第7話 悲劇を乗り越えろ

 四番徳丸は豪快に素振りをし、異様な風切音を鳴らしながら、左バッターボックスに入る。

 ずっしりと重たい空気が支配する。

 僕は場の空気に呑まれまいと一度タイムをとって、内野手をマウンドに集めた。


 コウキは悔しい感情を押し殺し、「すまん、すまん」と引き攣った笑顔で謝る。

 リョウタも御子柴兄弟も「次で決めましょう。」と笑顔を絶やさず、フォローに入る。

 僕もツーアウトである事を心の支えに励まし、ショートとセカンドは2塁フォースアウトがあることを改めて確認した。


 アオイとは、ランナーがいるがクイックは使わず、バッター集中で行こうと決めた。

 そう、僕はしっかりとバッター集中で行こうと決めたハズだった。


 キャッチャーミットを構えると、一瞬だが違和感を覚えた。僕は独特な空気感の中、あたりを見渡す。

 どんよりとした曇り空の下、アオイはロジンパックをポンポンと弾き、念入りに滑り止めをつけている。アオイの遥か先に映る木々はザワザワと揺れるも、色は無くグレーに染まって、萌えるような緑を感じてることが出来なかった。


 アオイは顔色一つと変わらず、体全身でボールを放つ。ほんと、肝が座ってるというか、僕もアレコレ考えるのをやめた。

 まずは高めに外す。こうゆう時は投げ急がないようにしている。


「走った!」


 良太の野太い声が耳に入る。

 すぐさまショートが2塁ベースに走る。何となく予想はしていたが、やはり、さっき感じた違和感は考え過ぎではなかった。

 打つしか無い場面で、しかも四番のバッターの打つ気のない仕草。バッターはピッチャーが投げると同時にバントの構えをして引いた。明らかに盗塁への助力だ。


 クイックモーションをしないと踏んで狙ったのだろうが甘い。

 僕は体を起こすと、アオイが放った高めに外したボールを、投げやすい胸の位置で捕球する。素早くミット翻しボールを持ち替え送球する。我ながらレーザービームと言っていい様な完璧な送球。


 ボールはピッチャーの頭上を過ぎ、ユウキの構えたグラブまで一直線に突き進む。僕はその軌跡に目を向けると、目線の端でアオイの顔が曇っているのに気づいた。


(しまった!)


 三塁ランナーの存在を忘れていた。

 投げ終わったときには、送球すると同時に走り出した三塁ランナーが僕の後ろを通り過ぎ、ホームベースを踏んでいた。

 一塁ランナーは、寸前で引き返しユウキにタッチされるも、サードランナーがホームに着く方が早く、僕らが望む待望の一点を逆に相手に与えてしまう結果となった。


 僕は完全に、向こうの術中にハマってしまったのだ。


 六回表、残り二回しか攻撃のチャンスが無いのに、ここでの一点差はかなり大きく感じる。僕達はベンチ前で円陣を組み、コウキの声で気合いを入れ直すも、先頭バッターのコウキはガチガチだし、僕も気落ちして後輩に励まされてるしで、お通夜みたいな空気だった。


 僕は気持ちのリセットを心がけるが切り替わらず、のっそりとネクストバッターズサークルに向かう。


「シンジ。おい、シンジ!」


 気落ちした自分に声をかけたのは父だった。

 父はガチャガチャとフェンスを揺すり、気づかせると、いそいそと話し出す。


「コウキにも言ったが、お前もバットを短く持ってバッターボックスの前に立て。そして、センター返しだ。デカイの打とうとするな。」


 僕が顔を上げて父の方を見ると、フェンスにへばりつく様にして応援する、親達の光景が目の前にあった。


 アオイと似て気が強そうな父親も、ユイナにそっくりな白く透き通った肌の母親も、リョウタと瓜二つのポチャっとした親も、ユウキとタツヤと書いたうちわを振り回す親も、賢そうなケンゴの親も、小さい背でグラサンかけたニヒルなヨシユキの父親も、生真面目そうなコウキの父親も、そして祈る様に握り拳を作る僕の母親も、皆んなコウキを一直線に見て、めいいっぱいの声援を送っていた。


 涙が溢れそうになるほど、エネルギッシュで感動的な光景だった。涙を飲み込む様に空を見上げると、雲の隙間から太陽が顔を出していた。


 カキーン!っと僕の背中から豪快な音がする。振り向くとボールは左中間に転がり、二塁ではガッツポーズするコウキの姿があった。

 

「大丈夫。」と父に背中を押してもらった僕の目には、コウキが雲から這い出る日差しに当てられて、とても輝いて見えた。


 僕らは強力な打線ばかりに気を取られて、事の本質を見逃していた。このチームにはピッチャーを生かすことが出来るキャッチャーが存在する。


 どうして、点に結びつかなかったのか、父の言葉を耳にするまで気がつかなかった。いや、考えすらしていなかった。


 僕はワンストライク捨ててボールの軌道を改めて確認する。回転の少ないボールはバッターの手前で、カクンとナックルのように不規則に変化し落ちる。これが僕らを苦しめたボールの正体だ。


 しかし、ピッチャーは意図して投げてる訳では無く、その証拠に二球目も決まった位置で変化する。それを、キャッチャーが上手く迫り上げる様にして捕球する事で、僕らの目を欺いていたのだ。


 ワンストライク、ワンボール。

 その後、ファールで追い込まれるが、僕は落ち着いていた。

 追い込まれても、僕は動じない。種明かしされたマジック程、呆気ないものは無いからだ。


 それて何より、僕は、勇気づけてくれる何人もの暖かい声援を、聞ける様になったのだから。


 変化する前にセンター返しをした。打球は低い弾道ながらも、内野の頭を超えていく。

 二塁ランナーは進める事が出来なかったが、ノーアウト、ランナー1塁、2塁としっかりと仕事を果たした。


 そして、美味しいところは、リョウタが根こそぎ持って行った。

 バットを短く持ち、バッターボックスの前に立ったリョウタは、初球から狙って行った。本人はセンター返しするつもりだったと後に語っているが、ボールは前進守備をする外野の遥か上空を通り過ぎ、隣接するB球場まで飛んでいった。


 僕は二塁ベースを踏むと、サードコーチャーのユウキがグルグルと腕を回す。少し大回りになるものの、足から滑り込み、ホームベースに手をつく。僕たちは、逆転に成功した。


 リョウタが巨体を揺らし二塁を踏むと歓喜が湧き上がる。

 すかさず、相手チームはピッチャーを変える。二番手も大したピッチャーには見えなかった。でも、やはりあのキャッチャー前に下位打線は、交換したピッチャーを捉える事が出来なかった。でも、流れはもう十分だった。


 最終回、アオイの球威は最後まで衰える事なく、相手のクリーンナップをピシャリを抑えつけた。







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