第9話 瓦礫の下

 キートンは目を覚ました。仰向けに寝転んでいた。


 まず目に映った光景に驚いた。見渡す限り瓦礫であった。右も左も真ん前も、瓦礫で埋めつくされていた。

 どうやら、落下してきた瓦礫の中にいるみたいだった。折れた柱が真ん中にあり、支えてくれているみたいだった。だから空間が生まれ潰れなくてすんだ。

 ところどころから光が漏れている。がやがやと外の音も少しだけだが聞こえた。不思議としかと言いようがない空間だった。


 不思議だが、どうしてか宿屋のベットのように安らげた。人間、なにかに囲まれていたら安心できるらしい。母親の腹の中にいた時のことを思い出すのだろうか?


 キートンは左腕を伸ばしていた。そして動かせなかった。瓦礫で埋まっていた。感覚はある。潰れてはいないようだった。右足も同様だった。

 折り重なるように娘が体の上にいた。うつむけになり、キートンの胸に顔を乗せていた。

 声をかけてみても反応はなかった。死んでいるのか気絶しているのか、一目見ただけではキートンには判別できなかった。


 右手で脈をはかってみる。

 キートンはふうと吐息をついた。まだ息はあるようだった。額から少しだけ血が流れていた。それを右手で拭ってやった。


 キートンは持ち上げている顔を戻した。後頭部に固い感触があった。固すぎる枕であった。慣れてくれれば良いがと思った。

 キートンはもう一度顔を持ち上げ、彼女の頬を叩いた。彼女は、んん……と声を漏らし、ゆっくりと顔を上げた。虚ろな目でキートンを見ると、次の瞬間には生気のある目を取り戻した。


 そしてキートンの体の上にいると知ると、ごめんなさいと言い急いで起き上がろうとした。しかし彼女も瓦礫に挟まれているため、起き上がることはできなかった。反応を見て体に怪我がないことは解った。なによりだった。

 どうなっているのと彼女は声を漏らし、あたりを見渡した。そして、すべてを思い出した。


「ああ、そうだお父様……。お、お父様は……」


 彼女の目から涙が溢れ、堪えようとしたが、遂には声を出して泣き出した。

 キートンの胸に顔を隠した。涙で胸が湿っていくのが解った。


「大丈夫、大丈夫だから」とキートンは声をかけた。自分でもなにが大丈夫なのかは解らない。それでも大丈夫と言い続けた。そうするしかなかった。途中で、平気に言葉を変えたが一緒のことだった。

 すると彼女は顔を上げ、両手で涙を拭いながら言った。「ごめんなさい。あなたが悪いわけじゃないって、私も解っている。わかってるいるけど……」


 そう言うと、彼女はまた泣き出した。懸命に声を押し殺そうとしていた。その姿がとても悲しかった。キートンは堪えなくてもいいと言った。彼女はこくりと頷くと、わっと泣き出した。


「あなたが悪いわけじゃないって、私も解っている」


 キートンは彼女の言葉が反芻していた。思いがけない言葉だった。そんな言葉をかけられるとは思わなかった。天敵の勇者であり、しかも父親を殺そうとしていたのに。なんて心優しく、慈悲深いのか。


 彼女はそのあとも泣き続けた。何時間と経ったのか、もしくは数十分だったのかは、よく解らなかった。

 ただ彼女の悲痛でキートンの胸は締め付けられていた。自分の胸の鼓動と、彼女のすすり泣きしか聞こえなかった。


 彼女は、次第に落ち着きを取り戻していった。

 鼻を啜り、手でぐいっと涙を拭うと顔を上げた。目は充血し、目尻から頬にかけては涙のあとがあった。

 キートンはいたたまれない気持ちになった。目を背けようとしたが、逃げるわけにはいかない。キートンも彼女を見据えた。


「ごめんなさい。パニックになっちゃって……ごめんなさい」と彼女は言った。

 それも意外な言葉だった。怨みの言葉を吐くのならまだしも、どうして謝れるのだと思った。


「それと、左腕は……」と彼女はおずおずと訊ねた。心配までしてくれとは。

 君が気にすることじゃない、とキートンは言う。それよりも訊きたいことがあった。キートンは言った。

「君は、俺を怨んでいないのか……?」

 娘は少し沈黙した。そして、

「なにも思ってないと言えば嘘になる……。でも私だって魔王の娘、色々な人から怨まれているもの。怨む資格なんてない……。

 それに、戦争が始まった時から覚悟はしていた。お父様はこの国の王だし、もし負けることがあればどうなるかは解ってた」


 キートンはなにも言えなかった。沈黙が正解ではないということは解っていた。

 だから言葉の代わりに、腰に下げてある水筒を取り出すと、彼女に渡した。


「これを。水分は大事だから」

「ありがとう」

 彼女は頭を下げ水筒を受けとると、キャップに手をかけた。つやつやとした爪が目に入った。


 ごくごくと口に含み飲み終えると、キャップを閉め、もう一度ありがとうと言いキートンに返した。

 彼女の礼儀正しい態度に驚いていた。初めは泣いていたが、今はもう毅然としていた。キートンの目を、まっすぐな瞳で見据えていた。それは一国のお姫様だからできるのだろうか。


「俺が怖くないのか? 突然、君の首に手をかけるかも知れないんだぞ」とキートンは言った。

「親切に水をくれた人が?」彼女は首を振った。「私にはそうは見えない。あなたは確かに勇者で敵だけど、殺しを悲しんでいる人。廊下で会った時も、あなたは逃げろと言ってくれた。とても優しい人……、どうしてあなたみたいな人が勇者なのか、私には解らないわ」

 彼女は、キートンにとって意外な言葉をたくさん言う。キートンは言葉を詰まらせていた。

「――そんなこと、言われたのは初めてだよ」とキートンは目を逸らして言った。

「嫌だった……? 男の人は、やっぱりタフでありたいと思うの?」


 キートンは少し笑った。男の心理をよく解っている。キートンは逸らしていた目を戻した。彼女の瞳を見た。小さな自分が湾曲して映っていた。

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