に鎮座する柱時計を見る。時間は昼過ぎ。
錬金術師の本分は日々の研究だ、と師匠はよく言っていたけど、それだけで生きていくのは難しい。生きていくには、お金が必要だ。お金を稼ぐには、働かねばならない。
わたしは町の冒険者や、住人から依頼を受けて生計を立てている。それに今、わたしはある大きな仕事を抱えていた。その仕事のために、わたしは町に滞在しているのだ。
でも、その仕事は一朝一夕で片付くものじゃない。とりあえずは、いつものように冒険者ギルドに出向いて、なにか仕事を斡旋してもらうとしよう。
「……その前に、お昼ご飯かな」
自分の薄い腹をさすりながら考えていると。
「こんにちはー」
よく通る女性の声と共に、元図書館の扉が開かれた。ひとりの女性が中に入ってくる。二十代後半ぐらいの、地味だが整った容姿をした女性だ。
女性は人好きのする笑顔を浮かべながら、わたしがいるカウンターの前までやってきた。
「こんにちは、クロちゃん」
「ああ、こんにちはエミリーさん」
女性の名前はエミリー。この町の住人で、わたしのお得意様のひとりだ。
「また作って欲しい物があるんだけど、いいかしら?」
「ええ、いいですよ。わたしに作れる物なら、ですけど」
昼食はおあずけかあ……。
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