第29話 時代

 キートンはラルサンから雨具を拝借し、コールを抱え街まで来た。


 そして衛兵の営舎に訪れると、事情を話した。初めはキートンを疑っていたが、それも仕方のないことだった。キートンは血で真っ赤になっていた。

 しかし勇者であると告げると、ころりと態度が変わった。やがて洋館に向かい調査を開始すると、完全に身の潔白は証明された。状況からも、デボラがやったということは明白だった。


 キートンは椅子に座り、コールを抱いていた。すると一人の衛兵がコーヒーを出してくれた。


「赤ん坊が無事で良かった」と衛兵が言った。「この子は、これからどうなるのでしょう」

 キートンは衛兵の方を見ず、言った。

「この子の父親は人間だったが、母親は獣人だった」

「えっ!」

 キートンは顔を起こし、衛兵を見据えた。

「親族たちの反応は、それ以上だったろうね。だから父親は親族から勘当された。誰も引き取りやしないさ」

「…………」


 衛兵は言葉を発しなかった。獣人とのハーフなんだから当然と思っているのか、それとも本当に哀れんでいるのか。

 キートンはコーヒーを啜った。良くも悪くも、苦すぎた。嫌いではなかった。


「俺はこの子を育てることはできない。だが引き取り先の面倒は俺が持つ。信頼できる友人がやっている施設に預ける」

「しかし、色々面倒な手続きがあるはずですよ」

「そんなものいくらでも書くよ。ペンを滑らせるだけでいいんだ」


 キートンはコールを見た。何も知らぬ穢れも知らぬ顔をして、なにかを言っていた。キートンは顔を起こし、また衛兵を見た。


「俺はそろそろ行く。あとの処理は頼むよ」

「は、はあ」


 キートンは立ち上がり、歩き出した。後ろを振り返ると、「コーヒー、ありがとう」と言った。

 外に出てみると、雨はもう上がっていた。雨具は、表に立っている衛兵にさずけた。


 街を出て、また山道を歩く。道は雨でぬかるんでいた。水溜まりもできていたが、ドロで濁り空は映していなかった。明日になれば乾くのだろうかとキートンは考えた。無意味な思考だった。コールは両腕をぶんぶんと振っていた。

 友人がやっている施設は、ここからだと一日近くかかる。とりあえず、それまでこの子と一緒だ。


 それまで、この子にどんなことを話してやろうか――


 ……君の両親は、亡くなってしまったね。でもそのかわりに、多額の遺産が君のものになった。歪な関係の両親だったから、むしろ良かったのかも知らない。父はクスリに溺れ、母は獣人族で、しかも奴隷だった。そのまま君が大きくなり物心がつくようになれば、確実に悲しい思いをしていただろう。救いはなにもなかった。そう考えれば、自由にできるお金の方が有難いのかも知れない。

 けどどちらの方が幸福だなんて、俺には解らない。なにも解らない。お金はあっても、両親の顔も知らなければ愛も知らないんだから。君は、どちらの方が良かった──?


 コールはなにやら声を出した。だが、どちらの返答を下したのかは解らなかった。


 キートンは苦笑した。赤ん坊相手になにを言っているんだ、俺はアホになっちまったのか、と自嘲する笑いだった。

 そもそもこの子にとっては、そのどちらも幸福ではないのかも知れないのだ。ただ言えるのは、生まれてくる時代が違えば、今よりは確実に幸せだったということだ。なにもかもが、自分たちの世代のせいなのだ。この時代に影を落とした大人のせいなのだ。いつもいつも、生まれてくる子供たちが被害を受ける。


 キートンは久々にタバコを吸いたくなっていた。だが、どんな味だったかはもう忘れ去っていた。おそらく、こうしてラルサンやデボラたちの顔も、忘れていくのだろう。

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