第16話対戦相手は『鬼の料理を作りし一族』料理鬼第一席①
見事勝利を収めたかな子は、酒捨童子を敬愛するお妙や他のあやかし達に「酒捨童子様のことは頼んだ!」と色々な思いを託され、部屋をでた。
酒捨童子が寝込んでいる部屋に向かうのに一緒に来てくれた青葉が、可愛らしく唇を尖らせた。
「うーん、僕は、あんまりさっきのスーってする味は好きじゃないな。いつもかな子が用意してくれる甘くて癖のないお菓子の方が好き!」
青葉にはミント味の甘味は合わなかったらしい。
「私は上品で好きね。今度私の雪像料理にも生かしたいわ」
などと付き添っていた雪目も言う。
二人の会話に、どこの世界でも子供はミントが苦手な子が多いのかなとかな子がのんびり考えていた、その時。
―――ドゴオオオオンン
何かが壊れる盛大な音が屋敷中に響いた。
そしてズルズルカサカサと何か大きなものが這い回るような音、鬼達の悲鳴、バキバキと木が砕けるような音も……。
「え、何、この音……」
かな子は、渡り廊下の真ん中で立ち止まってあたりを見渡す。
青葉が小さいながらもかな子を守ろうとナイトのように手を広げて、何が起こっているのか探すようにきょろきょろと周辺を見る。
雪目は青葉を守るように、そっと側に寄った。
そしてその、ズルズル、カサカサという音は、どんどんかな子達に近づいてきて……。
――――ドサッ!
「きゃああああ!」
かな子は思わず叫んだ。
目の前に、人の数倍もあろうかと言う大きな蜘蛛が降りてきたのだ。
妖達との生活に慣れてきたかな子だったが、これほどの異形を突然目の当たりにするのは初めて。
しかもその蜘蛛の妖は大きな口をカチカチ鳴らしてこちらに敵意を向けているような気配さえある。
蛛のあやかしはいくつもあるぎょろぎょろとした大きな目を動かして、ピタリと青葉に視線を止めた。
(やばい! これ、狙いは青葉くん!?)
蜘蛛がこちらに向かって走りだす気配を感じ、かな子はとっさに青葉をかばうように抱きすくめた。
そしてドンと何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
かな子はぎゅっと目を瞑って痛みがくるのを待っていたが、しばらくしても何もない。
恐る恐る顔を上げると、どこかで見たことがある赤い髪が見えた。
「貴方、酒捨童子さん!?」
雪目の驚く声で、彼が最初に料理鬼対決をしたあの大柄な鬼だったとかな子は思い出す。
その酒捨童子が、蜘蛛を相手に取っ組み合う形で動きを止めてくれていた。
蜘蛛のあやかしは苦しそうにキイキイと鳴くが、酒捨童子もすでに体中が傷だらけで、顔色も悪い。
「そ、そんなボロボロの体で……!」
とかな子は声に出してから遅れて気付く。
酒捨童子の体調が良くないから、自分が料理を作ろうとしていたのだ。
「かな子、青葉様と一緒に後ろに下がってちょうだい!」
そう言って前に出た雪目も蜘蛛の動きを止めようと、蜘蛛の足先から氷を這わせた。
「雪目様の言う通りだ。カナコー師匠、早くその場から離れてくれ! これ以上はもたねぇ!」
酒捨がさりげなくかな子のことを師匠呼びしていたが、それを気にしている心の余裕がないかな子は頷いた。
「わ、わかった! 青葉くん、いくよ!」
と言って青葉の手を引いて避難をしようとしたが、青葉はそのかな子の手を振りほどいた。
そして―――。
「母上! どうして……!?」
「え!? 母上!?」
青葉の口から漏れた衝撃的な言葉に、かな子は目を見開く。
青葉がこの大蜘蛛を母と呼んだ。
それを聞いた酒捨童子も目を向く。
「し、白糸様なのですか!? ……うわああ!」
しかしその事実は酒捨童子の油断を誘ったらしく、蜘蛛のあやかしは押さえ込まれていた前足を振り払い、酒捨童子を横に投げ捨てた。
雪目が張った氷も蜘蛛の力には勝てずに、パリパリと音を立てて割れていく。
「そんな……!」
悲痛な雪目の叫び。
そして蜘蛛のあやかしは青葉とかな子の前までにじり寄る。
かな子はすっかり怯えて、青葉を抱えたまま動けなくなっていた。
(どうしよう、私、蜘蛛に食べられちゃうの!?)
