第29話 恩人は憎き野盗
「リリィ!」
金髪碧眼のリリィは呼びかけに、表情を歪めて軽く首を左右に揺らす。
「しっかりしろ! リリィ・シグナル!」
フルネームと、聞き慣れない低めの声に、真っ暗な視界はぼんやりと景色を広げる。
リリィを覗き込む、鼻背の中央に横線の傷が刻まれた男。漆黒の鎧に身を包み、バスタードソードを背負う。
瞼を開けたリリィに、男は安堵の息をついた。
「リリィ、おきたね?」
どこか片言な女性の声もリリィの耳に届く。
「あ……!?」
男がいることに気付いたリリィは、青ざめて咄嗟に男から離れる。
絶壁に凭れて、土と擦り傷でまみれた腕や服に目線を落とす。
「よく知らないが、男、ダメ、ローグ近いね」
「な……そうか、失礼した。とにかく生きているようで良かった」
漆黒の鎧に、リリィは警戒を解くことなく、
「や、野盗の」
声を詰まらせながら呟いた。
「野盗? なにか、勘違いしているみたいだが、私は帝国騎士団団長のローグ。君はこの山の上から落ちてきたんだ、幸いそんなに高くない、そして馬車のテントがクッションになったこともありその程度で済んだ。エルマは、どうした?」
「ローグ……?」
何度も聞いたことがあるその名前に、リリィは少し考え、すぐに目を丸くさせる。
「貴方がローグさん!? それに、メイさんまで!」
「うむ、元気だぞ。偶然ねー」
呑気に微笑む黒髪のメイは、馬車の荷台に腰掛けて手を振って挨拶。
「それで、一体何があったのか教えてくれないか?」
「……野盗退治です」
リリィは俯いて、ローグと目を合わせずに短く答えた。
「野盗、帝国騎士の鎧、当たったな。彼女の案内のせいでかなり彷徨っていたが」
メイはこの大陸では使わない言語を喋り、馬車の前に腰掛ける。
腰に手を当て肩をすくめるローグは、立てるか、と手で招く。
リリィは小さく頷いた。土を踏ん張り、脚に力を入れて立ち上がった。
土を引き摺る擦れた音が耳に届き、リリィは首を動かす。
「誰か! そこにいるかい?!」
女性の低めの声が聞こえた。
「カロルさんの声です、カロルさんも吹き飛ばされたのかもしれません」
リリィは早足で声の方に向かう。
「向こう見ずだな」
どんどん前に進んでいくリリィの背中を追いながら、ローグは呟く。
「アイリーンに似てるか?」
メイは馬車から降りて、ローグの隣に並ぶ。
「容姿はな、だがあいつは計算して動いていた。バーナードと過ごす時間の方が長かっただろう……あの鍛冶師は後先考えずに動く奴だったからな」
「ばーなーど?」
「アイリーンの夫で……クソ野郎だ」
「おぉローグから、汚い言葉、出たね」
ローグは口を軽く押さえて咳払い、苦笑いをメイに向けた。
茂みをかき分け、リリィはカロルを探す。
「カロルさん!」
「リリィ! 良かった、アンタ無事だったんだね」
切迫した表情を浮かべる強靭な筋肉をもつカロルは微かに綻んだ。それからすぐ険しくなる。
「彼が、あの衝撃で頭を打ったんだよ」
彼、そう呼んだカロルの目線を追うと、リリィは口に両手を添えて驚く。
頭部の皮膚が一部切り傷をつくり、血を流して気を失っている漆黒の鎧を着た男が倒れていた。
髭をたくわえ、精悍な顔つきをした男。
「め、メイさん! ローグさん!」
リリィはすぐに二人を呼んだ。
呼びかけに駆け寄るローグは、倒れている男に目をやる。
「やはりボブスか……野盗に落ちた結果が、これか」
やり切れないとばかりに肩を落とすローグだが、メイを手招きここから馬車へ運ぶように指示。
馬車の荷台に運び、メイは応急処置箱から清潔な布や、薬草で調合した液体が入った瓶を取り出す。
「カロルといったな? ボブスとは知り合いなのか?」
「前線で、怪我をした私を助けてくれた恩人だよ。まさか、彼がこんな、野盗に成り下がって、私の故郷を……すまない、ちょっと一人にさせておくれ」
整理がつかないカロルは声を震わして、馬車から離れていく。
リリィは戸惑いながらもメイの手早い処置の補助を行う。
流れた血液を拭き取ったり、患部に当てた布の上に包帯を巻く。
「早めに医者がいる町に行くべきね。いくらなんでも頭打つのは危険よ」
「宝刀の件を後回しにしてもいいか?」
メイは口をへの字にして、渋々と頷く。
「仕方ない。こいつは重要参考人、目を覚ましたら吐いてもらうね」
リリィは馬車から降りる。
「リリィ」
「……はい」
「父親を、バーナードを捜しているらしいな」
父のことを訊かれたリリィは、俯いてしまう。
「父を、知っているんですか?」
「あぁ。アイリーンやデヴィンのこともな。エルマから聞いてるだろう」
「い、いえ、何も。私、お父さんと離れ離れになって、王都にいるはずなんです。せめて無事なのかどうかだけでも……」
ローグは顎鬚を擦り、小さく息を吐き出す。
「王都は今厳重だ。帝国軍総督が王族と会談をしている。まだしばらくは、難しいだろうな。見つけたら伝えておく」
「……ありがとうございます」
メイは手綱を握って操縦席へ。
荷台に戻るローグは、
「エルマには秘密にしておいてくれ。然るべき時が来るまでは、な」
そう言い残して荷台の中へ。
「リリィ、いつでもどんな時も歌が一番、ね」
呑気な口調でメイは手を振ってゆっくり手綱を操り、馬はだく足で進みだす。
腰に手を当て、肩を落としているカロル。
リリィは励ます言葉など思いつかず、悲痛な面持ちで隣に並んだ。
「あぁ……悪いね。仲間やエルマが心配してるだろうから、行こう」
目を細くさせたカロルは未だ震える声で気丈にふるまう。
俯くリリィはメイの言葉を思い出す。
『リリィの歌声は人を癒すよ、また聴きたいね』
唇を動かし、声帯を強く震わせ、ゆったりとしたバラード調の歌を口ずさむ。白くぼんやりとした淡い光が輪郭を包みこんだ。
カロルは目を丸くさせて、リリィの歌声に顔を上げた。
透き通った歌声が山に響く。
次第にカロルは目から零れる涙を溜め始める。
目に溜まった涙は行き場を失くして頬や顎を濡らす。
唇を緩ませて『愛の詩』を口ずさんだ……――。
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