5番線にお越しください
高津すぐり
5番線にお越しください
ここはどこか、私は椅子に座っている。
周りを見ると、私と同じように薄汚れた青色の椅子に座った人間が多くいて、あたかも駅の待合室のようだった。
ほとんどが私と同じような老いぼれであるが、中には40代ぐらいのサラリーマンもはしゃいで走っている子供もいる。
必死になって記憶のレールを辿り、何故ここにいるのか、どうやってここまで来たのかを思い起こそうとしたが、何も分からない。
それどころか、自分が一体何者なのかも疑わしい。
近頃物忘れが激しかったが、ここまでというのは初めてだ。
ここ数年、ロクに稼働していなかった私の脳みそにいきなりムチを打ったので、知恵熱が出て疲れてしまった。
私は背もたれに体重をかけ、瞼を下した。
なんだか暗くて、深くて、温かい場所に居る。
私の体はふわふわしていて、周りの「闇」と輪郭が曖昧になっている。
これが、どこかで聞いた「
勿論、どうやってここから出るのかも分からないから、とにかく私は体を動かした。
この「闇」はプールの水のようで、それをつかんで、掻き、思い通りに進むことができた。
しばらく闇を泳いでいると、ぼんやりとした
それに近づくと、その光が人の形をしているのが分かった。
不気味だとも思ったが、心地の良い闇の夢の中で恐れなどはなく、私はどんどんその「人」に近づいた。
もう少し近づくと、その光の正体は「オオバセンセイ」であると分かった。
オオバセンセイは、私の小学校の時の担任だった。
理由は思い出せないが、わざわざ私を気にかけて、よく話かけてくれた。
普通の男の「センセイ」が私の中の大きな存在であった。ともすれば、私は恵まれた家庭ではなかったのかもしれない。
ともかく、センセイの徐々に老けていく顔が浮かんだから、卒業した後も連絡を取ってくれていたのだろう。
センセイは、30年ほど前に、交通事故で亡くなってしまった。
本当に大切な人とのお別れは、それが初めてだった、と思う。
彼は、怒るときも褒める時も、じっとその人の両目を見て、何かを伝えようとしていた。
だから、私も、彼の顔をじっと見つめた。
何かを受け取る前に、センセイは闇と混ざって、溶けてしまった。
ぐちゃぐちゃになった心を、どうにか型にはめ、私は進みだした。
未だ自分が何なのか見当もつかないのに、何故センセイを認識できたのだろうか。
暗闇に暫くいると、その闇に温度のムラがあるのに気づいた。
私はなんとなく、温かい方へ、温かい方へと向かった。
その中で、また、新しい光を見つけた。
例にならって近づくと、光は幼い頃からの友の「あっくん」であった。
あっくんは向こう見ずで、怖いもの知らずで、だけど優しいから、いつも頼りにしていた。
大人になってからも近い場所で働いていたから、よく電車で一緒になった。
そのたびに、夢の話だとか、これからの世界だとか、子どもみたいな話で熱くなった。
私はその時間が大好きだった、と思う。
だけど、あっくんは20年とちょっと前に、首を吊って逝ってしまった。
聞きたいことは山ほどあったが、あっくんは何も喋らず、笑顔でこちらを見ていた。
私は目頭が熱くなって、嬉しいのだけど苦しくなって、目を閉じてまった。
彼に涙見せたくないから、こらえるように、数秒間ぎゅっと目を瞑った。
それから目を開けると、
胸をグッと握られてから、そのまま遠くに放り投げられた気分になった。
息をするのでいっぱいだったが、止まっていてはいけない気がして、また暗闇を泳ぎ始めた。
もっと、もっと温かい、ほとんど体温と同じところまで行くと、一段と大きな光があった。
それは「フミちゃん」だった。
フミちゃんは、生涯で一番大切な人だった。
フミちゃんは私なんかよりずっと賢くて、難しいことを考えるのが好きだった。
その話題は、道徳であったり、倫理であったり、社会であったり、彼女の話は本当に面白かった。
お互いに歳をとってからは、「死」について考えることが多くなった。
「もし私たちが死んだら、どうなると思う?」
フミちゃんは決まって、こう聞いてきた。
「うーん。多分天国か地獄かのどちからに行くんじゃないの?」
「フフフ……私は違うと思うな」
「じゃあどうなるの?」
「死んだ魂は、まず一つの場所に集められるの。それから、少しだけ休憩させてもらえる」
「……それから?」
「『貴方はあっちに行ってください!』って言われて、また別の体に入る。そしたら、また次の人生」
「えぇ。なんだか電車の乗り換えみたいで嫌だなぁ」
「フフフ……アナタはいつも電車通勤だったものね」
数年前、ガンで亡くなる直前まで、笑ったときに出来るえくぼが、愛らしかったのを覚えている。
フミちゃんを見ていると、涙が出た。
フミちゃんに触れたくて、確かめたくて、手を伸ばした。
触れる直前で、その光は大きくなって、周りの
ここはどこか、私は椅子に座っている。
周りを見ると、私と同じように薄汚れた青色の椅子に座った人間が多くいて、あたかも駅の待合室のようだった。
私は「夢」から覚めたのだろうが、結局自分が何なのか分からない。
「○△×方面へ向かう方は、5番線にお越しください」
大きな部屋に、こもった声のアナウンスが響いた。
どこに向かうのかも分からなかったが、私は
階段をゆっくり下り、5番線に行く。
右の方から電車が来た。
車両には誰も乗っていない。ここは始点のようだ。
座席に深く腰掛け、向かいの窓を見る。
私は何者だったのだろう。
あの夢は何だったのだろう。
でも、またどこかで「彼ら」に逢えたらいいな。
「ピロロロロロ……」
発車ベルの音が響いた。
5番線にお越しください 高津すぐり @nara_duke
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