異世界では親切な人にご注意を。

朝倉神社

第1話 天童の場合

 何もない空間に美しき女神が立っていて、俺が死んだことが告げられる。


「つまり死後の世界?」

「そんなところ。普通、死んだ魂は輪廻を巡るのだけど君はまだ若い。望むのなら別の世界でやり直すことが出来るのだけど、どうする?最近は戸籍だ何だってうるさいでしょ。だから元の世界には戻さないことにしているの」

「別の世界って?」


 異世界ものにありがちな、交通事故から神様というパターンに胸を躍らせて聞いてみると、想像通りの答が返ってくる。なので二つ返事で、その世界で生き返る道を選択する。


「不思議よね。そんな物騒な世界なのに、最近の子達は地球よりもアーレスモリアを選択するんだから。君はそうだね、品行方正に生きてきたみたいだし、スキルポイントを23ポイントあげるわ。それじゃあ、早死にしてまたここに来ないようにね」

「え、ちょっと――」


 スキルポイントってなんですか?という質問をする間もなく、俺の体は光に包まれ死後の空間より消え去った。



□■□■□■□■□■□■□■□■

 とある場所。

 瞑想をするように胡坐をかいていた白髪だが若い20代半ばくらい男がぱちりと目を開けた。


「シバさん。西地区の薬草市場の方で反応あります」

「ほう、前回の転移者からまだ二日で?」

「では、放っておきますか?」

「ブラン、困っている人がいるなら手を差し伸べるべきじゃないか」

「ですね」


 やれやれと嘆息して重い腰を上げるシバに、瞑想していたブランという男は追従するように後を追う。


□■□■□■□■□■□■□■□■


 中世ヨーロッパ風の石畳に石造りの建物が立ち並び、獣人なんかもいるような異世界に降り立ったのだが、当然と言えば当然だけど、彼らと言葉が一切通じなかった。

 そこはデフォじゃねえのかよ!!

 しかも、せっかくのスキルポイントの使い方がわからないという残念仕様。


「どうすりゃいいんだよ」

 

 近くにあったゴミ箱を蹴飛ばして鬱憤を晴らす。すると、ゴミ箱の向こう側には小さな猫が眠っていて、ビックリした拍子に商人がござの上に広げていた薬草をぐちゃぐちゃにして走り去っていった。


 やべぇ!

 茹蛸のように真っ赤になった店主が何事か叫んだ。言葉の意味が分からずとも、店主がぶち切れているのに語学は必要ない。


 逃げ出そうとした矢先に首根っこを掴まれた。

 殺される! そう思ったところで、第三者が割って入った。すらりとした優男が店主と話し合い、ぶち切れていた店主は冷静さを取り戻していった。最後に仲裁者が何かを渡したところで俺は解放された。


「大丈夫か?」


 日本語で語り掛けられたことに驚いて一瞬言葉を詰まらせる。


「あ、ありがとうございました」

「いやなに、困っていたみたいだからね」


 やさしい笑顔を見せられて俺はどきりとする。おどろくほどのイケメン。白髪の連れも昏い雰囲気はあるが整った顔立ちをしていた。


「日本人……ですか?」

「うん。俺はシバという。この世界にきたばかりなんだろう。俺の家でいろいろと説明してやるよ」

「ありがとうございます。俺は天童です」


 ソファとローテーブルのみというシンプルな室内に俺は通された。案内される途中にこの世界のことについて、いろいろと教えてもらえた。シバは十年以上前にこの世界に来た先輩ということらしい。一緒にいたブランという男は、この世界の住人でシバさんと冒険者パーティを組んでいるそうだ。


「質問はたくさんあるだろうけど、まずはここに手を置いて”ダルバフェナイ”って唱えてみな」


 シバがテーブルの上に置いた石版の下のほうには手形のような凹みがあるので添えてみる。それから言われた言葉を呟いた。石版の上半分に見たことのない文字が浮かび上がり、シバが紙に書かれた文字を見せてきた。


「これと同じ文字があるだろ、それに触れてみてくれ。悪いが石版の文字は本人にしか見えないようになっている」


 言われたとおりに操作していくと突然石版の文字が読めるようになった。驚いてシバの方を見上げると説明をしてくれる。


「いま、君はスキルポイントを使用してこの国の文字を習得したんだ。習得率は5段階の内の3段階まで有効に成っていると思う。これで、日常会話は問題なくなる。文字も見えているだろ」


 この世界の言葉に切り替えたようだが、はっきりと理解することができた。石板に再び目を落とすと


『 ネルドラ語 レベル3 

  スキルポイントを使用してレベルを上げますか?

