第13話 帝国貴族
赤い髪のエルマは不満げに貴族の礼服、紺碧に染まる布地に王国を表す紋章が胸に刺繍された格好で腕を組んだ。
紋章には王冠をかぶった猛獣が描かれている。
肩までの髪をほんの気持ち程度で結び、刀を腰に差す。
「王都の試合場に行かないのかよ」
さらさらの銀髪を編み込んだソフィアは、エルマの問いに深緑の目を細めた。
紺碧のドレスに身を包み、武器も防具も身に着けていない。
「今、王都は閉鎖中よ。王族以外は出入りできないの」
「はぁ? なんでだよ」
「帝国からお客様が来ているわけ、ピリピリとした空気が充満してる。それでも帰りたい?」
エルマは首を振って、更なる不満の原因を睨んだ。それはソフィアの後ろについて、周囲を警戒しているオーウェン。
全身を鎧に包み、顔も分からない。
ソフィアは肩をすくめ、
「……オーウェン、外の警護を」
この場から離れるよう命令を下す。
「ソフィア様、ですが」
「オーウェン、外の警護を」
「はっ」
オーウェンは鋭い口調に従う。
鎧を軋ませながら港町の外側に向かうオーウェン。エルマは息を大きく吐き出して、よし、と呟く。
港町の広場は二つに道が分かれている。前に進めば停泊している港へ、後ろに戻れば港町の出入り口へ。
既に帝国の旗を広げた馬車が港町の広場に到着している。
豪華な装飾が施された馬車。屋根も壁も頑丈に、窓は網で守られ、外から室内を見ることができない。
「あの中に、ソフィアの婚約者がいるってことか?」
「ふざけないで、あいつは男爵程度の帝国人。最近退屈しのぎに素振りを始めたばかり、相手として簡単でしょう?」
「じゃあお前がやればいいじゃねぇか、もしくはオーウェン」
「オーウェンはあくまで護衛。それに、姫を守るのは王子様の役目よ。じゃ、よろしく。私はリリィと応援していますね。貴女の武器、預かります。リリィ」
ずっと沈黙を守り、広場を眺めていた金髪碧眼のリリィは、突然呼ばれて目を丸くさせた。
白い長袖ワンピースにベルトを巻き、膝上までの黒い靴下とブーツを履いている。
「エルマの武器を持っていてください」
「は、はい」
「ソフィア、リリィは奴隷じゃねぇ」
「武器を」
毅然とした態度のソフィアに従い、リリィはエルマから刀を受け取る。
「ったく、相変わらずな奴。何かされそうになったらすぐにオレに言えよ」
「いえ、私にできることがあるなら、します」
刀を抱きしめて微笑むリリィの透明な声と清楚な雰囲気に、エルマは口角を下げた。
馬車の周りでは、血染めのような赤い礼服を着た帝国兵が囲んで話をしている。
ロングソードを腰に携え、周囲を警戒しながら馬車の扉を開ければ、
「ソフィア殿下!」
喜々とした声で名前を呼びながら男が降りてきた。
真っ赤な礼服には、帝国を表す、翼を広げた猛禽類が斧や剣を持っている様子が描かれた紋章。
立派に生やした口髭、太い眉毛、腰には刀が。鞘は朱色で良く目立つ。
ソフィアと挨拶をしている帝国人に、エルマは何も言わない。
「ハリー男爵、お会いできて光栄です」
「今日は殿下と結婚を確約できる日と思い帝国から参りました。殿下と想い人には申し訳ありませんが、結婚は友好の証、帝国と貴国の平和の架け橋となります。その為にもこの勝負、ソフィア殿下に捧げます」
深々と跪き、頭を下げるハリーに、ソフィアは目を細めた。
「オスカー」
「……あ?」
ソフィアの声と眼差しはエルマに向けられている。少し遅れて気付いた。
「お願いしますね。それではハリー男爵、オスカー、中央へ。リリィ、こちらに来なさい」
「は、はい」
離れていく二人の背中に肩をすくめ、エルマは広場の真ん中に向かう。
「オスカーって……耽美な文でも書けってか?」
港町に住む人々は何事かと広場の外から覗いているが、帝国兵と王国兵の警備により入れないように阻止されている。
「似合わぬ、一体どこの田舎者だ? 本当に貴様は殿下の想い人なのか?」
ハリーは怪訝な表情を浮かべる。エルマは睨むだけで喋らない。
帝国兵に刀を預け、木刀を代わりに受け取る。
エルマは王国兵から木刀を受け取る。
