第2話 依頼

「星が囁いたわ。いよいよ最後のカケラが現れるらしいわよ」


 食後のコーヒーを待っていた響山零は断りもなく相席した女の第一声に顔を上げた。


「何の用だ?」


 昼下がりのカフェレストラン。人の波が店内から街道へと映ったお店は昼時の喧騒が嘘のように閑散としており、少々遅れたランチタイムを楽しむ僅かな客もオープンテラスから見える街の景色に夢中だ。


 そんな中、狭く日当たりの悪い席に進んで座った物好きな女は、先客からの質問を笑顔で受け流した。


「最後のカケラの出現場所は日本。当たり前だけどこの情報はトップシークレットよ。ああ、勘違いしないでね。うちの星読みは確かに優秀だけれども、他の結社にも優れた星読みはいるわ。この情報を知ったからと言って仕事を受ける受けないは貴方の自由よ。まっ、貴方は受けるでしょうけどね。あっ、ビール貰える? 特大のジョッキで」


 零の前に湯気が昇るマグカップが置かれる。注文を了承し、去っていく店員を一瞥すると女はテーブルに一枚の封書を置いた。


「中に最後のカケラについての資料があるわ。貴方はきっと自分で調べようとするでしょうけど、カケラがまだこちらに現出してない以上、きっとこれ以上の情報は出てこないわよ」

「何の用だ?」


 二度目の質問。それと同時に元々鷹のように鋭かった零の瞳が一層細められ、百八十を超える高身長ながら影のように希薄だった肉体が一気に存在感を増した。


 サングラスに隠された女の瞳がうっとりとしたモノに変わる。


「分かってるくせに、意地悪なのね」


 女はそう呟くとしなをつくってみせた。


「貴方に仕事の依頼をしたいの。報酬は十億。既に前金は貴方が最近作った口座に振り込んであるわ。残りは仕事の後でね。あっ、ありがとう」


 ビールが並々と注がれた特大のジョッキがテーブルに置かれる。女は零から向けられる殺気に近い気配などまるで感じていないかのようにそれを豪快に飲み干した。


「はぁ~! やっぱり仕事の最中に飲むビールは最高ね。貴方もどうかしら? 奢るわよ」

「……機関の者か」

「そうよ。コードネームは『アンノウン』。今回のカケラ回収の、まぁ責任者のようなものよ」


 機関。超常の存在を表の社会から隠蔽することで人の世の秩序を守り続けてきた世界最大の魔術結社。

 裏の社会と深い関わりを持つ者であれば誰もがその存在を知り、目をつけられないように細心の注意を払う、まさに闇に生きる者達にとっての法律そのものだ。


 女の登場以降、一貫して無表情を保っていた零の表情が曇る。しかしそれは機関を恐れてのことではなかった。

 

 あるいは零がまだ人並みの幸福を手に入れようとしていた時ならば女の機嫌を損なわないよう必死になっていたかも知れない。だが今の零には機関など心底からどうでも良かった。零が気にするのはただ一つ、目の前の女が己の目的の障害になるか否かだ。


「やだ、そんなに警戒しないでよ。どの道私が話を持ちかけなくても貴方はカケラを追うんでしょ? なら私達を利用した方が目的達成には都合がいいとは思わないかしら?」


 それは間違いないだろう。機関は殆どの国に顔が利く。カケラを追う際に警察を問題としなくて良くなるのは大きなアドバンテージだ。


「俺が魔神のカケラを手に入れたとして、それをお前達に素直に渡すと思うのか?」


 かつてたった一人で世界に戦いを挑んだ最強の異能者がいた。あまりにも強く、単独で世界の理を変えてしまった彼をある者は魔王と恐れ、またある者は神と崇拝した。故に魔神。

 魔神が死んで半世紀。世界は魔神のカケラを巡って至る所で血の雨が降っていた。


 女は店員を呼ぶと、再度ビールを注文した。


「貴方の言いたいことは分かるわ。でも安心して、私たちの目的は同じよ。魔神のカケラを処分する。貴方にはこの一件だけじゃなく、今後もカケラの回収をお願いしようと思っているわ」

「……『保守派』か」


 魔神との戦い以降、長きに渡り組織としての完璧さを誇っていた機関が大きく二分したのは有名な話だ。

 二つに割れた機関の勢力、その一つは保守派と呼ばれ、今まで通り超常の存在を秘匿することで人の社会の秩序を守るべきだと主張している。

 そしてもう一つが改革派だ。彼らは魔神が与えた影響を受け入れた上で、人の社会に新たなる秩序を敷くべきだと主張していた。


「保守派って言い方は何か頭の固いお爺ちゃんをイメージするからあんまり好きじゃないのよね。でもまぁ、そうよ。私達は魔神の起こした問題をなかったことにしたいと思っているの。貴方も同じでしょう? 婚約者をその手で殺害することになった響山零さん」


 ピシリ、と空気にヒビの入る音がした。ひび割れたそこからドロドロとした怨念めいたモノが溢れ出し、それが女の全身に絡みつく。


「……ごめんなさい。失言だったわね」


 青ざめた表情とは裏腹に、女の口から吐き出される吐息は熱を持っていた。


 零はテーブルの上の封筒を手に取ると、コーヒーに手をつけることなく席を立った。


「待って。これから命懸けの任務に協力して挑む仲じゃない。失言の謝罪もしたいし、今から私が借りてる部屋に来ない?」


 女の顔からサングラスが外れる。するとどうだ。欧米人の中でも一際眩しい金色の髪に、モデルのように出るところが出たスラリとした肢体。まるで隠されていたモノが露わになったかのように、店内の視線が彼女に集まった。


「仕事は引き受けた。だから余計な真似はするな」

「あら、私は貴方の好みじゃない?」

「仕事中に酒を飲む奴は信用しない」

「真面目なのね。嫌いじゃないわよ。でもね、零。私のことを知ればきっとそんなこと言ってられなくなるわよ?」


 零を上目遣いに見る女の瞳が妖しく輝く。たとえ同性であっても魅力するであろう美貌。あまりにも美しすぎるそれは明らかに通常とは異なる力を放っていた。

 だが既に死に場所を求める屍と成り果てた男に色香などどれ程の意味を持つだろうか。

 零は無言で背を向けるとそのまま店を出た。


「あら……ふふ。可愛い」


 そう言って笑う女の赤い唇を、チロリと伸びた舌が蛇のように張った。

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