第21話対戦相手は『鬼の料理を作りし一族』料理鬼第一席⑥
かな子は最後に一皿分だけ鯛を取り分けてその場を離れて、少しあたりを見渡す。
石庭の端のほうで腕を組んであやかし達の様子を黙って見ているだけの伊織を見つけた。
かな子は砂利を静かに踏みしめて伊織の前に立つと、魚を取り分けた小皿を差し出した。
「よかったら、食べてみてください」
伊織は渋々という顔で受け取った。
しかし受け取ってはみたものの、手をつける気にはなれないようでただ皿を持ってるだけ。
かな子はそんな伊織をみて苦笑いを浮かべる。
そして伊織の隣に並んで、美味しそうに食事をしているあやかし達を見つめた。
しばらく二人並んであやかし達の愉快な食事風景をみていたが、
「……なんてことをしてくれたんですか」
と、ため息交じりの伊織の言葉が小さく響く。
「ちゃんと責任は取るつもりです」
かな子は伊織の言葉にそう返した。
「責任? それはあなたが、料理鬼の第一席になって、彼らを弱らせる料理を作ってくれるという意味ですか?」
「まさか、違いますよ」
「でしょうね」
と呆れたような声色の伊織に、かな子は恐る恐る視線を向けて見つめる。
「……怒ってます?」
「それはもう。……と言いたいところですが、自分でも不思議なぐらい落ち着いてるかもしれません」
と言って伊織は不思議そうに眉根を寄せた。
それを見てかな子はくすりと笑った。
「本当は伊織さんも、私と同じ気持ちだったんだと思います。あやかし達のことが好きなんですよ。だって、伊織さんはあの時、私が白糸さんに料理を作るのを許可してくれました。本当にあやかし達を滅ぼしたいと思っていたら、あのまま白糸さんには何も食べさせず、弱らせたままのほうがよかったはずです」
「それは……」
と言って、気まずそうに視線をそらす。
「その時は、ただうっかりして気づかなかっただけです」
伊織は小さくそう返したが、本当にうっかりでそうしたとは思ってはいないことを、かな子はなんとなく察した。
ただ単に、白糸の身を案じたのだろう。
だって彼らと少し一緒にいたかな子ですらこんなにも情が湧いている。
伊織にいたっては、今まで料理鬼の第一席として、かな子の比じゃないほど長く彼らと一緒にいたのだ。
しかもあやかし達は、伊織という料理鬼を慕っている。
それで、情をかけずにいられるだろうか。
純粋で豪快で、楽しげな彼らとともにいて、好きにならずにいられるだろうか。
「伊織さん、あなたのご先祖様が作った呪いを終わりにしましょう」
かな子が真面目な顔でそういうと、伊織は眉を上げて何度か瞬きした。
「終わりにする……?」
「そうです。はっきり言います。伊織さんのご先祖さまが考えたあやかし達を封印する方法は失敗したんですよ」
「なっ……!?」
と、伊織がかな子に何か言おうとしたが、かな子が強い視線で伊織を見上げるので思わず口を閉じた。
「だって、そうでしょう? もともと結界がほころぶ前に、弱らせて動けなくする予定だった。でも、鬼達は結界がほころび始めた今もなお、動けてます。私を追いかけて人の世に行こうとするぐらい」
一族の行いを失敗と言い捨てたかな子に、伊織は一瞬怒りのような気持ちを抱くが、しかしかな子の言ったことはまさしく事実だった。
結界の封印がほころびる前に、鬼達を完全に弱らせておく必要があったのだ。
しかし、それは失敗したと言っていい。
「それは……。いえ、まだ手はあります。結界をかけ直せば、あるいは……」
と言って伊織はいい淀む。
「結界をかけ直すことができるんですか?」
「……できるかどうかと言われると難しいです。現在に生きる陰陽師の中では、あれほど巨大な空間を封印できるものはおそらくいない」
苦虫を噛み潰したような声で伊織が白状すると、かな子はニッと微笑んだ。
「なら、作戦を変えましょう!」
かな子は拳を握って伊織に詰め寄る。
「伊織さんの一族の作戦はもう一つあったはずです。鬼達が力を合わせて結界の外に出ていかないようにするために、あやかしにとって快適な世界を用意するって作戦。空気も合うみたいで、あやかし達は基本的に外に出ようとは考えてません。今も」
「ですが、それは今日までの話で、今はあなたの料理を求めて、外に行こうと……」
「そうです! 彼らは美味しい料理が食べたくて外に出ようとしました。青葉くんのお母さんだって、子供が食べれる料理を探しに外に行ってしまったんです」
ふんふん鼻息荒く迫るかな子に、伊織は少したじろいで足を一歩小さく引く。
