第25話 お別れ
朝食をいただいている時、明日の朝ここを出ようと思うとキートンは言った。
宿泊費も払おうと言うと、ラルサンは首を振った。
「宿泊費なんてとんでもないですよ。ずっとここにいてくれても構いませんのに」
「ありがとう」とキートンは微笑み言った。「だがそうともいかないさ。まだ旅の途中だから」
「キートンさん……」
「ありがとう、ラルサン」
ラルサンは立ち上がると、キートンにバグをした。キートンも右腕で抱き返し、肩をポンポンと叩いた。
三人にも別れを告げると、悲しそうにしていた。それは、キートンがいなくなればラルサンの暴力を止める者がいなくなるからか、それとも本当に寂しいと思ってくれているのか。もっとも、例によってデボラの表情は読むことができなかった。
コールに別れを告げても、やはり反応はなかった。当然である。コールが大きくなった時、キートンのことなど露ほども覚えていないのだ。でもそれでいいんだとキートンは思った。
その日の晩は、ご馳走を振るってくれた。シャンパンやワインも楽しんだ。どれも上物であった。一本、旅のおともに持って行きますかと言われたが、キートンは断った。ラルサンは笑っていた。
窓の外を見てみると、厚い雲に月が隠れ、明日が雨であるということを告げていた。朝日を浴びて旅に出たいと思ったが、叶いそうにはなかった。
次の日の朝、起きてみるとやはり曇り空だった。外は薄暗く、今にも降り出しそうだった。
階段を降りていく。おはようを言おうと思い、キッチンの方へ向かった。
扉を少し開けたところで、話し声が聞こえてきた。
「おかしいなあ、夕食の分の食材がないや……」
これはグレタの声だった。次にアンが言った。
「え、本当に?」
「うん。これはお昼分も怪しいなあ。どうしたんだろ、デボラ」
「キートンさんを送りとどけたあと、買ってくるのかしら?」とアンが心配するような声で言った。
「そういえば、選択物も干してなかったような。今日は雨なのに……」
「体調でも悪いのかしらね。まあグレタ、そんなに心配しない心配しない」
デボラでもうっかり忘れてしまうことくらいあるのだろう。そんな抜けているところもあるのが、なんだか嬉しかった。
キートンは扉を開け中に入っていった。二人はびくりと体を震わし驚いたが、振り返りキートンだと知ると、安堵の表情を浮かべた。
「おはよう」とキートンが言った。
二人も頭を下げおはようございますと言った。
「いい匂いだ。最後に食べさせてもらえる朝食は、なにかな?」
二人はクスッと笑い、嬉しそうに話してくれた。別れの時だから惜しんでくれているのか、色々なことを喋ってくれた。キートンはそれが嬉しかった。
朝食は、鮭のムニエルと食感が柔らかなパンだった。それをいただいたあと、キートンはお暇することにした。
外に出ると、黒い雲のせいであたりは薄暗かった。本当に朝かと思った。
みんなは玄関の前にまで見送りにきてくれた。ラルサンが前に立ち、その後ろに三人が並んでいる。コールはデボラに抱かれていた。
ラルサンは悲しそうな顔を浮かべると、両手を大きく広げてハグしてくれた。それはとても温かった。
「世話になったなラルサン」
「また会いましょう。あなたはローンと同じように、私の大切な友人だ」
キートンはラルサンと握手を交わした。思えば、この滞在は握手で始まり、握手で終わっていくのだ。美しいことだった。悲しくもあった。
グレタもアンもデボラも、さよならの言葉をくれた。ラルサンの手前、簡単なものではあったが、想いが詰まっているのは解った。キートンも想いを込めありがとうと言った。
だが、デボラの言葉には少し引っかかっていた。
「さよなら、キートンさん。きっとあなたに会いたくても、もう会えることはないでしょう」
そんな言葉だった。デボラらしいといえば、デボラらしいのかも知れない。
キートンは背を向け、歩き出した。ラルサンがお達者でと言った。キートンは体を捻って後ろを向き、右手を挙げた。
また前を向き歩いていると、こらデボラ! というラルサンの声が聞こえてきた。
振り返ってみると、デボラが駆け足でこちらに向かっていた。ラルサンは胸の前で拳を握り怒っていた。キートンは右手を挙げ、まあまあとラルサンを制した。
デボラがそばにくると、
「どうしたんだ?」とキートンは訊いた。
「すいません、お願いがありまして」
「お願い?」
「はい。街の近くに寄りましたら、衛兵を呼んでおいて頂けませんか」
「この洋館に? 別に構わないが、どうして」
「山でよく、犬や猫の死骸を見かけます。人がやったようなんです。それを調査してもらおうと思いまして」
犬猫のズタズタになった死体があると、確かグレタも言っていた。
解ったと言うと、デボラは頭を下げ去っていった。
なんだったんだろうとキートンは思った。おかしな感覚だった。これもデボラらしいといえば、デボラらしいのかも知れないが。
キートンはふたたび歩き出した。
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