  YES/NO 』

       

 と読める。最初の画面に戻ってみると剣術、槍術、弓術などの項目が載っていた。


「すごいです。読めますね。ところで、なんで3段階なんですか?」

「4段階目まで進めば、日常会話で使わないような言葉も理解できるようになる。ただ、それは君の選択に任せるよ。スキルポイントにも限りがあるだろ。ちなみに女神に何ポイントもらえた?」

「23ポイントです」

「君はいい奴なんだな」

「そうなんですか?」

「だいたい年齢=スキルポイントってとこかな。それ以上のポイントをもらえたのなら生前いい人間だったんだろう。スキルには限りがあるから一晩ゆっくり考えてみたほうがいいだろう」


 石版上には戦闘系スキルに加えて、魔法系スキル、言語能力のような生活系スキルが並んでいた。冒険者になるなら剣術が基本だろう。でも、折角なので魔法も使ってみたい。残りは20ポイント、今後の生き方に左右するのでしっかり考えた方がいいだろう。


 こんな広い町で偶然にも彼と会えなければ、言葉の問題も解決しなかったのだ。俺はかなり運がいいらしい、そんな風に思った。ほっとしていると俺の腹の虫が鳴きだした。


「腹減ったのか」

「なんか、すみません」

「いやいや、生きかえったこと実感できるだろ」

「そうですね」

「天童君みたいな転移者は結構いてね。彼らの集まる食堂があるんだが、その前に一つだけ済ませとうこうか」

「何をです?」

「天童君はお金を持っていないだろ」


 言われて気が付いた。言葉が通じないだけでなく、お金もないのだ。女神様はこんな状態で放り出してどういうつもりだったのだろう。シバがいなければ浮浪者になっていたかもしれない。


 この世界では魔石を加工した貨幣が流通しているらしい。魔石に含まれる魔素の含有率により、石は輝きが異なり、一番下のランクの黄貨、次に緑貨、青貨、赤貨となる。さらに上に白貨とあるが、一般には流通していない。それぞれ10枚で次のランクの貨幣と交換になる。黄貨は10円程度の価値しかなく、宿代は朝夕二食付で青貨3枚程度つまり3000円くらいが相場だそうだ。


「そんなわけで、三日分くらいの生活費として青貨10枚貸そう。その間に冒険者登録したりして生活の基盤を整えるといい」

「何から何まですみません」

「気にするな。困ったときはお互い様。ただ、申し訳ないんだが、同郷の人間とはいえ、さっき知り合ったばかりなんだ、一応形だけでも借用書を書かせてもらっても良いだろうか?」


 借用書という響きに一瞬俺の顔が曇ったのを察したのだろう、シバの表情が泣きそうなほど崩れるのを目にして俺はあわてて言い繕う。


「あ、いやいや、すみません。もちろん、問題ないです。見ず知らずの人間にお金を貸すとか、良く考えたらそうですよね」

「そ、そっか。よかった」


 顔を輝かせて子供のように明るさを取り戻してくシバを見ていると年上なのだろうかとさえ思った。純粋そうな人だ。


「ごめん。ちょっと気を悪くさせちゃったよな。君を信じていないわけじゃないんだ。ただ、転移者にお金を貸して、そのままってことが続いてね」

「そんな酷いやつがいるんですか!こんなに親切にしてもらっておきながら!!俺は大丈夫です。むしろ利子つけてちゃんとお返ししますよ」

「はは、天童君は本当にいい奴だな。でも、利子のことなんて考えなくて良いよ。大丈夫だから」


 知らず知らず言葉を荒げてしまった俺をなだめる様に、シバはやさしい笑みで僕の怒りを静めてくれる。不届きなものへ怒りを感じているはずなのに、彼はもう過去のことだからと涼しい顔をしていた。

