第11話 勝利を掴み取れ

 バッターボックス。

 僕はホームベースをバットでトンと叩くとバックスクリーンに向ける。


「シャー!」


 声を張り上げ、気合いを入れ構える。

 ツーアウト、ランナー1塁。

 ケンゴから盗塁のサイン。

 ハヤトがスタートが切れたら、倒れるくらいの空振りをしてやって助けてやる。


 ピッチャー高柳は、足を上げ、一度ランナーを見て威嚇してから投げた。


「走った!」


 内野から聞こえる声。ストライクゾーンに吸い込まれる白球。よしっ空振りしてやる。絶対に助けてやる。


 そう思うが、ボールが全然手元に来ない。

 走馬灯のように世界はゆっくりと動いている。


 僕は不思議な感覚の中、イヤに頭は冴えていた。ゾーンに入ってる。あれだけ騒がしかったスタンドの熱狂はやけに静かで、自分の心臓の鼓動だけが近くに聞こえた。


 目線があちこちに飛び、ありとあらゆる情報が、頭の中を駆け巡る。


 二塁へ走るハヤトはかなり出遅れている。さすがのハヤトでも危うい。


 高柳は凄い剣幕で投げ切っている。決して、このゆっくりと流れる白球がスローボールでは無いと証明していた。


 微かに映るベンチでは、皆が声援を送っている。アオイなんて、ベンチから体を乗り出してる。試合の為に短く整えられたショートヘアの黒髪が夏風に弄ばれ、クリッとした大きな黒目は僕を一直線に見ている。


(あぁ、もっとアオイと野球してぇな)


