第19話対戦相手は『鬼の料理を作りし一族』料理鬼第一席④
伊織に連れられて、封鬼神社の鳥居を潜り、狭い小道を歩いたところで、いつもの大きな屋敷が見えてきた。
そして、玄関の前の外階段の段差で、一人ポツンと顔を下に向けて座る男の子の姿が見えて、かな子は声を上げた。
「青葉君!」
かな子が男の子の名を呼ぶと、その子はハッとしたように顔を上げてかな子を瞳に捉えると、クシャリと顔を歪めて泣きそうな顔で笑う。
「かな子お姉さん! 戻ってきてくれたんだ……!」
そう言って、かな子の方に駆け寄ってきた青葉をかな子はしっかりと受け止めた。
「ごめんね、青葉君。あれ、ちょっと痩せちゃったかな?」
「うん、だって、僕、かな子お姉さんの料理じゃないと嫌だもん!」
そう言ってかな子お腹のあたりに顔を埋めた青葉が濡れた声を出して、かな子も思わずウルっときた。
そして、同時に胸が痛い。
鬼は、ものを食べなくても霞を食べて生きてはいける。
けれど、少しみない間に、こんなにもやつれてしまって見える青葉を目の当たりにして、かな子は離れてしまった過去の自分を責めた。
「ごめん、ごめんね……!」
ぎゅっと青葉を抱きしめて、涙を堪えるようにしながらかな子はそう声を出す。
そこに伊織がかな子の方にポンと手を置いた。
「かな子さん……」
その声色にも表情にも、心配の色がにじみ出ていた。
青葉にほだされて、伊織とした約束、強い料理を鬼に振る舞うことをやめると言い出すのではないかと、不安になっているのだ。
かな子は伊織の目を見て微笑んで見せた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと言われた通り料理を作りますから」
その言葉に伊織は申し訳なさそうにしながらも安心したように微笑んだ。
「かな子お姉さん! 料理、作ってくれるの!? やったー!」
とかな子の言葉を聞いた青葉が顔を上げて嬉しそうな声を上げる。
うんとかな子も頷くと青葉はさらに目をキラキラさせた。
「それならね、それならね、お母様も食べられるような料理がいいな! この前最後にかな子が作ってくれた料理を食べて以来、他に何も食べれてないんだ」
と心配そうに、それでいてかな子に料理を作ってもらえるのを嬉しそうにして青葉が語る。
「青葉君のお母さん、体調はどんな感じなの?」
「まだ、寝たきりなんだ。お話はできるけど元気がなくて……このままだと多分動けなくなるかもしれない」
そう言って、一瞬悲しそうな顔をしたけれど、すぐに太陽のような笑顔を見せてくれた。
「けど、かな子がきてくれたからもう大丈夫だよね! 伊織、かな子を連れてきてくれて、ありがとう!」
青葉君に無邪気な笑顔でお礼を言われた伊織は一瞬目を見開き、そして複雑そうな笑顔を浮かべた。
「……坊っちゃまのためですから」
伊織は掠れた声でそういった。
その声色は優しい。
その声を聞いてかな子は、伊織と鬼たちの距離感をなんとなく掴んだ。
(伊織さんは、もともと料理鬼の第一席として長く彼らと一緒にいる。あやかし達にとっても、伊織さんにとっても、ずっと近くにいた存在……伊織さんはやっぱり、あやかし達に対してなんだかんだで非情になりきれてない気がする)
あやかしの里で初めて伊織とかな子があった日、白糸や酒捨童子のためにかな子がたまご粥を作ったことを伊織は止めなかった。
伊織がただ鬼達を滅ぼしたいだけであったら、あの時止めるべきだったはずだ。
きっと本当に弱った白糸を見て何も言えなかったのだろう。
そうかな子は思い、改めてかな子は覚悟を決めた。
かな子はジャケットのポケットに突っ込んでいた紙切れを掴んで、その握った拳をそのまま伊織の方に突き出した。
「伊織さん、これ、お返しします」
戸惑うような伊織はその紙を受け取る。
「これは、一族のレシピ……どういうことですか?」
険しい伊織の顔に負けじとかな子も目をそらさずまっすぐ見る。
「伊織さん、私と勝負してくれませんか?」
唐突にそう声をかけて来たかな子に伊織は怪訝そうに眉をしかめた。
「勝負……?」
「そうです。料理鬼対決です。この対決で、伊織さんが私に勝てたら、私はあなたの言われた通りの料理を作ります。あなたの持つ一族秘伝のレシピでも、なんでも」
かな子は唇を片側だけ少し上げ、挑発的に微笑んだ。
伊織は眼を見張る。
「あなたが勝ったらどうなるのですか?」
「私が勝ったら、あやかし達に美味しくて体にいい料理を作り続けます。この里の、料理鬼として」
「何を、突然……。自分が何を言っているのか、わかっているんですか?」
