第18話対戦相手は『鬼の料理を作りし一族』料理鬼第一席③
「食事のバランスに気をつけて……と」
かな子はぶつぶつと呟きながら、特定保健指導の支援の手紙をパソコンで打つ。
ここはかな子が管理栄養士として火木で働いている会社の保険相談室。
メタボ改善に向けての手紙支援の作成の業務に当たっていた。
時刻は18時すぎ、かな子の同僚にあたる他の指導員はすでに自分の担当の仕事を終えて帰ったので、小さなオフィスにかな子一人だった。
「ストレスをためないように、無理のない目標で頑張って行きましょうっと……」
最後の手紙を打ち終わったかな子は一息つくと、ちょっと前に用意していたコーヒーを口にする。
「ぬるくなっちゃった。そういえばコーヒーの苦味って、あやかし達的にはどうなんだろう。結構強い味なんじゃ……」
とふと呟いてしまった自分の言葉に、思わず苦笑いを浮かべた。
今更そんなことを考えて何にもならないことをかな子はよく知っていた。
もうかな子は、あやかし達の料理鬼ではないのだから。
『君の料理を食べて力をつけたあやかし達が人を襲い始めたら、君は責任はとれるのか』
なかなか料理鬼をやめると言いださないかな子に、伊織はそう言った。
そしてそれが決め手だった。
かな子は伊織に説得されて、もうあのあやかし達のところにはいかないと約束したのだ。
すでにかな子が、あやかしの里にいかなくなってから、一ヶ月が経過している。
しかし、そう簡単に彼らのことを忘れらるわけもなく、ふとした時に彼らのことを考えてしまう。
(なんだか胸の中にぽっかり穴があいてしまったような感じ……青葉君たち、元気にしてるかな……)
今でも、目を閉じれば、青葉君の無邪気な笑顔や、手長や足太のひょうきんな顔が思い浮かぶ。
しかしその想像上の彼らの笑顔が少し陰った。
(って、元気な訳ないか……)
もう彼らに、美味しい料理を作ってくれる料理鬼はいないのだ。
また黒炭料理とか、氷漬け料理とか食べてるのかもしれない。弱い鬼はまた何も食べられなくなっただろう。
かな子は骨のように細い小鬼達にもたくさん料理を食べてもらいたいと思っていた。
お妙との料理対決でこじれていたあやかし達との仲がよくなりかけてきていたところだったのに。結局それっきりだ。
黒元にしても、また無理な料理を食べ続ければ倒れてしまうかもしれない。
そして青葉は……。
かな子は痛ましさで眉根を寄せる。
(だめだ。こんなこと考え続けたってどうにもならない。私に、彼らを心配する資格なんてない。私は、見捨てたようなもの……なんだから)
人の世の安寧とあやかし達の食事事情を比べて、かな子は人の世の安寧な暮らしをとったのだ。
それは揺るぎない事実。
かな子は気持ちを切り替えるようにカップに残ったぬるいコーヒーを飲み干すと、立ち上がる。
「帰ろう!」
かな子は一人そう呟いてカバンに荷物を詰めた。
◆
(時間があるから、色々と考えてしまうのかも。また仕事を探しに行こう。料理鬼はやめたんだし、違う掛け持ちの仕事を探さないと生活が……)
かな子がそう考えながら、足早に会社のエントランスから出たところだった。
「かな子! 探したんだぞ!」
そう声を荒げながら、腕を掴まれた。
驚いて顔を上げると、目の前にあまり見たくない顔がいた。
職場の若いこと浮気をしてかな子と別れた元カレだ。
「高志!?」
「なんでいつも電話がつながらないんだよ!」
「着信拒否したからよ! ていうか、そもそも私たちは別れたんだから、連絡とろうとしないでよ!」
偉そうな俺様口調で当然のように責め立てる元カレの高志に、かな子はそう言って腕を振り払った。
付き合ったころはこの横柄な態度も頼りがいがあるように見えて憧れていた。でも、今にして思えばただの面倒臭いわがまま糞野郎である。
「かおりのことは悪かった! けど、仕事まで辞めなくていいだろ? 戻ってきてほしいんだ」
と言ってなんか優し気にかな子に微笑む高志の顔をみて、かな子はふつふつを怒りが溜まっていく。
「いやよ! かおりちゃんと仲良く料理教室の運営でもしてればいいでしょ!?」
「あの子じゃだめだ。あの店はお前じゃないと任せられないんだよ。お前が止めてお得意様も教室を辞め始めて大変でさ」
「そんなのもう私には関係ないじゃない!」
「そんなこと言うなよ。お前と俺の仲だろ?」
「私とあなたの仲?」
何言ってるんだこいつ、とばかりに目を見開いて元カレを食い入るようにかな子は見た。