 僕の意識とは別系統でバットを握る手に力が入る。体は無意識のまま動く、目線も白球に切り替わる。夢でも見ているかのようだった。


「キーン!」


 金属音。それを皮切りに全ての音が耳に入ってくる。ゆっくりと流れていた白球は左中間へ勢いよく飛んでいった。

 体は僕の指示を受け付けて、一塁へ走り出す。一塁ベースを蹴り、2塁に滑り込み素早く立ち上がる。


 後方守備をしていたセンターは思いの外、早くボールに追いつき、中継するショートにボールが繋がる。


 ハヤトは三塁を蹴り、水を得た魚の様に颯爽と駆け抜ける。昔から野山を駆け、遊ぶ時はいつも、僕やアオイの前を走っていた。そして今日も僕の遥か先を走る。


「ハヤトー、いけー!」


 僕は右手を突き上げ、大声で叫んでいた。

 リョウタが転がるSSKのバットを引き、腕を大きく振り下ろし、バックネット側に誘導する。


「左!左に滑れ」


 ショートからはワンバンで相手キャッチャーミットに届く。

 ハヤトは掻い潜る様に足から滑り込み、左手をホームベースに伸ばす。


 2塁ベースからじゃ、よく見えない。どっちだ。一瞬の静寂。僕もゴクリと息を飲む。


「セーフ、セーフ。」


 主審の一声で蜂の巣を突いた様に、味方ベンチから飛び出したメンバーが、ハヤトに駆け寄る。僕も上げた右手を下げるのも忘れて、駆け寄った。


 その後は感動と興奮で良く覚えてない。

 主審に促され礼をし閉会式をした。3位は確かみどりが丘小だったと思う。その辺も曖昧だ。


 急遽、親たちの車に乗せられ、ヨシユキの父親の計らいで、知り合いの蕎麦屋を貸し切って祝勝会が開かれた。


 僕らは息をする度にしゃべりまくり、大人達もはしゃぐ。蕎麦屋なのに、唐揚げが異様に美味かったのは、頭の片隅に覚えている。



 次の日、学校に行くと、昨日の事は夢だったのでは無いかと思う程、いつも通りの日常があった。皆は、もうすぐやって来る夏休みについて、あれこれ話し合っている。


 それでも、眠気を吹き飛ばす程の明るいアオイの「おはよう。」を聞くと、なんとなく昨日の興奮が蘇った。


 その後、夏休み前の全校集会では野球部を代表してコウキが壇上に上がり、表彰状を校長から手渡されと、やっと実感が込み上げてきた。 

 校長も14年ぶりの快挙で部員の少ないうちの学校が県に行くのは非常に素晴らしいことだと絶賛していた。

 いつもはかったるい校長の長話に、始めて耳を傾け、こそばゆく感じながらも、達成感を噛み締めた。


 その後の県大会の準備期間だが、良いことが一つと困った事が一つ。


 まずは、困った方から。

 県大会の組み合わせを決める抽選会に行った両親が、宇都宮から帰った時の事だった。母は勝ち誇った顔で息子の顔をにたーっと見る。


「シンちゃん、凄いよ。一番よ。母さんは一番クジを引いたのよー」


 宝くじを当てたテンションで話される。

「初戦の相手は?」と聞くと「知らないわ」と答える母。一緒に行った父親に烏山だと教えてもらった。


 別に対戦相手が強くて困った訳では無い。烏山小はうちの学校と同じくらい田舎の学校だ。飛び抜けて強いという情報も無い。


 問題は1番くじを引いた事だ。1番くじを引いた学校は開会式の時、選手宣誓を行わなければならない。急ピッチで内容を考え、緊張に弱いキャプテンのコウキは、毎日ぴーかん照りの校庭のど真ん中で宣誓の練習に明け暮れ、日増しに野球部の名物となっていった。



 良い事は、夏休みに入り保護者が取っ替え引っ替えで練習に参加してくれた事だ。話好きの母としても退屈凌ぎで楽しそうだったが、僕としても嬉しかった。


 いつもは僕がやるシートノックを代わりにやってくれた。リョウタの父親が、僕の父親よりノックが上手いのには驚いた。


 ヨシユキの父親は外野に飛ばないし、コウキの父親は飛ばし過ぎるなんてハプニングもあったけど、こうして僕がピッチング練習に集中出来るのはマジでありがたい。


「まだ投げるのか!ノックも終わるし、そろそろ上がらないと。オーバーワークは故障のもとだぞ。」


 僕がそう言ってもアオイは言う事を聞かない。


「ハイハイ。わかった、わかった。じゃあ後5球ね。ほら座って、座って。」


 こんな調子でいつも丸め込まれてしまう。

 夕涼み、ひぐらしの泣く校庭。野手はノックを終えて、ゆっくり走りながらダウンに入っている。来週からは試合も近いし、練習時間短めで調整しないとな。なんて、ふと考える。


 去年だったら、もう六年生は実質、引退してるもんな。そう言えば、ココからは今まで味わった事の無い夏が始まるんだな。

 浸っているところに罵詈雑言が耳に入る。


「うわ。女がピッチャーやってるぜ。」


 西陽に照らされたアオイを、下校する下級生が指をさす。そんなこと構わず、アオイは最後の夏でも味わうかのように、気持ちの良いぐらいキレのあるストレートを投げた。

 目の覚める様なボールの軌道。スパンッと気持ちの良い音が、朱色に染まる校庭に響く。


「うわっ、スゲー、かっちょいい。」


 興奮する男の子にアオイは満足そうに鼻を擦る。僕もアオイが認められ、アオイが褒められるのは、純粋に自分の事のように嬉しい。男だとか、女だとか、そういう隔たりは、今の僕らには必要ない。


 最後に軽くキャッチボールをして、お互いの距離を縮めていく。

 アオイはふぅと息を吐き、帽子でパタパタと仰いだ。艶のある黒髪ショートヘアが風に揺れる。隔たりはない。でも、僕だって男だ。


「かわいいな」


 迂闊にも僕の声は漏れ出てしまう。


「えっ?何?」


 覗き込むクリッとした瞳に僕を伏せる。


「な、何でもねーよ。」


 不躾に言葉を吐き出し、校庭をゆっくりランニングするメンバーのもとへ逃げ去る。その後ろをアオイは何も言わずに着いて来た。


 そんな僕らをオレンジ色に染まった入道雲が、優雅に泳ぎながら眺めていた。


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