第3話 機関の暗殺者

「事前調査通りのすました方でしたね」


 そう毒づいて、男は先程まで零が座っていた席に腰を下ろした。

 欧米人にしてはかなり珍しい七三に分けられた髪。平凡な顔に張り付かせた笑みを黒縁の眼鏡が覆っている。そんなサラリーマン風の出立の中で、スーツの袖から覗く八角系ベゼルの腕時計が強い異彩さを放っていた。


「あら、影のある雰囲気って感じで素敵じゃない。私は好感が持てたわよ」


 零にアンノウンと名乗った女の美貌を再びサングラスが覆う。すると不思議なことに、女を遠巻きに見ていた店員や客の視線が嘘のようになくなった。


「根暗がお好みとは知りませんでした。その調子でせいぜいあのすました方をたらし込んでくださいね」

「貴方に言われなくともそうするわ。……と言いたいところだけど、あの様子だと無理して近しい関係になるよりも適切な距離を守った方が将来的に友好な関係になれそうね」

「それはそれは、貴方にしては随分と健全な手段ですね。あんな根暗一人落とせないようでは、せっかくの魔眼が泣きますよ?」


 異性を虜にする魅了の魔眼。異能を生まれ持った女は男に対して誰もが見惚れるような、そんな笑みを浮かべた。


「私が彼を想って枕を濡らしたら、貴方、慰めてくれるのかしら?」

「面白い冗談ですね。それよりも先程の話ですが、機関は本気であの程度の男にカケラ集めをさせる気なのですか?」

「あら、不満? 彼ほどの適任はそうはいないと思うけど」

「どうやら貴方は色ボケしすぎて目ん玉をどこかに落としてしまったようですね。目の前にいるではありませんか。これ以上ない適任が」


 そう言って男ーーコードネーム『クロック』は唇の端をつり上げた。それは笑みというにはあまりにも能面じみた、そんな表情だった。


 女ーーアンノウンは男に気付かれぬよう、そっと嘆息した。


 実力、という点だけを見るならば、なるほど、確かに目の前の男は選ばれるだけのものを持っている。

 だが資質という点ではどうだろうか。巨大な力というのは人の心を否応なしに変化させるものであり、善良な市民が大金を手にした途端に別人のようになるなどと珍しくもない話だ。

 ましてや魔神のカケラは個人が持つにはあまりにも大きな力だ。そんな力を持たせるには、目の前の男は些か危ういところがあった。


「……人選に文句があるなら私じゃなくて上に言ってちょうだい」

「上との橋渡しが貴方の仕事でしょう『アンノウン』。……今回の仕事中は何とお呼びすれば?」

「そうね。イザベラ、とでも呼んでもらおうかしら」

「では私はオリバーとでも」

「平和の象徴? 貴方が?」

「私ほど平和に貢献している者はいないでしょう。貴方こそイザベラ(神に捧げられた)などと。己の行動を自覚しての命名なのですか?」

「あら、神に捧げた身だからこそ、平和の為に貢献できるのよ。良ければ貴方も味わってみる? ひょっとしたら神と出会えるかも知れないわよ」

「この私が貴方の肉体なかに神を見ると? ご冗談を。それよりもお聞きしたい。最後のカケラの出現場所はどこなのですか?」

「日本よ」

「……何故あのような小っぽけな島国にカケラが何度も出現するのか。全くもって不条理な話ですね」


 ズレてもない眼鏡の位置を指で調整しながら、オリバーはこれ以上なく不満そうに言った。

 

「あら、あの国の魔術師は侮れないわよ。響山零もあの国の出身だし、何より魔神の故郷じゃない」

「魔神の故郷、その一点であの国が特別なのは認めます。ですが勘違いしてはいけませんよイザベラ。魔神は例外的な存在であって、決して日本人が優れているわけではありません。たまたま魔神が生まれた地があの国だった。それだけのことなのです。ましてや響山零など、あんな男は取るにもたらぬ小物ですよ」


