第10話 二人だけの会話

「いや、俺はそんな強い人間じゃない」

「そうだよね。あなたは勇者だけど、その前に一人の人間ですもの」

「…………」


 キートンはけっして表情には出さなかったが、彼女の言葉に胸を揺さぶられていた。

 故郷のものや味方からは、期待と畏怖を抱かれ、誰もキートンをキートンとして見なかった。我らが偉大なる救世主、勇者さまとして見ていた。


 それも仕方がないことだと、キートンは理解していた。だが、時々どうしようもなくなるときがある。感情が胸を裂いて逃げ出し、暴れ出しそうになる。

 だからキートンはよく、俺はそんな人間じゃないと言うのだ。理解してほしいという気持ちと、慰めてほしいという気持ちで。


 なんだか、とてもとても彼女にすがりつきたい気持ちになっていた。


 もちろん、そんな事をできるはずはない。キートンはぐっと感情を抑えた。彼女の言うようにタフであろうとした。


 キートンは言った。「ありがたい言葉だよ」

「皮肉……?」

「まさか」とキートンは言った。「本当にそう思ってるんだ」


 彼女が瞳を覗き込んできた。すべてを見透かされている気がした。だがそれでも良かった。


「あなたは哀しい目をしている」と彼女が言った。怪物を見ているかのような憐れみを感じた。

「哀しそうな目?」

「うん。あなたに立ち塞がった時も、そう思った。よく言われない?」


 ルルーにも似たようなことを言われたのを思い出した。それも遠い記憶のように感じられた。戦争では色々なことが起こりすぎた。


「初めてかも知れないな、そんなことを言われたのは」

「誰もあなたを見てないんだね」と彼女は言った。「私はよくお城で勇者の話を聞いた。みんなはまるで、殺戮兵器みたいにあなたのことを話していたけど、私はどうしてもそうは思えなかった。確かに話を聞く限りは、鬼のように強いし魔国にとっては脅威であることは間違いない。

 でも、勇者といえどその前に一人の人間。ちゃんと母親のお腹から生まれてきたはず。私は、勇者がどんな気持ちでいるのか、とても知りたかった。殺戮を楽しんでいるのか、それとも悪夢を見ているのか。どちらにしても、なんて辛いことだろうって思った。私は、勇者に同情を抱いた――。

 そして、こうしてあなたを見て、私はとても悲しくなったわ。殺戮兵器なんかじゃなかったから。まだ私とも歳が変わらなくて、心優しい人だった。どこが殺戮兵器なのか」


「…………」

 誰かに同情されたのも、キートンは初めてだった。やはり、彼女は心を揺さぶってくる。誰も触れてくれなかったところを、癒すように撫でてくれる。それが嬉しかった。

 だが見栄を張り、笑って見せた。キートンはタフであろうとした。タフでなければいけない気がした。タフでなければ、誰からも見捨てられる気がした。タフでなければ、自分ではなくなってしまう気がした。キートンには気がすることばかりだった。ここには、自分の他には彼女しかいないのに。


 それでもキートンはタフであろうとした。タフでなければ生きていけないと、誰かが言っていた。同感だった。


「胸がドキドキしているけど、どうしたの?」と彼女は言った。

「きっと君に夢中になっているんだと思う」

 彼女は少し笑った。「人間に口説かれたのは初めて。ねえ、勇者さん。お名前は?」

「キートン。君は?」

「シャーロットよ、キートンさん」

「シャーロットか」とキートンは噛み締めるように言った。「今更だが、どこか痛むところはないか?」

「頭が少し。でも、その他は大丈夫。潰されている様子はないよ。それよりも、あなたの左腕は……」

「言っただろう。気にするな。心配することはないさ、潰れてはいない」

「痛みは?」

「あるにはあるが、平気だ。鍛え方が違う」

「……ごめんなさい」とシャーロットは言った。


 キートンは目を閉じ首を振った。「謝るのは、お互いにもうよそう」

「そう、だね……」


 そこで、沈黙が生まれた。けっして苦痛を伴う沈黙ではなかった。良い沈黙だった。

 シャーロットの息遣いが聞こえる。体温もふと感じた。

 不思議な感覚だった。体を重ねているからか、まるで二人溶けいっていくようだった。シャーロットも同じように感じているのだろうかとキートンは思った。


 沈黙を破ったのはシャーロットだった。


「ねえ、あなたの話を聞かせて」

「俺の?」

「うん。どうして、キートンさんみたいな人が勇者になったの?」

「そうだな……」


 自分の過去を話すのは得意ではなかった。弱みを見せてしまう気がするからだ。つけ入られてしまう気がするからだ。

 しかし、シャーロットにならそれもいいかと思った。むしろ、知ってもらいたい気持ちがあった。こんなことを思うのは、初めてのことだった。

 キートンにとって、シャーロットはたくさんの初めてをくれる女(ひと)だった。


「だめ?」とシャーロットが言った。

「いや、駄目じゃないよ。そうだな――」キートンは頭の中で話をまとめると、「帝国では昔から、言い伝えがあった。国の救世主となる勇者が、いつか現れるという言い伝えだった。その救世主は、手の甲に紋章を宿すと言われていた。誰もがそんなことおとぎ話だと思っていたし、俺だって今でもそうに違いないと思っている。

 しかしある日、ある夫婦に紋章を宿した子供が生まれた。そして間もなくして、噂を聞きつけた帝国がその赤子を引き取った。帝国はおとぎ話を信じることにしたんだ。聞くところによると、夫婦にはそれなりの謝礼が支払われたらしい。夫婦は――まあ俺の両親だが、帝国の命(めい)であるから泣く泣く俺をさずけたのか、それとも幸運だと高笑いしていたのかは解らない。聞くこともなかった。そして俺は帝国に引き取られ、殺しの勉強に励んだ。

 この紋章が勇者の証拠らしいが、本当に紋章なのかは解らない。もしかしたらただの痣なのかも知れない。紋章でも痣でもどちらでも同じことではあるが。帝国も、国をまとめ上げる象徴(イコン)が欲しかっただけかも知れない」


「そうだったんだ……」とシャーロットは言った。なにか考えているように目を伏せた。「勇者もなりたくてなったわけじゃないのね」

「まあな。始めは使命というやつに燃えていたが、今はよくわからはいよ。次の時代が早く来てほしいと思うだけだ。きっと誰もがそう思ってるんだろう。武器商人以外はだが」


 シャーロットはふふっと笑った。違いないねと言った。


 二人はそのあと、お互いのことを話した。彼女の生い立ちや魔国のこと、キートンは帝国のことを話した。両国は鉄のカーテンで遮られていたから、興味深い話ができた。それはシャーロットも同じようだった。

 人間を怨んでいるのかとも訊いてみると、彼女はそんなことない、ときっぱり言った。戦争だから仕方がないよ、と。

 キートンは嬉しかった。帝国を代表した気持ちになって、ありがとうと言った。


 彼女の、その特徴的な角の話もした。それは髪の毛でできているらしい。触ってみると固かったが、すべすべとした手触りがあった。彼女は顔を赤くし恥ずかしがっていた。

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