 大人だな。

 シバさんは本当にかっこいい。

 過去に遭遇した不届者の話をしているうちに、ブランが契約書を用意した。


              クグサハシンドナ


 1.テンドウはシバより青貨20枚をバドイア暦303年メルバイナに借り受けた。


 2.テンドウはシバにドトメルアガまでに返済するものとして、遅れる場合は

  パラミンケドイシとすること。


 3.双方に諍い起きた場合は、シューメリアの法の判断にゆだねること。


                                                     』


「”クグサハシンドナ”ってどういう意味なんです」

「言語理解3だと、認識が出来ない単語になるのか。借用書という意味なんだがスキルポイントを割り振るかい?」

「いや、説明してくれるなら大丈夫です」


 残り20ポイントしかないのだ例え1ポイントといえども大事にしておきたい。


「メルバイナっていうのは?」

「メルバイナっていうのは月に該当する言葉で。この世界では一年が280日。一月20日で4番目の月がメルバイナという」

「えっと、そしたらこのドトメルアガも」

「そういうこと9番目の月ってところ。一応100日くらいの期限にしたんだけど、不安かな」

「いえ、それじゃあパラミンケドイシっていうのは」

「遅れるときは連絡をって意味なんだよ。相談してくれたら力になるから、遠慮せずに言ってくれ」


 俺はうなずいた。

 意味のわからない単語はあるものの、説明を聞けばすべて納得がいく。3項目目は、不届きな輩のように踏み倒そうとした人間に対して、そのときは裁判で争います。ということだろう。

 じゃあ、残す問題は一つだけだ。


「借りるのは青貨10枚のはずですよね。なんで20枚なんですか?」

「すまない。説明が足りなかったね。君は商人に絡まれていただろ。あの時、駄目にしてしまった商品代金として代わりに支払ったものを含めさせてもらったんだ」


 あっさりと疑問点は解消される。

 そして肝心の契約には血判が必要らしくシバが先に指先にナイフを刺して血判を押すと、俺にナイフを渡してきた。俺がためらっていると、シバが優しげに微笑んだ。


「そうだよね。冒険者になるとケガが日常茶飯事になるんだけどね。普通は怖いよな」


 シバの手を借りて血判を押すと契約と引き換えに青貨10枚というこの世界の通貨を手に入れた。仄かに光る不思議な硬貨に思わず見とれていると背中をバシンと叩かれた。


「飯にしよう。さっき言った食堂で皆に君を紹介しよう」

「そうでしたね。ありがとうございます」

「ああ、彼らも冒険者として生計を立てているし、いろいろと教えてもらうと良いだろう」


 シバの家を出た俺たちは10分ほど歩いたところにある食堂に入った。太陽もかげり、空は赤くなり、街灯に灯がともり始めていた。食堂はかなり広くテーブルだけでも20ほど並んでいたが、その一角で冒険者装束の者たちが飲み物と食べ物を並べて談笑していた。男4人に、女が1人。日本人っぽくないのも一緒だった。

 そんな彼らは俺たちに気が付くとなぜか空気を一変させた。


「何しに来たんだ鬼畜が」


 日本人っぽい顔立ちでソフトモヒカンの男がゆらりと立ち上がる。

 

 鬼畜?


 なんだそれ。嫌悪感をあらわにしているのは、鳥頭だけじゃない。ホストのような優男、おどおどとした少し太り気味の青年。ツインテールの少女、青い瞳をした短髪の欧米人。合計十個の瞳が汚物を見るような目でシバに注がれる。

 そんな視線を受けても、彼は涼しい顔で俺の背中を押した。

 

「元気にやっているようだな。感心感心。新しいお仲間を紹介しよう」

「天童です。宜しくお願いします」


 5人は一斉にため息をついた。彼らの顔に表れたのは同情の心。『地獄へようこそ』との言葉とともに、リョータ、シン、ハルナ、チャド、トモとそれぞれの自己紹介を受ける。


「まだ何も理解できてないんだろうけど、そこのシバという男は外道だ」

「な、何てことをいうんですか?シバさんは困ってる僕を…」

「助けてくれて、スキルの習得方法やこの世界のことを教えてくれた。その上、お金まで貸してくれたと」

「え、ええ。そのとおりですが…」

「ちなみに言語理解は何ポイントにした?」

「3です」

「だよな。普通ならそうする。こっちの言葉が理解できなきゃ話にならない。でも、貴重なスキルポイントを無駄にはしたくない。だから、言語理解を誰もレベル4まで上げないんだ。それがシバの狙いだよ」