「だから、この結界内を、あやかしにとってもっともっと居心地の良い場所にさえすれば、あやかし達は人の世に出ようなんて思わないと思うんです!」
「……それはつまり、あやかし達が、人の世への興味が出ないよう美味しい料理を作り、ここでの生活で満足させるということですか? それがあやかし達の動きを封じることになると……?」
伊織が訝しげにいったその言葉に、かな子は理解してくれたんだと嬉しそうに目を細めて満面の笑みを浮かべた。
「そう! その通りです! あやかし達が、人の世に出ないように、わたし達の料理で繫ぎ止めるんです!」
かな子の言葉に伊織は目を見開く。
料理であやかし達の心を掴み、外に出ないようにする。
あまりにも単純で、あまりにも稚拙な作戦のように思えるのに、伊織は反論できないでいた。
そうしてかつての自分を省みる。
料理とも呼べないものを作るために自分の腕を磨いた。
見た目重視、パフォーマンス重視の伊織の料理をあやかし達は、純粋に楽しんでくれていた。
慕ってくれていた。
伊織が、あやかし達を滅ぼす呪いのために料理を作っていることなど、あやかし達は気づかない。疑わない。
その純粋な彼らの心持ちこそが、呪いのように伊織の気持ちを重くさせていた。
伊織は唇を噛み、思わず手に力が入ると……。
かチャ。
手に持っていた小皿と箸が、手の力が入ったことで微かに音を立てた。
かな子に渡されて無意識に受け取ったその皿には、鯛の塩釜焼きが盛られている。
しっとりと焼かれた鯛の身に香り高いニンニクとオリーブオイルがからんで、宝石のように輝いていた。
神々しいまでのその料理が視界に入ったのと同時にニンニクの香りがぷんと伊織の鼻孔をくすぐった。
伊織の中で、久しぶりにとある感覚が湧き上がる。
実に十数年ぶりのその感覚は、伊織には久しぶりすぎて最初何が起こったのかわからなかったほどだ。
香りだけで、その料理の味を推し量り、そして口にしたくなる。
大葉とレモンの爽やかな香りが魚の臭みを一向に感じさせない。くわえて強烈なニンニクの香。
口の中によだれがたまっていく感覚を、伊織は味わった。
かな子は伊織が小皿の料理を見て固まったのを見て首を傾げた。
そして、伊織の視線が鯛の料理から動かないのを見てああなるほどと頷く。
「すみません、まだ食べてませんでしたね。せっかくですので、冷めないうちに食べてください。鯛の塩釜焼きです」
伊織はその言葉を聞いて、やっと自分が何を感じていたのかを気づいた。
今、自分が感じているこの抗いようのない願望は、食欲だ。
伊織は食欲をそそられていた。
そんなこと今までなかった。
あやかし達と一緒に過ごす時が長くなればなるほどに、伊織は味を感じなくなっていた。
そのうち食欲すらも忘れかけ、ただ生きるための義務としてものを口にする。
伊織にとって、食事とはただの義務だった。
今までは。
伊織は、早く食べたいとはやる気持ちを必死に抑え平静を装いながら、鯛に箸を入れる。
特に力を入れることなく魚の身はほぐれ、程よい大きさで箸でつまむ。
口にしなくともわかるしっとり柔らかい魚の身。
黄金色のオリーブオイルが、その魚の柔らかさを守るようにコーティングされている。
顔の前まで持ってきて、その香りと見た目の素晴らしさを堪能した伊織は、思い切ってそれを口に運んだ。
分かっていた。
食べる前からわかっていたことだが、思わず伊織は唸るように口にした。
「美味しい……」
鯛の身に沁みた塩の塩梅はちょうどよく、食べる前はニンニクの香で隠れがちだった大葉の風味が口いっぱいに広がった。
そして顔を上げて、未だに宴会騒ぎなあやかし達を見た。
美味しい料理を前に、陽気に騒ぐ彼らに伊織は思わず笑みを浮かべた。
青葉が「母上にも食べてもらう!」と言って、嬉しそうに料理を小皿に盛り付けている。
(私はずっと、こんな風にあやかし達にも料理を楽しんでもらいたかった。自分が、行う呪いのような料理ではなく、ただただ純粋に美味しい料理をあやかし達に食べて欲しかった)
伊織は自分の気持ちに気づくと苦笑いを浮かべる。
そして、視線を前に戻してかな子を見た。
「私の負けです。料理も、何もかも」
ポツリと呟くような声にかな子は目を見開いた。
「それて、つまり……」
「乗りましょう。あなたの作戦に」
そういった伊織の顔には神経質そうな眉間のシワも消えて、ただひたすらに穏やか笑顔を浮かべていた。
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