絶対に検索してはいけない彼女の名前

赤キトーカ

絶対に検索してはいけない彼女の名前の物語



一人の少女が

詩人として

歌手として

歌をうたいました


そのうたは

夜 静かに ひとりで

泣いている女の子たちのこころに

ひびきました




 病院の個室をノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 私はつとめて大きな声で返事をした。


「失礼します」


若い女性と、秘書というべきか、部下のような男性を伴っている。

「失礼します。島本舞様でいらっしゃいますね?」

「はい、女性のような名でしょうが、私は男性です」

保呂草ほろぐさ探偵事務所から参りました。海百合うみゆりと申します」


 海百合は名詞を名刺を差し出した。

 寝たままで失礼……、いえ、と言葉を交わし、私は名刺を受け取った。


「貴方も珍しい御名字でいらっしゃいますな」

「はい。よく言われます。出身は青森ですが、珍しいですね。全く多くありません」

と、少し微笑んで、質問され慣れているであろうことを、先に口にした。


「ご紹介が遅れました。後ろの者はサポート役と申しますか、部下です」

 彼女は部下という人物を一瞥し、目で合図を送った。

香具村かぐむらと申します。よろしくお願いいたします」

 皺ひとつないスーツを着こなして、いる。顔立ちも整っていて、女性だと言っても通るのではないかと思うほどである。事務所が探偵事務所だけに、案外そのようなケースもあるのではないかと思った。


 ま、楽になさって下さいと、あらかじめ用意しておいた安椅子に座っていただいた。


「早速ですが、ご依頼の内容をお伺いさせていただきたいと思います」

 海百合は言った。

「一言で言えば、人を探していただきたい」

 探偵の専門に違いなかろう。


「人、ですか。どのような方でしょうか?」


「女性です……が、赤の他人です。私が今、50を過ぎましたから、そうですね、40代前半くらいでしょうか」


「……そうですね。他人とはいえ、手がかりがあればたどっていくことは十分可能かと。その方のお名前ですとか、大体のお住まいですとか、そういったことはおわかりですか?」


 私はいくらか考え込み、間を作った。そして答えた。

「手がかりはかなりあるといえるでしょうね。ただ、昔の情報が主なのです。」

「ということは、昔のお知り合いの方の足取りをたどって、今の居所を知りたい、ということでよろしいでしょうか」


 私は答えた。

「さすがですね。まさにそのとおりです。居所というか、状況を知ることができれば、良いのです。ただ、問題があります」

「と、おっしゃいますと……」


「彼女は私のことは知らないはずです」

「……一度もご面識がないと?」

「そうなりますね、基本的には……。敢えて言うなら、ネットで二、三度やりとりをした程度です。それは調査のうえで大きな支障になりますか?」


 海百合探偵は少し考えて答えた。

「それは、大きな問題ではないと思います。ただ、これは失礼な言い方になってしまうかもしれないのですが……」

「構いません、どうぞ」

「たとえば、調査の段階で、どこかで、法令に抵触してしまうような可能性が生じた場合、調査を中断する権利を我々が私どもが留保させていただくのが原則です。やむを得ない場合は調査を継続できない場合もあるという点をご承知おきください。」


「……そうですね。うん。ストーカーが探偵を使って居所を探すというのは、昔からよくあることでしょうからね」

「……例えは悪いですが、そういうこともなくはない、とご理解いただければ、と」


 私はベッドの自分の身体を見つめた。

「海百合さん。私はもう長いことはないのです。入院して半年、身体はもうほとんど動かなくなりました」

「……はい」


 海百合探偵であれば、それが虚偽かどうかくらいのことは既に調べがついているのかもしれない。

「妻もいなければ子供もいない、淋しい人生だったと思います。いや、全くの孤独だったわけではないのですが、それでもやはり死の間際、一人というのは、淋しい。生きてきた罰みたいです」

「そんな……」

「だからストーカーになるとか、そういうことはないのですが…」

私は間を作って話をした。


「実は、その女性は私が20代の頃、歌手だったのです」

「では他人ということは……?」


 歌手の女性で、依頼主が他人といえば、ひとつしかない。この探偵は頭の回転が速い……。

「そうですね、簡単にいえば、ファンでしょうね」

 私はくっくと笑えた。


「ファンレターもずいぶん書いたものです。熱狂的だろうが何だろうが、ただのファンですね。」


「有名だったのですか?私でも聞けば知っているような……」


「いえ、全く……。CDを、2、3枚出したくらいだと思います。しかし……彼女には圧倒的な存在感がありました。読めば感じる人には感じる詩を書いていました。その求心力は凄まじいものがありました。当時の彼女が20歳はなかったと思います。特に、同世代の少女……リストカットやオーバードーズをするような、ね。彼女のファンにとって、彼女の存在は、象徴的な存在だったでしょう。同じ生きづらさや苦しさを詩にして、歌う姿に間違いなく自分を重ねていたはずです」