「……」
朱色の刀を大切そうに持つ帝国兵を目で追いかけ、エルマは眉を顰めた。
「あれは白狼ノ国の王族に受け継がれし名刀・朱雀。それは昔の話でな、骨董を売る商人から購入したのだ。やらんぞ」
拒否を首で振って示し、エルマは静かに木刀を構えた。
「ルールは簡単、木刀を手から落とせば負け。急所への攻撃は禁止、良いですかな?」
審判の役割を務める老齢の王国人に、二人は頷く。
「それでは……始め!!」
最初に前へ踏み込んできたハリーは、木刀を振り翳しながらエルマに迫る。
熊のように猛進してくるハリーを避け、通り過ぎるついでにとエルマは足を引っ掛けさせた。
見事にはまり、ハリーは躓いて、少し持ちこたえるが体重は前に傾いて、耐えられず転んでしまう。木刀は手から離れていない。
「なんだ、しっかり握れんのかよ」
エルマはボソッと呟く。
「この田舎者め、馬鹿にしてるのか?!」
顔を真っ赤にしたハリーは怒鳴り始めた。
「……うるせぇ」
「なんと言った? ハッキリ言え!!」
エルマは軽い舌打ちと共に、
「うるせぇ!!」
木刀をハリーの右手ごと叩きつける。
「だ、ぁぁああああ!!!!」
雄叫びが広場から港町の外まで響き渡った。
木刀は敷石の上を滑り転がり、ハリーも右手を庇いながら転げまわる。
「勝負あり! オスカーの勝利!!」
広場の外から小さな歓声と、つまらないというブーイングが聞こえてくる。
勝負を見守っていたソフィアは鼻で笑う。傍にいたリリィは戸惑う。
「容赦のない子です、エルマは。リリィ」
「は、はい」
切り込むような深緑の瞳でリリィを捉え、
「愛の詩を知っていますか?」
歌のことについて訊ねた。
「はい、この大陸に暮らす者なら大半は知っています。お母さんもよく、歌ってくれました」
幼少を懐かしむリリィの横顔に、ソフィアは眉を微かに歪める。
「……王都では試合が終われば、必ず愛の詩を歌います。勝利を掴んだ者、地を這う者、両者を称える意味合いで歌っているのです。貴女も一緒に歌いなさい」
リリィは一瞬笑顔になるも、思い出したように表情を曇らした。
「ですが、エルマさんに歌うなと言われていまして……この歌は苦手だと」
「エルマが? そんなはずありません。エルマは幾度と王都の試合で勝利しこの歌を聴いています。苦手だなんて一言も」
「ふざ、ふざけるなぁ!」
ハリーの情けない大声によって会話が止まる。
右手を真っ赤に腫らしたハリーはソフィアへ、
「殿下、この結婚、破棄なぞされれば我が王、アルフレッド陛下が黙っていませんぞ」
強めの口調で訴えてくる。
呆れたようにソフィアは首を振る。
「両国の王、同意のもと行われている試合です。名前と印がある書類も頂いております。アルフレッド陛下によろしくお伝えください、伝えることができれば、ですが」
「……ぐ、ぐぅ、このまま帰れるか! そ、そこの可憐な姫君、帝国には珍しい物がありまして、私と婚約を結べば」
ハリーはソフィアからリリィに標的を変え、ニタニタとした笑顔で誘う。
リリィは顔を引き攣らせ、エルマの刀を抱えて後退る。喉も震え、誰とも目を合わせることができない。
「このクソ野郎!」
痺れを切らしたのはエルマだった。ハリーの肩を掴んで強引に振り向かせた瞬間、金属の籠手がついた手で殴り倒す。
「きたねぇ目を向けんじゃねぇ!」
続けて殴ろうとするエルマに、ハリーは怯えて顔を腕で覆い隠す。
帝国兵と王国兵が慌ててエルマを制止する。
ハリーは帝国兵によって引き摺られて助かり、鼻息荒いエルマは数人の王国兵によって羽交い絞め状態。
「歌どころではありませんね。それではハリー男爵、今回の結婚はなかったことに……?」
ソフィアは目を細くさせて結果を話している途中で、耳を澄ました。
広場ではないどこからか、バラードのような緩やかな歌が聴こえてきて、それは伝染するように港町の住民も歌い出す。
帝国兵もつられて、歌い始めた……――。
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