こんな仲になったから、仕事を辞めたということがどうしてわからないのだろう。
「な? どうせお前、次の掛け持ちの仕事見つかってないんだろ? なら、俺のところで働けよ。たまには、相手してもいいし。別にお前のことを嫌いになって別れたわけじゃないしさ」
「は?」
思わず蔑みと侮辱しかない「は?」が口から飛び出した。そして途方に暮れた。自分の男を見る目のなさに。
(そもそも、私はこの男のどこが良くて付き合っていたのだろう)
別に特別イケメンと言うわけでもない。料理教室のオーナーと言う肩書だが、運営している店舗は一店舗のみ。それほど赤字と言うわけではないがそれほどの収益はない。
そして、この空気の読めない性格。
(だめだ。もうこの人のいいところが思い浮かばない)
かな子はそう結論つけて、さっさと断ってやろうと言い返そうとしたとき、元カレの後ろに思ってもみない人がいることに気付いた。
「すみません。彼女はすでに次の就職先が見つかってますので、お引き取り願えますか?」
その人はそう言って、高志の肩を掴んだ。
高志は煩わしそうに突然声をかけてきた男をみやって思わず息を飲む。
その男が、今どき珍しい和装だということもあるが、その相貌があまりにも整っているためだろう。
「伊織さん」
かな子は突然やってきた男、伊織の名を呼ぶと、伊織がかな子の方に視線を向けた。
「かな子さん、すみません。唐突なのですが、ちょっと来てほしいんです」
そう言って伊織はかな子の方に近寄るとかな子の腕をとる。
引っ張るようにしてかな子をどこかに連れ出そうとする伊織に、今度は高志が呼び止めた。
「まてよ。お、俺のことを無視するなよ!」
「貴方との話し合いは、先ほど終わったのかと思いました。かな子さんは、貴方のところで働く意志はないように思えますが」
ピリピリと二人がにらみ合う。
しかしその睨み合いは、すぐに高志の負けに終わった。
不満そうに顔を逸らすと、かな子を見た。
「もう他の男作ってたのかよ。しかもこんな顔だけの男……すぐに捨てられるに決まってるんだからな!」
と捨て台詞を吐いて高志は逃げるように去っていった。
「最後まで憎まれ口を……」
忌々しくかな子が呟く。
マジで今まで彼の何が良くて付き合っていたのかが分からない。
去っていく高志の背中を見ながらそうまじまじと思っていると、伊織がかな子の腕を強く引いた。
「すみません、かな子さん、本当にすごく急いでいて……私と一緒にきてくれませんか?」
ああ、そういえばこの人がいたのだったと、かな子はハッと顔を上げる。
服装は、このスーツ姿ばかりの人間溢れるオフィス街ではかなり浮いている和装。
白の着物に紺の袴を着た和装の麗人が、その流麗な眉を深刻そうに寄せてかな子を見ていた。
「以前、貴方と名刺交換をしておいて良かった。貴方を探してここまで来てようやく見つかりました」
「そういえば、伊織さん、探すって、なんで……」
事態が飲み込めないかな子がそう言って顔をしかめる。
もうあやかしの里には関わらないでほしいと言ったのは伊織の方だ。
高志を追っ払えたのはありがたいが、解せない。
「あやかし達が貴方の料理が食べたいと、人の世に降りようとしていて……」
「ええ!? あやかしの皆が!?」
伊織の言葉にかな子は思わず目を見開いた。上ずった声が漏れる。
かな子は、あやかし達と別れることが人の世の安寧のためで、それが結局は人と諍いが起きない分あやかしにとっても良いことなのではないかと、そう思って彼らのことを忘れようとしていた。
しかし、あやかし達はかな子の料理が食べたくて、人の世に行こうとしている。
(これじゃあ、私がみんなのことを必死に忘れようとしても、意味がない……)
彼らが人の世に降りて来たらどうなるだろう。
ここの空気はあやかしにとっては毒のようなもので、吸いすぎると精神に異常をきたすという。
かな子を探しに来てくれたあやかし達が、人の世の空気に触れて、我を忘れて暴れてしまったら……。
かな子は最悪の事態を想像して、サーっと血の気がひけてきた。
「わかりました、行きましょう!」
かな子は、一刻も待ってられないとばかりに、伊織の腕を掴む。
伊織は一瞬、驚いたように目を見開いたがすぐに頷いた。
「ありがとうございます。タクシーを待ったせてます。こっちです」
伊織にそう言われて、かな子はタクシーに乗りこむため歩き出す。