「わかってますよ。……止めたければ、私との勝負で勝ってみてください」
かな子がそういうと伊織は眼をお見張ったあと、ふっとバカにするような笑みを浮かべる。
「あなたは少しの期間彼らと一緒にいただけで、彼らのことをわかった気になっているようだ。……私はずっと彼らの料理鬼として、彼らの好みを熟知しています。料理を作るのが上手いだけでは、彼らを満足させることはできない」
そう言って笑みを浮かべた伊織だったが、少しも動揺するようなそぶりを見せないかな子に眉をしかめる。
そして、かな子にまったく勝負を引く意思がないことを感じた伊織はかな子をまっすぐ見据えた。
「いいでしょう。その勝負、受けます。ただし料理のテーマは、私の方で決めさせてもらってもいいですか?」
伊織の言葉にかな子は頷く。
「別に構いません。突然勝負を申し込んだのは私の方ですし」
「では、料理の題材は、『石』にしましょう。あやかし達の好きな食材ですよ。なんなら、先ほど私だ渡した石の骨焼きを作ってくれても結構です。あれはあやかし達の好物です」
こともなくそう言った伊織にかな子は目を見開いた。
「それは……」
「料理のテーマは私の方で決めても構わないのでしょう?」
伊織がそういうと、戸惑っていたかな子だったが、渋々と言う感じで頷いた。
「早速始めましょう。あやかしの里の料理鬼としてあなたの進退をかけた料理鬼対決を」
そうして、かな子の最後になるかもしれない料理鬼対決が行われることになった。
◆
かな子と伊織の料理鬼対決は、屋敷の東側にある砂利などが平らかに敷かれている石庭で行われることになった。
石造りの料理台が、石庭にどどんと二台置かれ、かな子と伊織それぞれ料理台の前に立った。
周りには、青葉や黒元を始めとした里中のあやかし達が里の料理鬼第一席をかけた料理鬼対決を見に来るために集まっている。
集まったあやかし達は久しぶりの料理鬼対決にテンションが高い。どっちが勝つか、どっちの料理の方が強そうか、などなど話のネタは尽きないようで楽しそうな声がざわざわと響いている。
調理台を前にして伊織は小さく息を吐く。
(思いの他に面倒なことになった。だが、これに勝てばいいだけの話。早く終わらせよう)
そう内心呟いてちらりと後ろを振り返る。
少し離れた場所で、かな子も調理台に向かい合っていた。
台の上には立派な鯛。
包丁の背の部分を鯛に当て削るようにして鱗を取っていた。
(焼き魚料理か……。おそらく石焼きにして出すつもりだろう。予想通り)
伊織はかな子の行動を一瞥して、前に視線を戻す。
もうかな子の料理に興味がなかった。
そもそもこの料理鬼対決での題材を「石」にした時に、伊織は勝利を確信していた。
長年、あやかし達の里で料理鬼を勤める伊織だからこそ、知っていることがある。
先祖代々から受け継がれて来た秘伝の強いレシピとともに、あやかし達の趣向はよく熟知していた。
あやかし達は、料理鬼対決を神聖視している。
だからこそ料理鬼対決に題材にも敬意を払う。
対決の題材が、「石」ならば、石そのものを食べるような料理でないと受け入れられない。石焼きの何か、ではだめなのだ。料理鬼対決では勝てない。
おそらく口にすらされないだろう。
(どんなにかな子さんが美味しい料理を作ったとしても、口にしなければ意味がない)
少しずるいような気がしたが、先に勝負をしかけてきたのはかな子の方だ。
それに伊織はどうしても負けられない。
あやかし達の力をつけさせてはいけない。
何百年も伊織の一族はそのために生きてきた。
彼らをじわじわと衰弱させるためだけに。
先祖の努力を自分の代で無にはできない。
だが、伊織は心のどこかでなにかが引っかかっているのを感じていた。
あやかし達にかな子の作った料理のことを聞くと、決まって笑顔を浮かべた。
美味しいという、あやかし達にとってはおそらく始めての言葉。
それを嬉々として口にし、かな子の料理がまた食べたいと幸せそうな顔をする。
(美味しい……か……)
伊織自身もその単語を口にすることはあまりなかった。
人の世の普通の食事をしていても、味気なく感じてしまう。
伊織は決してあやかし達のことが嫌いなわけではない。
封鬼神社の先代神主出会った父に連れられてあやかしの里に降りたのは、十歳の時。
父からかつて一族が施した結界やこれからの使命についてを説明されて、よくわからないまま頷いた。
人の知り合いよりもあやかしの知り合いの方が多いと言ってもいいほどに、伊織はあやかしの里をよく出入りするようになった。
