鬼滅の刃はなぜ傑作なのか?

清水啓哉

第1話 無惨様は幼児性の塊である。

「鬼滅の刃」最終巻をお読みになっただろうか。


 この作品を読み解く鍵は、実は無惨にある。


 無惨は、闘いの終盤において、日光に焼け焦げる身体を維持しようと肉体を膨張させ、まるで胎児のような化物へと変貌していく。あの胎児のような姿、あれが無惨の本質である。

 彼は怒りを抑えることができない。そのせいで、自分を救ってくれるはずだった医者を衝動的に殺してしまう。

 彼は常に怯えている。生存本能を行動原理とし、いざとなれば恥も外聞も捨てて生き残ることだけに固執する。

 情緒不安定なこと、癇癪持ちなこと、臆病なこと。これらはすべて小さな子供に共通する特徴である。

 無惨は成熟することなく千年の時を生きた子供なのである。


 ここで、少年漫画とはなんぞや、と問い掛けてみよう。

 少年漫画というものは、どのような性格をもち、社会の中で如何なる役割を求められるのか。

 まず、少年とは誰か。それは成長過程の道半ばにある者のことである。だから、少年漫画では主人公の成長が丹念に描かれる。このことから、もし仮に、少年漫画にも単なる娯楽を超えて倫理的意義付けが存在するとすれば、それはおよそ次のようなものとなるだろう。少年である読者は、同じく少年である主人公が成長していく様を見て、内面的な成長を疑似体験し、それを己の精神的な成長の糧とする。

 つまり、少年漫画における善とは成長のことなのである。

 対して、少年漫画における悪とは成長の拒絶、即ち、幼児性なのである。

 幼児性の権化である無惨は「鬼滅の刃」のラスボスを超えて、少年漫画というジャンル全体の敵であり得る。

 それゆえ、「鬼滅の刃」は少年漫画を代表する王道的傑作だといえるのだ。

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