人にとっても、あやかしにとってもよくない事態を阻止したい。
かな子の頭の中はそれしかなかった。
◆
もどかしい思いでかな子は、タクシーから窓の外を見る。
「大丈夫です。私が連れてくるといって待たせてますので、今すぐ外に出ようと無謀なことはしないはずです」
ソワソワと先程から暗い顔で外に目を向けるかな子に伊織が言った。
かな子は改めて伊織に顔を向ける。
「伊織さんは、私がいなくなった後のこと、あやかしのみんなにはうまく説明するって言ってくれていたじゃないですか……」
もともと、かな子が急にあやかしの里にこなくなることの後処理は伊織に任せていた。
彼はうまく説明すると請け負ってくれていたのだ。
「それについても、本当に面目ありません。……皆、貴方に会いたがっているのです。貴方の作った料理が忘れられないと言って」
伊織にそう言われて、かな子は息を飲む。
そこまで長い付き合いではない。
しかし、彼らの里で働けたことは、かな子にとっても楽しい日々だった。
誰かに料理を振る舞うことの楽しさを思い出すことができた。
彼らがかな子の料理を食べて、イキイキしていく姿を見ることで、かな子の方が元気をもらっていたのだ。
あやかし達にとっても、かな子を特別に思ってくれていたのだとしたら、それはかな子にとって嬉しいことで、そして同時に胸にチクリとした痛みが走る。
(私は、人のため、あやかしのためだと言い聞かせて、結局は彼らを見捨てようとしてた……私に彼らに何食わぬ顔で会う資格があるの?)
眉根を寄せて、かな子は自分がどうするべきなのかどうしたいのかを考え始めていた。
「伊織さんは、私にあやかし達のところに行かせてどうさせたいのですか? 料理を作ってはダメなんですよね?」
かな子の料理は、あやかし達に力をつけさせてしまう。
だから伊織はかな子に料理鬼を辞めて欲しいと言ってきたのだ。
かな子がそう問うと伊織は瞳を伏せて目を少し陰らせた。
「かな子さんには、申し訳ないのですが、あやかし達に料理を作って欲しいのです。しかし、それはただの料理ではありません。いわゆる強いだけの料理。本来食べ物とも言えないものを作って欲しいのです」
「ど、どういうことですか?」
「そのままの意味です。あやかし達にあなたの料理を忘れさせるために、あなたの手で強いだけの、人が口にできないような料理を作って欲しい。そうすればあなたの料理に執着するあやかし達の気持ちも落ち着くはずです」
「そんなの!? 私に、食べれないようなものを作れっていってるんですか!? 私は、できません!」
「レシピなら、こちらにあります。レシピ通りに作っていただければ問題ありません」
そうして渡された紙をかな子は受け取る。
そこには、石の骨焼きという謎の料理が記載されていた。
骨を燃料に焼いたアツアツの石。それが料理らしい。
かな子から言わせれば、こんなものは料理ではないが。
「こんなの、料理じゃない! それに青葉君だってこんなの食べれない」
「食べれなくていいのです。食べれない料理を作って欲しい。貴方が再び強い料理を作ることで、あやかし達に改めて料理というのはこういうものなのだと教えて頂きたいんです。そしてそれが、彼らのため。彼らはあの里で静かに穏やかに滅び行くことが、人にとってもあやかしにとっても最善なのです」
伊織にそう言われて、かな子は微かに唇を噛む。
そしてまっすぐ伊織に挑むようにして見つめた。
伊織はかな子の強い視線をそのまま受け止めて、目をそらさなかった。
伊織は、あやかしの里をかな子が訪れる前に戻すことこそ最善だと思っている。
彼は彼の信念のもとに、決意を固めているのだ。
かな子は彼の目を見てそう思った。
だからこそかな子は、睨むのを辞めて目を閉じる。
そしてかな子はかな子で、ある決意を固めた。
(彼だって本気なんだ。だから、私もやるなら最善を尽くす。尽くさないといけない)
「分かりました。あなたの言う通り、料理を作らせていただきます」
かな子が再び目を開いて、迷いなくそういうと、伊織はホッと小さく息を吐いた。顔の表情が少しばかり緩む。
「ありがとうございます。本当は、もっと怒鳴られると思いました。貴女を追い出したのは私なのに、都合に合わせて連れ戻し、こんなお願いをしているのですから」
その伊織の声の響きは心底安堵したような声色だった。
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