 海百合は黙って私の言葉を聞いてくれていた。


「あれから20数年……経ちました。彼女には彼女の人生が、生活が、あったでしょう。それを私の人生の締めくくりとして、教えていただきたいんです」


「島本さん、率直な疑問なのですが」


「どうぞ」

「当時は2000年代でネットも普及しています。ウェブのアーカイブやデータベースも残っていると思いますが……」


「もちろん。私もよく、BBSには参加しました。」

「というか……、今でも検索すれば、それだけの活動実績があれば、今、即座にお調べすることも可能かと……」


「……それは、できないのです」

「……と、おっしゃいますと?」


「海百合さん、意地悪を申し上げるようで申し訳ないのですが、この件の調査に彼女の名前をネットで検索しないという条件でお願いしたいのです。


「島本様、それはなぜですか?調べればわかることですが」

「私の最後の我儘を聞いてくださいませんか?死ねばどうせ国庫に入る財産です。報酬としてすべてお支払いしても構いません」


「……はい」


「なるほど確かにネットで調べればわかることかもしれません。しかし、私は、考えたのです。彼女の、歴史を辿ってほしい」


「歴史を、ですか」

あるいは、人生を、だろうか。

違いは、あるだろうか?

私は無駄な人数だったかもしれない。

それでも私には人生があった。それは歴史と呼べるものだろうか?


「面倒な依頼だとは思うのです。ですが、ある程度アーティストとして活動していた時期があることを考えると、その後どれだけ活動していたかにもよりますが、完全にアーティスト活動を終えてしまうまではどうしていたかくらいは追えるのではないかと」


「そうですね……、それは、そうです。それに、可能性として、まだ活動している、ということも考慮できるかもしれません」

「…なるほど。それもそうだ。国内とも限りませんしな……」


 島本は、その女性の名前を海百合に告げた。

 決して検索してはいけないその名を。

 それは、美しく強いが儚いように聞こえた。



 それから海百合は、その名を頼りに、調べ始めた。ネットは使いはしたが、決してその言葉を検索することはしなかった。

 部下の香久村も、音楽関係の企業や、所属していたと思われるレーベルあたりから調べてくれたようだった。

 どうせ結論は変わらないのだから、裏でネットで調べてもよさそうなものだけれど、海百合も、香久村も調査活動について定期的に

 報告をしてくれた。主に調査の経費についての報告や相談が主で、それらの細やかなやりとりは十分に海百合たちが信頼に足る仕事をしていることの裏付けとなった。報告のなかでは、彼女の近況に関わるような情報は一切私は受け付けなかった。


 数か月が過ぎた。

 私の病状もいよいよ酷くなり、あらゆる気力も失われかけていたという頃、調査は終了した。



「海百合さん……。最初にあなたとお目にかかった時、少し話をさせてもらって、あなたにね、ある女性の一生を聴かせてほしいと思っていました。人生の最後に聞く、物語を」


 ある夜、報告に訪れた海百合と二人きりになった私は、これまでにないほど心から素直に出てくる言葉を彼女に話しかけた。


「あなたにお調べいただいた、彼女についての調査結果。ネットで検索すればHITする、彼女のありとあらゆる情報……。そこに差があるかと言われれば、ないでしょうね……。しかし、私は、こう思う。20歳少々の頃、私は、そこにもうひとりの私を置き去りにしてきたのです。見たくないものから、目を背け、足を止めて歩むのをやめた私を、ね」


 きっとこの女性探偵は、あの頃の若き私を、今この場所に、連れてきてくれたことだろう。

 最期に、蹴りを付けようではないか。

 これから、彼女を見ることをやめ、止まった時からの時間をもう一度進めるために。


 聞き逃していたことを、聞くのだ。

 物語を。

 目をみ開いて、そのまなざしで、見やりたまえ。


 愛した人の、人生を、知ることで、辿ろう。

 若き私の、いや、あの頃の俺と一緒に……。



「さあ、それを、聴かせて、くだ、さい……」


 海百合は調査報告書のファイルを取り出した。


 そのファイルから、一冊の、綴られた本を開いた。


 ずっと読まれることのなかった、一冊の、物語だった。


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