スポンジ・ハート

東春 ひがしはる

あたしのハートはスポンジなんだよ

医者が言うには交通事故にあって死亡する確率よりずっと低いということ。

「2%」くらいでしょう。笑顔・・・

確率で勝負できるならば競馬で蔵が建っているだろう。

単勝1.1倍で枕を高くして眠れるだろうか

そんな訳でわたしは初秋の青空を怨めしく想いながら

大学病院の心臓内科で辛抱強く医者の説明を聞いていた。


随分と前の話である。

ここに登場する人達は実在するが現在の姿をわたしは知らない。

それはTVドラマの撮影でドアを開けるとべニア板が見えるのに似ている。

そこでしか存在しない人々、そこでしか交わされない話。


「WPW症候群」これがわたしに与えられて称号である。

やれやれ病名だけは立派である。

「ウォルフ・パーキンソン・ホワイト症候群」が正式な名前です。

この医者の笑顔は「エミー賞」ものだ

心臓は別に悪くはない

しかし時々速くなる速くなりすぎる

心臓はいわば「ポンプ」だ血液を体中に送り出している。

心臓はドクドクと正確に脈を打っている

だいたい1分間に60~80回くらい、もっと早い人もいるかな。

わたしは、突然に150を超えることがあり200も超える勢いであった。

記録更新だぜ!

笑ってはいられないのですよ・・・難病とか、不治の病ではないですがね。

1分以内に平常に戻っていたのですが、戻らなければ?


日本でまだ270例くらいですよ。

「やっちゃいましょう保険利きますよ」

医者なのに家電店でレンジを買ってる気分になる。

「カテーテルアブレーション」

高周波を使って、その伝導路を焼き切るのであります。

肉の焼ける匂い。


その病棟には十数人の入院患者がいた。

年齢も幅広く(といっても小児科は別)

顔見知りになると、病名や病状のレクチャーを受ける羽目になる。


そして彼女に出会った

彼女は15歳

「ねえ、15 歳の時って何考えてました?」

彼女の最初のセリフはいささか辛辣に聞こえた。

だって、わたしの15歳なんて恥ずかしいことばかりで披露できない。

気取ってみても仕方ないありのままに

「エッチなこと!」

彼女はクスクスと笑いながら。

「あ~やっぱりそうんなだ~」


病棟外れの談話スペース、壁の時計は19:45。

ソファーにチョコンと座る彼女は、普通の15歳より色彩が多く存在感があった。


相手の病名を聴くことは避けたい。

聴いたところで、共感することはできないし同情も余計だ。

だからわたしは「何で入院」してるのなんて聴かない。


「わたしはエッチなこと考えるより・・・普通に学校行きたいな」

その時のわたしは飼い主に捨てられた犬のような顔だったと思う。


「でも少しは考えるかな~エッチなこと」

拾われた犬の気分になった。


わたしが映画好きで詳しいということを看護士経由で聴いたらしく

映画の話になった。

わたしの映画批評を面白がってくれた。


「映画かぁ~ 行きたいなぁ~」


仮定の話や、未来の約束事は餌である。

どっかの学者の言葉であっただろうか?

そもそも入院患者に「イベント」や「カレンダー」は毒だと思う。


「もう秋になったんだね」


彼女は入退院を繰り返していて、今回は桜の散る頃から続いている。

15歳は微妙で重要で軽率で光速で回転している。

普通に生活をする、普通に学校に行くことがどれだけ幸福であるか。  


「ねぇ! 一緒に来てよ」

いきなりわたしの手を握る

もちろん走ることは出来ないけれど懸命に歩いた。


ナースステーションにたどり着く。

やはり急ぎ過ぎた彼女の頬はピンク色に染まっている。


「あれ見て」


それは、ナースステーションの壁に掛けられた沢山のモニター。

入院患者全員の心電図のモニターだ

わたし達はホルダー型の心電図を一日中付けている。

看護士達はその心電図で異常が無いかを見ている。

わたしの心電図。

穏やかな波形が右から左へと流れていく

わたしの鼓動。


気が付くと彼女はわたしの手を握ったままだった。

そしてじっと心電図を見つめている。


「あれがわたしのハート」

それは、上へ下への大騒ぎで波形は乱れ一瞬として同じ形にならない。


「ウィルスが入ったの このハートに」


お互いがパジャマ姿で15歳の少女と

手を繋いで立っている

映画でも出来過ぎだろうと思う。

やはり言葉が出てこない何も言えない。


「ハートに小さな穴チーズみたいな穴」

彼女が私を見上げている。


そして自分の胸を指さす。

少女が自分の胸を見ておいてと言わんばかりの姿。

それは崇高であり気高く美しい光景

わたしはしっかりとその小さな膨らみを見て頷く。

彼女は安心したかのように微笑む。


「わたし・・のハートは・・・スポンジになったよ」


わたしは嘘をついたかもしれない・・・・


「いつか映画いこうな!」


彼女の握り締める手が強くなった。


ナースステーション、手を繋ぐ二人の秋の夜は夢であり

TVドラマワンシーンだったのかもしれない。


                        了

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