第11話 おやすみ

 そうしていると、夜がきた。あっという間であった。こんな状況であるのに楽しんでいた。こんな状況だからこそなのかも知らなかった。

 耳をすませてみても、外から音は聞こえなかった。雪の夜のような静けさがあった。

 この空間を照らすのは、瓦礫の隙間から侵入している少しの月明かりだけだった。しかし、距離が近いからか、シャーロットの顔だけはしっかりと見えていた。月明かりの淡い色をしていた。


 その静寂の中、シャーロットのお腹の虫が鳴った。とてもとても立派な鳴き声だった。

 シャーロットは耳まで真っ赤にし、キートンを上目遣いで見た。聞かれたかなと、窺っているみたいだった。キートンは言った。


「生きてる証拠だ」


 シャーロットは顔を伏せた。それが面白くてキートンは笑った。彼女は、笑わないでよ……と呟いた。

「キートンさんはお腹は減ってないの」とシャーロットは言った。

「数日は食べなくても平気だ。それよりもタバコを吸いたいよ。どこかに落としてしまったみたいでね」

 シャーロットの眉がぴくりと動いた。「キートンさん、タバコなんて吸ってるの? 体に悪いよ」

「いいんだ。いつ死ぬか解らないんだし、別にタバコくらい」

 シャーロットの眉がまたしても動いた。そして険しい表情を浮かべた。

「キートンさんはいつ死ぬか解らないと思いながら、剣を振るってきたの? そんなの絶対にだめ。明日も生きたいと思うからこそ、剣を握るんじゃないの? みんなもその気持ちのはずだよ。なのに、キートンさんがそんな気持ちで剣を握っちゃ、あなたと戦った人が可哀そう」


 シャーロットの言葉は、キートンの胸に重く突き刺さった。至極真っ当な言葉だった。

 確かに魔王にも生きたいという凄まじい執念があった。負けると解っていながらも立ち向かってきた――

 誰でも、生きたいと願うものなのに――


 キートンはたまらなくなり、思わず言った。


「抱きしめてくれないか……」

「え?」

 キートンは慌てて、

「いや、すまない。忘れてくれ」と言った。


 自分でもなにを言うのだと思った。酒が入ってないと言えないセリフだった。もちろん素面(しらふ)だった。キートンの顔は、酒が入っているかのように赤くなっていた。

 しかしシャーロットは、いいよと言った。


「え」

 するとキートンの胸に顔を埋め、小さな両腕でぎゅっと抱きしめてくれた。

 締め付けられるのがとても心地よく、とても温かった。ずっしりと体に響いていた。


 どうして、彼女は優しくしてくれるのだろうかとキートンは考えた。

 だがキートンには女心は解らなかった。そもそも自分の心すらも解っていないのだから。戦争が終わり職を失っても、ジゴロにはなれそうにもなかった。


 どうして優しくしてくれんだ、とキートンは訊いた。


 シャーロットはくすりと笑うと言った。

 ──一目惚れしちゃったから、かな。素敵な人よ、キートンさん。


 彼女の言葉が冗談だったのか、判断がつかなかった。

 キートンは彼女の言葉を真似、魔人族に口説かれたのは初めてだよと言った。


 彼女はまたくすりと笑った。彼女の笑みは、美術家が描いたかのような魅力があった。彼女の笑みは、どんなお褒めの言葉よりも、どんなお酒よりも安らげた。

 キートンはゆっくりと目蓋を落とした。


 段々、眠たくなってきた。起きよう起きようとしても、ズルズルと引き込まれていく――彼女に溶けいっていく気がした――


 おやすみなさい。

 とシャーロットが言ったような気がした。

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