第4話 理想のヒロイン



「ネクタイゆるんでるよ」


 言いながら、奏乃は俺のネクタイをキュッと締める。正直言ってここまでしっかりとネクタイを締めている生徒なんてそうそういないのだけれど、された手前ほどけないまま学校に行くのが俺。つまりそうそういない中の一人が俺。


「ねえねえ遊くん」


「なに?」


 学校への通学路は紅葉も散り、少し寂しい景色が広がっていた春には桜が咲いて、夏にはセミが鳴き、秋は紅葉が舞い、そして冬は少し殺風景だ。この殺風景な雰囲気が好きだという人もいるらしいが、俺はそうではない。何となく、ハゲかけたオッサンの頭の髪が散っていく傾向を見ているようで悲しい気持ちになるからだ。


 そんな道を歩いていると、奏乃が俺の顔を覗き込みながら高いテンションを振りまいてきた。


「昨日の話だけどさ」


「ああ?」


 昨日のことを抉るんじゃねえよ。いい感じに収まっていたのにまた深刻なエラーが発生してしまうじゃないか。なんて感じで俺が肩を落としていることなどお構いなしに奏乃は続ける。


「遊くんの理想の女の子ってどんな感じ?」


「理想の女の子?」


 俺はオウム返しをしながら考える。

 が。


「理想なんて考えるだけ無駄なんだよ。どうせドンピシャな女の子なんて現れないし、いたとしても俺なんか見向きもされないんだから」


 と返す。

 すると、奏乃はじとりと呆れたようなジト目を向けてくる。


「夢がないなあ遊くんは」


「リアリストなの、俺は」


「そう言わずに、もしもってことで考えてみてよ」


 そこまで言うなら考えてみるか、と俺は腕を組んで暫し考える。

 理想の女の子、ねえ……。


「あれだな、茜坂明里」


「え、なんだっけそれ、アイドル?」


 きょとんとした顔で奏乃は聞き返してくる。アイドルじゃねえよ。


「シーパラっていうアニメのキャラクターだ」


「アニメキャラか……」


 そう言う奏乃の声のトーンががっかりしたように低かった。


「ちなみにどんな子なの?」


 そう聞いてきたので俺はスマホを取り出して、茜坂明里の画像を見せた。

 茜坂明里は黒髪ロングのキャラクターで主人公の住むアパートの隣の部屋に住む女の子だ。スタイル抜群で誰とでも別け隔てなく話すため、男子からの人気は絶大である。ミスコンで一位になるほどであり、それでいて主人公に好意を抱いている。


「……ふうん」


 俺が見せた画像をじーっと見て、不満げなのかどこか満足げなのか判断し難い感じの表情で短く呟く奏乃は、視線をスマホから俺の顔に上げる。


「この子が理想の女の子?」


「そうだ。明里はいいぞー、なんて言ったって全てがパーフェクトなんだから」


「全てがパーフェクト?」


 俺の言葉に奏乃はこてんと首を傾げる。


「見ての通り明里はスタイルがいいだろ?」


「んんー、うん」


「それでいて可愛いだろ?」


「うん」


「だけじゃないんだ。この子は誰とでも別け隔てなく話す。俺のようなオタクであっても笑顔で接してくるんだよ。だから、男子からの人気は非常に高い」


「へえー、すごくいい子なんだね」


「だけだと思うなよ? さらに言えば、この子は家事が得意なんだが……中でも料理の腕はピカイチだ」


「料理できるんだ」


「そうだ。それに主人公が泣いているときにはそっと寄り添い、困っているときには笑顔で手を差し伸べる優しさも持っている」


「優しさ……」


「そしてその上、主人公のくだらない話もうんうんと聞いてくれる心の広さもあって」


「あって?」


「なにより! それだけ完璧でありながら、主人公のことが好きなんだ! そんなキャラクターがパーフェクトと言わずに何だと言うんだ!?」


 俺の熱弁を静かに聞いていた奏乃がテンションに押されて、んーっとうなりながら考える。


「うん、パーフェクトだね。間違いないね」


「だろ?」


「だからその子が理想の女の子だって?」


「そうだ。俺の理想のヒロインだ」


 腕を組んで、俺は頷きながら言った。


「まあ」


 言いながら、俺は組んでいた腕をほどいて両腰に置く。


「それはあくまで理想のヒロインであって、現実にそんなやつがいないことくらいは分かっているけどな」


 理想なんてものは掲げるだけ無意味だ。

 どれだけ夢物語を綴ろうとも、現実にそんなものは存在しない。理想なんてものを語っても、何も意味はないのだ。俺達は目の前にある現実を受け入れて、前に進んでいくしかない。

 だから、由衣香ちゃんに振られた現実だって……受け入れるしかないのだ。


「それってつまり、スタイルがよくて、可愛くて、男子からの人気があって気さくで、家事ができて料理が得意で、優しくて心が広くて、それでいて遊くんのことが好きな女の子が、理想のヒロインだってことだよね?」


「ああ、そうだ。いればな」


 ふーん、と奏乃は意味深に呟きながら、自分の身体のラインをなぞりながら鏡で顔を確認していた。難しい顔をしながら鏡の中の自分とにらめっこをして、そしてにこりと笑って俺の方に視線を戻す。


「……な、なんだよ?」


「んーん」


 俺が聞くと、奏乃が笑顔のまま首を振る。


「もしかしたら、案外近くにいるんじゃないかなと思って」


「ああ?」


 俺が返すと、だからー、と奏乃は続けた。


「遊くんの理想のヒロインが近くにいるかもよって言ってるんだよ?」


「はあー……ああ?」


ぼーっと返事をしていた俺だが、奏乃の言葉を頭の中でぐるぐる回して理解した。そして何言ってるんだという意味で言葉を返した。


「近くに、いる……?」


 俺の理想のヒロインがか?

 由衣香ちゃんか? いやいや、あの子は確かに可愛かったけれど、でも理想のヒロイン像に当てはまるかと言われればそれは否だ。だとしたら誰だ、近くにいる? そんなやつ……あれか、ゲームの中にいる的な話? え、なにそれバカにされてる。


「んふふ」


 考えながら奏乃の方を見ると、にっこり笑って俺を見ているだけだった。

 どういうことなんだ?

 ……。

 …………。

 ………………。


「ハッ、そうか! そういうことかッ!」


 そして、俺は一つの結論に思い至った。


「ようやく気づいたようだね、遊くん。そうだよ、それはわ――」


「さあ行くぞ奏乃! そうと決まれば早く学校に行くんだ!」


 言うが早いか、俺は学校に向かって走り出す。数歩遅れて、何かを言いながら奏乃が後を追ってきた。

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