群青甚だしい

山吹

 三百何十階の先に群青の天井が待っている。


 【城】と呼ばれるここは、部屋と部屋でひしめき合いいつも不安定にぐらぐらと揺れている。下層では人々の喧騒が一種の下手な音楽のようにも聞こえる。

 ただそれもすぐに聞こえなくなっていき、外側の吹き抜けた通路を通り抜けようとすると横からの突風に髪や服を持っていかれる。まるで行く手を阻むように絶え間なく走り続ける風は情けを知らない。


 危険な思いをして最上階を目指すのは自分を含めて本当に少数だった。運悪く床を踏み抜いて砂漠の怪物に食われた人がいることを何度聞かされただろう。


 そんなことを考えているのでなんとなく恐ろしく感じてすぐに内側の路地に入り込むと中は木材だらけだった。大方減少を知らない人の数に危機を覚えた人が増設を計画していたのだろう。難儀しているのは間違いない。


 この城が今でも形を留めているのは本当に奇跡のようなもので、これ以上何か余計な事をしようものなら城自身がその役割を引退してしまうのはどんなに貧しい層で育ってきた人でも分かる。

 それ故に職人と呼ばれるギャングらは毎日叱責や溜息を繰り返しているのだが。


 人を犠牲にする思想よりも増築を選んだ主将には当然賞賛と嘲罵が集まったがそれも一週間すると息をひそめるようになった。死の暗躍が自治のために活躍するのはなんだか滑稽に思える。しかしここではそれが一番のルールだ。平和とは恐怖の上に成り立つ。

 呼吸をするように時間が流れていき、職人らが仕事を再開する合図を出すまでそこで物思いにふけっていた。ぞんざいな足音と太く乱暴な烏合の衆。

 見つかっては余計な詮索を入れられるに違いない。逃げるウサギのようにその場を離れ外側の通路に何ともないような顔で出ていくと風の攻撃は弱まっていた。



 中層は下層よりも人の出入りが少ないがその分治安の悪い取引が横行している。無数にある道の先、運悪く草の取引がされる場所を引き当ててしまったなら――。

 考えたくもないような犯罪に巻き込まれてしまうだろう。危険な場所で育つ子供は秘匿に長ける大人になるというがここではそれよりも鋭い聴覚を身に着けたほうがなるべく安全に細く長く生き続けることが出来る。


 人が住むことを優先した城ではプライバシーなど無いに等しいのだから隣人が娼婦を雇い深夜に騒いだときほど鬱憤が溜まることはない。

 それと一つ上の階層の奴らが草をかき集めて集会を始めたならその草の臭いはもちろん下層の我々にも伝わってくる。刺激に弱い子供などは発作やけいれんを起こし慌てふためく騒音、大人であってもその高揚感から暴れだす騒音。


 下層は喧騒だらけだと前述したのはこういった、全く穏やかではないことが原因であることも少なくなく時には自警団の連中がウチに隠した鬱憤の為に過剰に彼らを攻撃することもある。いい加減にしてほしい。


 穏健の裏に隠された酷く小さな暗闇の声を聞き取るために聴覚は発達する。今回も難なく静かで安全な部屋を選ぶことができた。この選択も幸運なことに歳を取ればいい訳を考えずに一瞬で判断できるようになるのだろうか。棄権を回避するために考えることはこれが初めてではない。住人らのその日の心持ちによって道が閉ざされたり昨日までは人がいた部屋が何もなかったように空室になったりするのだからルートを覚えて用事を済ませるなんて小手先の思考では生きていけないのだ。


 未だ幻影にすぎない未来をより肯定的に考えていると様々な通路から通じる階段部屋に辿り着いた。他の入り口とは打って変わって若干装飾の入った木製の扉。サインなど自己主張をするものは一切なく今も生きているのか分からないそれに形ばかりの敬意を払ってドアノブを捻った。




 上層。言葉に力を持つ権力者や彼らが飼っているが住むあまり縁のない場所。

 扉の先の少し大きな丸い場所でどの通路もしくは階段にしようかと見物人を装って珍しい動物を値踏みしていると競売の声が一つ大きく聞こえてきた。

 即席の看板を見ると今日は人間らしい。達磨や盲目など恐ろしい声を競い合う数字の中から聞き取ってしまい内心自分の番が来ないように丁寧に祈りながら競売の部屋を後にするとまた細い通路が出てきた。カーペット付きの。

 ここを路地だと表現するにはあまりにも豪華すぎるのでここは豪華な通路なのだろう。下層の彼らにこれを見せたら狭小な場所によくやるなどと陰湿に口を使うだろうか。あれの生活の苦しみから言うに違いない。


 途中どうしてもすれ違わなければならない天車の乗り場にいる支配人は一瞬こちらを見たがその形から客ではない事を悟りすぐに別の客に愛想を振りまきに行った。黄金の髪を持つ外国の美しい貴婦人はあの頭がおかしい舞踏会の帰りだろうか。土産に渡される巾着を愛らしく持って天車の順番を待っている。


 あの巾着には下層の住人が作る草入りの菓子が入っている。

 嗜好品として最低限に着飾ったそれに騙され一つ口に入れるともう二度と現実には戻ってこれなくなってしまう。経済はこうして回るのだと妙に諦観した大人は己の生活と騙された彼らとの再会のためにそれを作り続けた。


 ルールとはそういうもので、現実とはそういうもの。生きるとは人の命をすする行為なのだと電波に変換された主将の声が雑音交じりに人々に届いた。それから数日の間、激高した自警団とそれを嘲るギャングの抗争が続いたのは言うまでもない。

 それらすべてが日常に茶番劇に思えてきたのは何歳になったときだっただろうか。




 ようやくたどり着いた最上階。群青色の天井は広く大きくこの城とは全く別の寛容さを含んでいた。先客は一人もおらず、たった一人何かを成し遂げたような壮大な気持になってそこに寝転がった。

 実はまだ何も成し遂げていない。ただ大きな一歩を踏み出しただけなのだ。それだというのにこれほど心持ちが軽いのはどうしてだろうか。

 未だ何も汚れていない醜悪なこの手が無くなる予感がするからだろうか。きっとそれもあるだろうが本心はそれじゃないような気がした。



 恐ろしいほど天井が群青色に染まり月と太陽が同時に天井に現れる時間。

 強い風下で足元が揺れ動く。電気が通る強靭な音が響き渡る。誰かの笑い声。聞き飽きた雑踏の中の喧騒。遠ざかる天車の音。子供が泣き喚く声。舞踏会の歌声。銃声。立ち上がり動き出す自分の足音。



 呼吸が風にさらわれていく。



 生きるためにこの道を選ぶ。それを他の奴らと同じように大きなおまえに認めてほしかった。それだけなんだ。


「群青甚だしい」


 ギャングになった男はそう言った。


(了)

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群青甚だしい 山吹 @Ivy_yamabuki

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