伊織が出入りしている途中で生まれた青葉については、本当の弟のように感じることすらあった。
あやかし達は代々料理鬼の第一席として、あやかしの里を支える伊織の一族のことを敬ってくれる。
一族の目的が、この里のあやかし達を衰退させることだとは露とも思わずに。
だからこそたまに省みる。
食べ物とも呼べないものを提供する己の業について。
あやかし達に食べ物とは呼べないものを食べさせているのに、自分だけ美味しいものを食べてもいいのだろうか。
父の跡を継いで神主になった時、そう思ってしまった伊織は、それからというもの味というものがよくわからない。
◆
料理の下準備を終えて、石を積み上げて作った簡易カマドに調理したものを入れたかな子の耳に盛大な歓声が聞こえて来た。
あやかし達が熱い視線を送るその先には、伊織がいた。
伊織が、すっぽんを手慣れた手つきで解体していく。
あやかし達はこういう解体ショーのような派手なパフォーマンスは大好物だ。
伊織もそれをわかっていてわざと大ぶりな動きであやかし達を魅せようととしている。
かな子も、思わず伊織の鮮やかな手並みに目を見張った。
(すごい。料理をすることに慣れてる……)
迷いのない手つき、正確な包丁さばき、どこをとっても彼の技量は職人のそれだった。
思わず見惚れてしまったかな子の視線の先で、解体し終わったスッポンの身の部分を伊織はあっさりとゴミ箱に捨てたので、さらに目を見開く。
(こ、高級食材が……!)
捨てるところが一つもないと言われる高級食材のスッポンが、甲羅以外の部分が全部捨てられる様を見て、かな子は思わずアホみたいに口を開けた。
動揺するかな子とは反対に、顔色一つ変えず身を捨てて、残った甲羅を手に取ると水で丁寧に洗って行く伊織。
周りの観客からは、伊織のスッポン解体ショーの熱が冷めやらぬようで、ガヤガヤと騒がしい。
伊織はオーディエンスの反応などお構いなく冷静に正確に機械のようにテキパキと動く。
綺麗に洗ったスッポンの甲羅を先ほど用意した薪の中に放り込む。
パキパキと木の爆ぜる音がはげしくなった。
そして、こぶし大ほどの岩塩を手にした伊織はヤスリを取り出して素早く削り始めた。
「伊織様、どうやら本気みたいね」
険しい声がかな子の耳に入り視線を向けると、かな子側の観客席の最前列で難しい顔をしている雪目がいた。
「私の雪像料理は、もともと伊織様の一族が持つ数ある技の一つを模倣したものよ。……伊織様の彫像技術は、凄まじいわ」
そう言って雪目は、恐れを秘めた瞳で伊織を見つめ、喉を鳴らして唾を飲む。
どうやら、雪目の繊細で美しい雪像料理の技術は、もともと伊織の一族が得意とするものらしい。
恐る恐るかな子は伊織に視線を戻すと、先ほどまで不格好だった岩塩が、いつのまにか球体になっていた。
ヤスリで岩塩を削り、塩の宝玉を作ったのである。
薄紅色の球体となった岩塩は、まるで巨大なピンクパールのようだった。
突然作り上げられた宝玉の誕生にさらにあやかし達は湧き上がる。
「わしの、ピカピカ泥団子料理の着想も、伊織様の一族から得たものじゃて」
再び観客席から渋い声が聞こえて来た。
雪目の隣で最前列に陣取って勝利の行方を見守っていたお妙だった。
シワシワの顔にさらにシワを刻んで唸る。
「完璧な球体というのは、想像以上に作るのは難しいのじゃ。それをああもやすやすと完璧な形を作られようとは……さすが料理鬼第一席よのう」
お妙の恐れおののく声。
そしてその隣の酒捨て童子も頷いた。
「やっぱり、伊織師匠はすげぇ……」
伊織に視線をそらせないでいる酒捨童子が唸るようにそう言った。
そしてそれまたその隣にいた手長と手足も興奮したような顔で伊織を見た後、憐憫の眼差しでかな子を見た。
「こりゃあ、かな子まけるかもしれねぇなぁ……」
手長が顎に手を置いてそう言った。
「うん、ちょっと迫力が違いすぎるよねぇ」
と足太もウンウンと頷く。
「まあ、気を落とさず精進せい」
と、お妙婆が続く。
(なんかもう私、負け確定みたいになってる……!)
外野から好き勝手言われてる現状にかな子も思わず渋い顔をした。
「い、いや、かな子師匠の料理は食べてからが本番だ。口にすることさえできれば……!」
と酒捨てはかな子をかばうようにそう言ったが、雪目は逆に目を細めて顔を険しくした。
「そう、口にすることさえ、できたらね……」
雪目はちらりとかな子の作ったのカマド に目を向けて小さくそう呟いた。
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