「ど、どういう?」

「借用書の文言、理解できなかっただろう」

「え、ええ。でも、そこはシバさんが…」

「全部でたらめだよ。天童君は気付かないうちにクソみたいな借用書に契約させられたんだ。俺達も人のことは言えなんだけどな。全員シバに借金している」

「で、でも、借りたのは1万円…いや、僕の場合は2万円か?そのくらいなら何とか」

「ならねぇよ。だからいっただろ、こいつは蛆虫だって。いいか…」

 

 ドトメルアガは9番目の月の呼び方などではなく10日後という意味。パラミンケドイシは利息が1割であること。そして、シバの語った最大の嘘は貨幣価値について。

 黄貨、緑貨、青貨、赤貨、白貨、とシバは説明したが、青貨と白貨の順列が本来は逆なのだ。青貨は一枚で10万円相当を意味している。


「それじゃあ、俺の借金は200万ってこと?しかも、トイチってことは、10日後に20万円の利息が付くんですか!」

「そういうこと」

「そ、そんなの詐欺じゃないですか!!!」

「確かに。ただし、契約は合法。この世界にも警察はあるけど、訴えたところで意味はない」

「そんな…」


 あんなに親切だったシバがそんなことをするはずはないと、背後を振り返って彼を見上げた。そこにあったのは恐ろしく冷酷な瞳を携えた悪魔のような男だった。優しい笑みなどもはやどこにもない。騙されるほうが悪いと、その目が語っていた。


「子供のころ親に教わらなかったのか?知らない人について行ってはいけませんって」


 シバは紹介は終わったとばかりに、背中を見せて去っていく。


「座りな。金は貸せないけど、この世界のこと正しく教えるから」

「そうだよ。君に必要なのはまずは情報。それが欠けてるからあんなのに騙されたんだからさ」


 俺はへなへなと力なくして座り込んだ。


「みんなは冒険者として稼ぎってどのくらいあるんです」

「正直10日で青貨20枚は今すぐどうにかなる金額じゃない。俺は冒険者になって5年になる。Fから始まるランクは現在C。そんな俺が受けられる仕事でも最大で青貨5枚ってところだな。もっとも、その規模になると日帰りの仕事ではなくなる」

「僕は二日前にここにきて、今日初めてギルドで仕事をもらったんだけど、白貨で5枚だった。宿代と食事代でほとんどとんでしまう」

「そんな…じゃあどうしたらいいんです」

「まずは手元にある青貨を1枚残して返済しな。その一枚で服とか装備を整えるんだ。トモが言ったように、とりあえずの生活だけならFランクの依頼で生活はできる。あとはスキルを慎重に選んでパーティを組むといい。トモも初心者だから、組んでもいいと思う」

「うん。僕もこっちの人より天童君のほうがいいかも」

「みなさんでパーティ組んでいるわけじゃないんですか?」

「残念だけど冒険者ランクが違うからね」

「Fランクと一緒に冒険に出てもうまみはないんだ」


 それもそうかと納得する。


「返す目途は立っているんですか」

「立ってるとは言い難いかな」


 唯一の女性であるハルナが借金について詳しく説明してくれる。10日に1割の利息が付くのだが、単利なので元金に対してのみ利息は発生する。一枚残して返却しても借金は11枚。10日毎に青貨1.1枚。一年でおよそ30枚。暴利にもほどがある。Fランクじゃ、利息も払えないからどんどん増えていく。


「Bランクまで上がれば、報酬は格段に上がる。そこまでいけば返済は可能だ。Cクラスの俺はぎりぎり借金を増やさないようにできる程度だな」

「そういうこと。私たちは働きながら返済してるけど、いまも増え続けてる」


 乾いた笑いが起きる。

 ここにいる人たちは諦めているのだ。

 こんな奴隷のような生活を。


 俺はそんなのは嫌だ。

 こんな横暴を許してたまるか!