 響山零の魔術師としての経歴は紛れもなく彼を一流の魔術師であると示しており、それを軽視する男の態度に女はわずかな憂慮を抱いた。


「……カケラが日本のどこに出現するかだけど、いくつかある候補の中でもっとも確率が高いのは群馬県のようよ」

「群馬……確か東京、大阪に並ぶ日本の三大都市の一つですね。かの有名な安倍乃静清が修行したと言われる群馬霊山があるという」

「そうね。私も魔術師の端くれとして群馬霊山にはいつか行ってみたいと思っていたから嬉しいわ」

「観光気分では困りますね。それで? その群馬に魔術結社は?」


 世界中に多大な影響力を持つ機関ではあるが、全ての魔術師が機関に所属しているわけでも、ましてや従うわけでもない。

 魔術師は目的や思想が近い者同士で徒党を組む傾向があり、その集団を魔術結社と呼ぶ。

 結社は信仰集団、ヒーラー、民間軍事会社など、自分たちの魔術が活かせる仕事を選んでは、様々な方法で社会との関わりを持っている。そして時には機関に協力ないし敵対する場合もあるのだ。


「日本の、それも群馬県よ? 結社くらい勿論あるわよ。と言っても阿倍野とは関係のないところなんだけどね」


 イザベラはサングラス越しにもわかる程度の落胆をあらわにする。

 遥かな昔、多くの鬼を使役したと言われる阿倍野静清は魔術師の世界では伝説的な存在であり、コアなファンも少なくない。そしてイザベラはその一人だった。


「結社の名前は『生産深山』。結社としての規模は小さすぎず、大きすぎないってところかしらね。これ、資料よ」

「……ふむ。魔術師として真面目に修行に取り組みつつ、農業で成功しているようですね。少ないですが戦闘に長けた者もいる模様。交渉は?」

「まだよ。適当な理由をつけて接触はするけれど、本当のことはギリギリまで隠しておくつもり」

「何故ですか? 小さな島国の結社など我々がちょいっと脅してやれば唯々諾々と従うでしょう」


 オリバーの言葉の端端からは、まるで己が世界の中心であるかのような尊大さが滲み出していた。

 この男のこういうところが付き合いにくく、御しやすいのだ。イザベラはそう考えていた。


「カケラ持ちからカケラのみを摘出することはほぼ不可能よ。殺される。または自由を不当に奪われると知って大人しく従う者は少ないわ。特に力を持つ者なら尚のことね」

「嘆かわしいことです。それに不当と言うことはないでしょう。我々がいるからこそ、世界は秩序を維持できているのです。機関はもっと我々の活躍を喧伝すべきだ」

「機関が目立てば魔術を秘匿するのはより困難になるわ。ただでさえ魔神の影響で霊的存在と接触する者が増加しているのよ。次の魔神が誕生すれば、もう隠しきれないでしょうね」

「知識もない愚か者どもが見様見真似で儀式を行い、材料次第にもなりますが、その何割かは何かをこちらに招く。そんな愚かな行為が世界中で行われるのが目に見えてますね」

「ええ。パンデミックのように世界各地で霊障が多発することになるわ。その後はどんな世界になるのか……ちょっと想像できないわね」


 認識は世界を変える。

 一度世界が魔術を含めた世界の秘密を知ればその影響は計り知れない。

 だからこそ機関は目的の為にその力を誇示することはあっても、基本的には世界のバランスを崩しかねないあらゆる事件を闇の中に葬ってきたのだ。


「世界の行く末なんて難しい命題は上層部に任せて、下っ端は仕事の話をしましょう。オリバー、貴方は現地に赴き響山零のサポートをしてもらうわ」

「サポートですか。この私が、あの程度の男の」

「……知っての通り、星詠みを抱えているのは米国わたしたちだけじゃないわ。既にアフリカとロシアは動いていると見ていいでしょうね」

「世界四大結社の二つがありますからね。その上どちらもカケラ持ちと来ている。実に厄介な連中ですよ」


 カケラを所持することで個人として破格な力を持つ上に、機関に匹敵する社会的な権力ちからまでもを持つ相手。機関が魔神再来を阻止する上でアフリカとロシアは最も危険な勢力と言えた。


「だからこそ、貴方が呼ばれたんでしょう。クロック」


 女の視線を受けて、機関でも指折りの暗殺者は初めて人間らしい笑みを浮かべた。ただしそれは好感とは程遠い印象の笑みではあったが。


「何でしたらついでにあの根暗も狩ってきますよ」

「やけに彼にこだわるのね。過去に何かあったのかしら?」

「別に。ただ彼が気に入らない。それだけですよ」

「意外ね。二人は気が合うと思っ……あら? もう、せっかちなのね」


 いつの間にか空白となった席を前にイザベラは肩をすくめると、空になったジョッキを手に取った。


「ごめんなさい、おかわり貰えるかしら」

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魔神戦争 名無しの夜 @Nanasi123

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