第9話 楽しめ
未だ鳴り止まないサイレンの音と、ワーっと割れんばかりの歓声がとても耳障りだ。
高柳は優々とベースを回り、ホームに戻った。
アオイはボールの飛んだ先、0から1に変わった得点板をボーっと眺めていた。
僕は主審からボールを受け取ると、アオイの立つマウンドに歩いた。
「大丈夫よ。ほら、ボール。早く、渡しなさい。」
僕はミットを外し、両手でキュッキュッとボールを擦り、余分な滑り止めを拭い取り、アオイのグラブに押し込んだ。
そして、両手でアオイの頬を摘み左右に引っ張った。
「へっ?はにすんのほ。」
アオイはキョトンとした目をパチクリさせる。
「笑え。俺はアオイと野球すんの、楽しいぞ。」
「うっさい。バカ。カッコつけんな。サッサと戻れ。バカ。」
僕は主審に促され、急いでホームに戻り、主審とバッターに軽く会釈し腰を落とした。
人をバカ、バカと。それでも、嘘ではない。アオイが楽しそうに投げる姿は気持ちが良い。
バットは空を切り、スパン、スパンと小気味良いミットの音が鳴り響く。
野球って、楽しいな。
気づけば、アオイはニ番、三番のバッターを空振りの三振で仕留め、四番もセカンドゴロに打ち取っていた。なんだか、あっという間に感じられた。
一点取られたと言うのに、ベンチは明るい。
ベンチ上、応援スタンドでは、ヨシユキの父親がはちゃめちゃに太鼓を叩き、即席の応援団が思い思いに声援を送る。
そんな、声援を切り裂く様に、ズドンとミットの音が鳴り響く。更に近くで見る高柳のストレートは、やっぱりスゲー速かった。黄色い声援を受け、なんかムカつくけどエースだなと思った。
それでも、手が出ないという程、僕もビビっては無かった。それは、メンバー誰もが感じてたと思う。アオイと大差ない、寧ろ制球力でアオイが勝る。悔し紛れではなく本心からそう思う。
一番ユウキは、ツーストライク、ツーボールと追い込まれながらも、3球ファールで逃げるとフォワボールで塁に出た。
左ピッチャーから塁を盗むのは難しい。
ワンストライクから、ニ番タツヤはニ度の送りバントを試みるも、球威に押されスリーバント失敗。
ワンアウト、ランナー1塁で続くは3番コウキ。
バットを短く持つと、ワンストライク、ツーボールのバッティングカウントからの一打。
綺麗にセンターにはじき返し、ランナー1塁、2塁。この瞬間、皆の目には打てるビジョンが見えたに違いない。
ぞくぞくさせるほどの期待を込めた歓声。
僕は相棒のSSKの金属バットを携えて、バッターボックスに入る。
試合前、父に言われた通りにバットを短く持ち、心の中で「センター返し」、「センター返し」と念仏のように唱え、自分に言い聞かせた。
長身から振り下ろされるストレートは思ったより早くはなくて拍子抜け。それでも、ズドンという「それ、大砲ですか?」と聞き返したくなるキャッチャーミットの音に、審判の声も自然と力が入る。
「ストライーク」
なんか、みんなキラキラしてんな。目に映るすべての人が一生懸命だ。周りを見る余裕があるのは、良い事だ。
バットを握る僕の手もぎゅっと程よく力が入る。
2球目は外角低めだったと思う。無心で食らいついた球は、かなり良い手応えを感じた。
強烈な打球は二遊間を抜けると思った。
しかし、高柳は細長い腕を伸ばし、その長い手の中にボールは納まる。ピッチャー強襲のライナーを、類い稀な反射神経で捌き、その後、飛び出した一塁ランナーのコウキが、アウトでチェンジ。
僕達は貴重なチャンスを逃したが、新たなチャンスはニ回裏、思いの外、早く訪れた。
先頭バッター、五番のリョウタがセンター前にポトリと落とし出塁すると、六番アオイが何とか三球目でバントを成功させ、ニ塁までランナーを進める。
七番ヨシユキ、八番ユイナが内野ゴロで倒れるものの、九番ケンゴが、追い込まれてからもレフト前に綺麗にヒットを打って、一番に繋いだ。
打順は早くも一番に戻る。
2アウトながら、ランナー1塁、3塁。
バッターは一番バッター、ユウキ。
左バッターボックスに立ち、ゆっくりと構える。短く持ったバットを寝かす、ユウキ独特の構えとタイミングの取り方。
一球目、空振り。タイミングの合わないスイングはボールを掠めることもなく空を切り、当の本人はバランスを崩し、尻もちをつくように倒れこむ。
僕は、ランナーに出ているケンゴの代わりに、言われてた通りサインを出した。
ニ球目、ランナーは走り出す。ツーアウトからのセーフティースクイズ。
野手は意表を突かれて慌てて前進。
一打席目の粘りと選球眼を見て、一縷の望みにかけた。ケンゴの奇策というより、ギャンブルに近い采配。
さすがのユウキでも高柳のスピードボールを殺すことは難しい。それでもボールはサードライン際を転がる。
ユウキは一塁に頭から滑り込んだ。
「セーフ!」
塁審が大きく両腕を広げる。
記録は内安打。僕らは一点を返し、同点に追いついた。
その後はお互いに点を譲らず、六回を終え延長に入るのではと、消耗戦が頭をよぎる。
七回表、急にピンチはやってきた。
ツーアウト取ってからの九番バッター。
ふらふらっと上がった外野フライ。やや前進守備をしていたヨシユキは難なく落下点に入る。
だが、何かヨシユキの様子がおかしい。ヨシユキは右手で目を抑えている。
太陽だ!昼過ぎ、傾きだした太陽が、ヨシユキの目に容赦なく降り注ぐ。
ボールは地面に落ち、ヨシユキはチカチカする目で何とかボールを拾い、セカンドに送球するもバッターランナーは、ニ塁ベース上でガッツポーズを上げていた。
ツーアウトながら、ランナー2塁、一打で試合の局面が大きく変化する大事な場面。
ネクストバッターズサークルに片膝をつけて座っていた、長身の真っ赤なユニフォームに包まれた高柳が、此処ぞとばかりに立ち上がり大きく素振りをしていた。
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