 

「なあ、スキルについて教えてくれないか?」

「スキルについてはもちろん説明する。でも、無駄なことを考えるのはよしたほうがいい」


 俺の意図を悟ってか、チャドがそんなことを言ってきた。


「あの人ってそんなに強いんですか?」


 見た目はシバよりリョータのほうが強そうな印象を受けた。最後の冷笑には恐怖を覚えたけども、優男という印象を変えるものではなかった。


「直接戦闘を見たことはないが、聞いた話だとAクラスの冒険者も含む数人で強襲したことがあったらしい。だが、すべて返り討ちにあっている」

「それって…」

「天童君には想像しにくいだろうけど、Aクラスの冒険者っていうのはドラゴンの討伐に出かけるような規格外の連中なんだよ。それでも通じなかったらしい」

「そんなに強いんですか?」

「まあ、噂といえばうわさに過ぎないんだけどね」


 断りを入れてからハルナが続ける。


「王様が使う絶対防御並の魔道具を持っているらしいの」

「それ以外にも金にものを言わせて、あらゆる魔道具で身を守っているらしい。人は信用しないらしくて護衛はいない。いるのはブランとかいう白髪の男だけ。ただ、あのブランも基本的には戦闘タイプじゃないらしい」


 絶対防御なんて反則臭いものだけど、ここが異世界だと思えばあり得るのかもしれない。そう思った瞬間、俺は頭を振った。


 また、騙されるのか?


 目の前の五人は、どう見てもいい人そうで同じ被害者だ。

 でも、”いい人そう”というのなら、シバはその最たるものだった。もしかしたら、五人は俺がシバに逆らわないようにするために用意された駒じゃないのか?

 強いと思わせることで、初めから従わせるために。


 考えるほどにこれが正しいことのように思える。


 情報が大切だと彼らも言った。

 だとしたら、話を聞くべきは”同郷”の人ではなく現地の人間ではないのだろうか?

 そう思うと五人の笑顔が酷く歪んだものに見えてきた。


 逃げ出すように食堂を出た俺は紹介された宿ではなく別の宿に入った。そこで集めた話によると、金銭の価値についてはリョータの言うとおりだったし、宿の相場も正しかった。だからといって、全部信じるほどバカではない。

 ナイフなんかを手に入れて、記憶を頼りにシバの家を訪ねた。


「遅くにすみません」

「どうしたんだい?」


 まるで何事もなかったかのように爽やかな空気すら纏っている。それが余計に癪に障る。


「スキルボード?っていうんですか、使わせてくれませんか?」


 屑を相手に敬語を使って話すだけでも吐き気がする。


「かまわないよ。もう決めたのか。君は選択が早いね」


 剣術、槍術、弓術、体術、棒術、鞭術、魔術(元素)、魔術(次元)、魔術(精霊)、魔術(神聖)、魔術(召喚)、敏捷、回避、物理耐性、魔法耐性、状態異常耐性、錬金、鑑定、空間把握、水呼吸、ネルドラ語、ハバラキ語、古代語、詐術、交渉術。


 選択ができない項目もあって、選べるのはこれだけだった。

 選択するとしたら体術だ。おそらくそれが基本となるはずだ。体術をタッチして限界値であるレベル5まで上げる。たったそれだけのことで、自分の体全体を掌握できているような感覚がわいてきた。次に必要なのは敏捷だろうと、それもMAXまで上げる。

 あとはもっと情報を集めてからでも遅くはない。


「ゆっくり考えな」


 余裕たっぷりに俺の様子を見ている。吠えづらかかせてやる。そんなことを考えながらも、俺はできる限り冷静を装う。


「とりあえず青貨9枚戻すから、借用書を書き換えてくれませんか?返済じゃなくて、もともと11枚だったことにしてください」


 とにかく目の前に借用書を出させないと話にならないのだ。

 問題ないよと、後ろのキャビネットから借用書を取り出すシバを見て内心ほくそ笑む。ポケットの中から青貨を取り出し、テーブルの上に無造作にバラまくと青貨はコロコロとテーブルの向こう側に転がっていく。


「すみません」

「気にするな」


 コインを追いかけて背中を見せたシバに、腰に隠していたナイフを抜き一瞬にしてシバの背後に移動する。体術レベル5は伊達じゃない。イメージ通りに体が動いた。コインに手が伸びたシバの首にナイフを突きつける。


