竜胆

綿涙粉緒

第1話 

「で、おまいさん、これを誰に食わすつもりなんだい」


 浅草は言問橋の袂、料理屋「桜屋」の奥座敷。


 そう言って料理人の孝介をギロリと睨んだのはこの家の女主人であるおつるだ。亡くなった先代の幸兵衛と二人、この桜屋を一から築き上げた苦労人だけあって、その眼光は鬼の如くに鋭く冷たい。


 対して、この店の椀方である孝介は、その眼光に射すくめられてシュンとしている。


「まあ女将さん、もうちょっと優しく言ってくだせぇよ、こいつも頑張っているんだ」


 孝介の隣で、バツの悪そうな表情を浮かべているのは、桜屋の花板である佐吉。


 孝介の世話を焼く三十絡みの男だ。


 佐吉は、主であるところのおつるからの信頼も厚いのであるが、こと孝介の育て方については、いつもこうしてつのを突き合わせているといった次第で。


「いい加減におしよ。あんたがそうやって孝坊を甘やかすから、こんなくだらない汁を作るんだろう」


 その言葉に、ガキのごとく孝坊と呼ばれた孝介は、さらに絞った濡れ雑巾のようになってしまう。


 確かに十七と年若くはあるものの、椀方といえば普通の料理屋においては上から三番目の位。幸兵衛の思惑で次板を置かない桜屋においては花板の佐吉に次ぐ二番手である。


 決して子供扱いされる立場では、ない。


 それだけに、孝介としてはもう、穴があったら入りたい気分で縮こまっているのだ。そしてその一言は、隣に座る世話役の佐吉の心にも、ジクリと鈍い痛みを与えたようで。


「おっしゃるとおりで、ただ、もう少し待ってあげてください」


 と、悲しげに頭を下げるのみであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る