第23話 最後の夏

もし野球の神様がいるとしたら、それは無情だ。いたずらに試合を引っ掻き回す小鬼のような存在だ。


雨のせいで姉は手を滑らせたのか。

失投だったと思う。

真ん中の甘い球を、バッターは見逃すことなく振り切った。


センターにはじかれた打球は跳ねることなくベチャリと禿げた芝の溝に納まる。ケンゴ君は慌ててボールを拾いに走り、ホームに返球する。


走者は2アウトということもあり、バットがボールに当たった瞬間に走り出していた。躊躇なく走り出していたランナーはすでに三塁ベースを回っている。


ケンゴ君の送球がワンバンし、キャッチャーミットに納まるころには、滑り込んだランナーの左手がホームベースに触れていた。


「セーフ!」


遂に拮抗が破れられた瞬間だった。先取点を手に入れた相手ベンチは活気だっている。


「ドンマイ、ドンマイ」

味方の声援を受け、姉は気落ちすることなく冷静に1番バッターを三振に仕留めた。


5回が終わりベンチに戻ると、主審が私達に歩み寄ってきた。


「今からグランド整備をしてみますが、雨で試合続行が困難と判断した場合、このイニングで最終とさせてもらいます」


平然と主審に言い渡され、ベンチ内は騒然としていた。それは、この回で点が取れなければ終わりということ。


この回は下位打線。まだ、次の回ならば可能性があったのに。そんな気持ちを押し殺し、私は濡れたアンダーシャツを着替えようとベンチ裏審判控室前の女子トイレに向かっていた。


「痛ッ。触らないでよ」

「おい、いつからだ」

「いつからだっていいでしょ」

「次からピッチャー交代だ」


姉とシンジさんは主審の言葉を知らない。


「いやよ。次を抑えれば、まだ可能性があるじゃない」

「それでもだ。この回で点が入ったとしても交代だ」

「あんたはいいわよ。私は最後なの。最後の夏なの」

「俺にとってもアオイと野球ができる最後の夏なんだよ」

「だったら肩くらい壊れたっていいわよ!」

「ふざけるな!勝って、次の試合も次も、次も、俺はアオイの球を受けるんだよ。受けたんだよ。わかれよ」


立ちすくむ私、涙を流す姉を見るのは初めてかも知れない。いつも、気丈に振る舞う姉に、今はかける言葉が見つからない。



「どうした?」

シンジさんと目が合い戸惑う。

「審判の人が雨が強まれば、この回で最後と言ってました」

「そうか。ユイナ、投球練習はじめるぞ」

「でも、この回で、、、」

「ユイナ!投球練習はじめるぞ」


姉を気遣ったのか、私に気遣ったのか。

シンジさんは私をブルペンに促した。

外の雨音が遠くに木霊するブルペンに、スパンとキャッチャーミットの音が悲しく鳴り響く。


「おい。もうすぐ、始まるぞ。アオイはどうした?泣いてるのか」

キャプテンの声にシンジさんはゆっくりと首を縦に振る。


「すまんな。本来なら俺の仕事なのに」

「いいんだ。これもキャッチャーの仕事だ。それに、お前まで落ち込んでたんじゃ、勝てるもんも勝てやしないよ」


「うっしゃ。そうだな。勝つぞ」

「ああ、キャプテンはそうでなきゃ」

「勝ちましょう」


空元気。それでも、私は後に続くように気合を入れた。明るいキャプテンの登場にベンチ内は息を吹き返す。みんなが一丸となって先頭バッターのリョウタ君に声援を送る。


全力で声援を送っても、リョウタ君の力強いスイングは空を切った。淡い期待をも許さない、相手ピッチャーの速球。それに加えて早くなる雨足。私達は動揺を隠すことが出来なかった。


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