「悪いな。けど、騙されるほうが悪いんだろ」


 声一つ上げないシバを尻目に、ナイフとともに手に入れた着火装置を使ってテーブルの上の借用書に火をつける。借用書は一瞬にして火に包まれ、灰一つ残さず掻き消える。


「なんだよ。簡単じゃないか。なんで、だれもやらないんだ。いやいや、やっぱりそういうことだろう。あそこにいた冒険者っていうのもサクラなんだろ。本当は戦う力もないくせに、逆らうだけ無駄だと思わせるために雇ってるんだ。詐欺師らしいっちゃらしいけど、爪が甘かったな。子供だと思って舐めやがって」


 シバの首元からナイフを引くと、力いっぱい蹴りつけた。体術レベルが上がっていたからか、俺よりも大きなシバの体を軽々と壁際まで弾き飛ばした。

 抵抗の素振りすら見せないシバに唾を吐き捨てる。


「同じ世界の人間を騙すとか、お前本当にクズだな。これに懲りてほかの人間には手を出すなよ。そうそう、さっき返すって言った青貨はもらっとくわ。慰謝料ってことで」


 散らばった青貨を拾い上げて、俺は事務所を出て行った。



□■□■□■□■□■□■□■□■


 静かになった室内。

 壁際で死んだように動かなかった体が小刻みに震えだす。


「くっくっく」

 

 笑いが止まらず息ができないとばかりに苦しそうに顔をゆがめると、大きく息を吐いてシバは立ち上がる。キャビネットから一枚の紙を取り出した。天童に燃やされたはずの借用書である。


「なあ、ブラン。若さっての罪だと思わないか?」

「どうでしょう?」


 誰もいなかったはずの空間がゆがみ白髪の男が姿を現す。

 

「罪だよ。それに無知はもっと罪だ。高校生というのは実にいい。大人でも子供でもない。自分は大人のつもりで賢しらぶっているが、まるで考えちゃいない。日本の義務教育が考える力を奪うせいでもあるから、ガキどもが悪いとは言えないがな」

「シバさんの世界のことはわかりませんけど、そうなんでしょうね。ここに来る連中は基本流されてばかりみたいですし」


 サクラなどいない、すべて被害者だ。騙された直後の人間は、他人を信用できない。ゆえにこういう事態が起こることもシバの想定内。

 出した借用書は本物である。

 一つの目の無知は、借用書が魔道具だと知らなかったこと。借用書は破ろうと燃やそうと、契約が履行されるまでは再生する。そして、最大のミスはシバに対して暴力を振るったことである。


 繰り返すが、無知は罪である。

 二つ目の無知は、”シューメリアの法”を知らないこと。契約は対等であり、双方合意のもとに行われる。契約者双方とも暴力は禁じられている。それゆえシバも暴力的な取り立てができないという制約はある。

 借金契約の場合、借主が暴力行為を行った場合は利率が倍になり、逆を行えば利息はなくなる。

 

 天童の借金は青貨20枚。

 本来なら10日で2枚で済むところが、これからは4枚になる。年間112枚。

 ここまで行くと、天童がBクラスに上がっても返すのはかなり先になるだろう。


「あなたって本当に外道ね」

「誉め言葉として受け取っとく」


 突然降ってわいた鈴の音のようなソプラノボイス。いつの間にか背後に立っている女神を見ても、シバは動じない。近くにいたブランは別の意味で動きを止めていた。世界が停止しているのだ。


「もう十分稼いだんじゃないの?」

「かもしれないな。で、それがどうした?」

「あなたの世界の言葉でソシオパスっていうんだっけ」

「反社会性人格障害か? 女神の癖にひどいことを言うな。法には触れてないし、人を殺したことは一度もない」

「殺すより酷いことしてるのに?」

「片棒担いでるやつがよく言うぜ」


 女神の顔が分かりやすく陰りを見せた。天界に来て早々、状況をあっさり理解したうえで神をも騙し契約を結んだシバという男を、公平な存在であるはずの女神はにらみつけた。

 だが、そんな視線さえも肩をすくめて受け流しソファにゆっくりと腰かける。女神は転移者に必要な情報を与えることなく送り出すことしかできないのだ。シバの高笑いの聞こえるこの街に。

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