最後の夏、最初の夏

第10話 存分に楽しめ

　高柳はキャッチャーミットだけで無く、スイングでバットまでも豪快な音を鳴らす。

　1打席目、外角低めを本塁打に

　2打席目、内角低めをセンター前ヒットに

　3打席目、外角高めを左中間を抜く二塁打に

　ほんと。嫌なバッターだ。何処に投げれば良いのかまるでわからない。

　高柳はバッターボックスに入ると、左軸足でガリガリと地面を削り、イチローの様にグィーとバットを持った右の肘を伸ばす。

　スッと構え、軸足に、体重を乗せテイクバック。すると、ピタリと体を静止させ、次の瞬間、素早いスイングスピードでバットを振り切った。

　初球、内角低めをバチコンと叩く。無理矢理引っ張った打球は一塁ベースの外。

　ファールだったが、力強く弾かれたボールは今なお外野の芝生を勢いよく転がっている。

　やばいな、これは敬遠で歩かせるか。ふと、頭をよぎる打開策。アオイは首を振らず投げるだろうか？たぶん、投げる。

　頑固なアオイだが、今まで一度も僕のリードに首を振ったり、不平不満を漏らす様なことは無かった。信頼されてるのかね。僕はマスク越しに少しニヤけてみる。

　外角低めのストライクゾーン、ボール一個分外にニ回立て続けて投げる。一つはファール、もう一つはボール。

　追い込まれてからも、高めのつり球には手を出さなかった。こんな場面でも非常に落ち着いてやがる。

　ツーストライク、ツーボール。

　追い込んでるはずなのに、こっちが追い込まれている気分だ。投げる球がない。

　低めは両サイドとも攻略され、高めは長打になる危険性が付き纏う。そして、つり球には手を出さない。パワプロのオールAチート級バッターにどう立ち向かうか。

　阿部慎之助なら、どうリードする？

　城島健司なら、古田敦也なら、どう立ち向かう？

（敬遠だ、敬遠しろ、敬遠しかない。）

　脳裏に響く歴戦の覇者の声。

　僕は右手でパンパンとミットを叩き、ど真ん中に構える。たとえ、試合に勝って、皆んなが笑っても、そこにアオイの笑顔が無ければ意味がない。

　頭がどうこう思っても、心が体を突き動かす。

　アオイは不敵な笑みを浮かべると、ロジンパックを弾き、滑り止めをペロリと舐める。セットポジションから大きく身体を動かしテイクバック。華奢な腕を振り切り、細くキレイな指先から放たれる速球が唸りをあげる。

　エース対エースの意地の張り合い、ぶつかり合い。今日一のアオイの速球は、高柳のバッティングセンスをも凌ぐ。

　カツンと当たったファールフライ、マスクを外し晴天の空を仰ぐ。白球はキャッチャー後方を浅く浮遊している。

　絶対、捕ってみせる。

　僕のアシックスのスパイクが地面をガリっと噛むと、僕は無我夢中で白球に飛びついた。

　昼の炎天下の乾いたグランドに、大きく舞い上がる土煙。それを夏間近の湿っぽい南風がなぎ払う。

「アウトー！」

　主審の力強い声に、ドッと湧くスタンド。

　僕は行き交うチームメンバーとグラブでハイタッチ。

　最高の高揚感と鳴り止まない胸の鼓動。

　まだ勝ってないというのに、立ってるだけなのに、笑顔が溢れた。

　七回裏、僕らは運良くも一番から。

　期待は高まる。

　しかし、高柳も一歩も引く気はないらしい。むしろ、さっきの打席で火がついたのか、後半戦とは思えないほどの球威を見せつける。

　流石のユウキも、手も足も出ないまま、三球三振に沈められる。

　タツヤは右バッター。左利きの高柳とは相性が悪い。懐に食い込んでくる、内角のストレートを攻略出来ずにいた。

　それでも、タツヤはホームベースギリギリに立ち、内角を投げてみろと威嚇するように構えた。

　これには、ピッチャーも集中力を欠いたのか、高柳はキャッチャーのサインに首を振り、豪速球を執拗に内角を攻めてくる。

　タツヤはバッターボックスの位置をチョコチョコ変えながら、怒り狂ったビーンボールに、避ける姿勢を見せながらも、避けれないフリをして、

「デッドボール」

　体を張った結果の貴重なランナー。

　しかし、タツヤは一塁まで走れない。

　僕達はタツヤに駆け寄る。コールドスプレーをかけ、ユニフォームの裾を捲し上げる。

　軟式だというのに、青くなった大腿が痛々しい。

　代走に隼人を起用する。

　会釈もせず高柳の謝る態度はない。僕もコウキもカンカンだ。

　コウキは怒りの表情を露わにして、バッターボックスに入った。

　命懸けの出塁でサヨナラのランナーを手に入れた。

　ワンアウト、ランナー１塁。

　ハヤトはリードを大きく取るが、左ピッチャーの前に、気持ちの良いスタートが切れない。さすがに、足が速くても急ピッチで練習も程々しかできてないから仕方がないが、陸部最強のスプリントとしての彼の足を知ってるだけ、どうしても期待してしまう。

　二度、盗塁を試みるも、実りある結果には結びつかない。ハヤトはスタートが切れぬまま、逆にそれが仇となり、コウキはツーストライクまで追い込まれる。漲る力は良からぬ方向へ向かう。内野にフライが上がった。

　コウキは手に持つバットをぎゅっと握る。吐き出す事の出来ないやるせ無い気持ちに潰れそうな面をして、僕の横を通り過ぎる。

「すまねぇ、後、頼む」

　消え去りそうな声が、僕の耳を掠めた。

　僕は振り向きコウキの肩に触れる。

「あぁ、任しとけ」

　強がった。見栄を張った。勝算なんてあるはずない。だから僕は強がった。気持ちで負けたら終わりだ。試合も夏も何もかも終わりだ。それぐらい、今が大切なんだ。

　SSKの金属バットを携えて、僕はゆっくりとバッターボックスに向かった。