と思ったその時、
「白糸ー! 白糸ー!」
という男の野太い声が聞こえてきたかと思うと、ドスドスと豪快な足音を響かせて、黒元が凄まじい勢いで走ってきた。
そしてすぐに蜘蛛の方に抱きつくような形で抱え込む。
「おお、白糸~! どうしてそんな怒っとるんじゃ~! しかも人型に戻れぬぐらいに弱って……おおおん! 許してくれ、白糸! わしがふがいないばかりに~」
という黒元の情けない声が響くが、蜘蛛の方はキイキイと不快そうに泣くばかりで黒元を振り落とそうと頭を左右に振る。
とはいえ、黒元は鬼の里の族長。
最近ではかな子の料理でその本来の強さを取り戻し始めていた黒元に力で勝てるものはいない。
蜘蛛のあやかしのキイキイという声もどんどん弱っていく。
「黒元様、そのまま抑え込んでいてください」
と、黒元の後を追いかけてきたらしい男性が、なにか文字の書かれた紙切れを片手に近寄っていった。そして蜘蛛の顔のあたりに紙切れを何枚か貼り付ける。
蜘蛛のあやかしは黒元に抑えられるまま、何枚も札を貼られて、そして……ポン!という軽快な音ともに巻き起こった煙とともに消えた。
そしてその場には代わりに、赤い着物をきた女の人が横たわる。
その顔には、先ほど貼られたお札が貼り付けられていた。
「おお、白糸~!」
「奥方様!」
と黒元や雪目が倒れた女性に向かっていく。
そして「母上!」と言って、青葉が駆け寄った。
(よ、よかった。一時は死ぬかと思ったけど……)
かな子は九死に一生を得た思いで大きく息を吐き出すと、かな子達を救ってくれた例のお札の男に改めて目線を向けた。
男は、深刻そうな顔で、白糸と呼ばれる女性を介抱する黒元達を見下ろしている。
かな子はその男の風貌を見て、ハッとした。この顔には覚えがあった。
艶のある黒髪に、整った柳眉、凛々しい眼。
白い着物に紺色袴、そして袴と同じ色の羽織をかけたその姿。
(封鬼神社の神主さんだ)
封鬼神社で呆然としていたかな子に話しかけてきてくれた神主だった。
この前違うのはその服装と、おりがみを三角錐にしただけのようなハリボテの角を頭に付けてることぐらいだろうか。
かな子が驚きとともにまじまじと男を見ていると、男も視線を感じてかな子の方を見た。
そしてかな子と目が合うと、かな子と同じように目を見開いた。
「え、何故、ここに、あなたが……」
男の口からかすれたような声が紡がれた。
◆
黒元の妻、女郎蜘蛛のあやかしの白糸が屋敷を半壊させる勢いで暴れながら戻ってきた。
神主の力で人型には戻れたらしく、白糸は絹のような白い髪を持つ美しい女性の姿になって、屋敷の奥の部屋で寝かせられている。
かな子は急いで栄養満点でいて美味しい病人食を二人分作った。一つは白糸、もう一つはもともと作る予定だった酒捨童子の分だ。
病人食のレパトリーは、黒元の時に作ったものがたくさんある。
まずはもっとも黒元の反応が良かった『願いを叶えたまえ!願いを叶える金龍の卵餡掛け粥』を用意することにした。
まずは酒捨童子に食事を渡し、続いてお盆に料理を乗せて白糸の寝所にかな子は入った。
「母上……」
寝所では青葉が心配そうに布団に寝ている母の手を取っていた。
隣には、同じく心配そうに大きな図体を丸めるようにして白糸を見つめる黒元がいる。
張り詰めたようなその部屋の空気にかな子も胸を痛くしながらかちゃかちゃと遠慮がちに食器の音を鳴らして、たまご粥が食べやすいように器に盛る。
正直、ここで黒元にやって見せたように「いでよ金龍!」とか言って、この料理の意味を説明する気は起きなかった。
「母上がこんな風になったのは、僕のせいだ……」
白糸の側で食事の準備をするかな子の横で、青葉の弱弱しい声が聞こえた。
「お前のせいではない。わしだ。わしのせいだ。日に日にやせ細り弱くなるわしに愛想を尽かしたのじゃ。だから屋敷を出て行って、こんな痛ましい姿になって……」
黒元がそういって潤んだ目を伏せると、鼻を大きくすする。
「違う! 違うよ! 僕だよ……! 僕が弱すぎて、何も、何も食べられなかったから! だから母上は、出ていったんだ! 僕が、できそこないの弱い鬼だから!」
縛り出すようにして青葉が言う。
涙をこらえようとしていたようだが、こらえきれずにその頬に涙が伝って顔を伏せた。悔しそうに顔を歪めて、声を殺して泣く。
今までのあどけなく可愛らしいだけの青葉ではなかった。
その痛ましい姿に、かな子も胸が苦しくなって目線を落とす。かける言葉が見つからない。
自分の母親が出ていった。そして痛ましい姿になって戻ってきた。その原因が自分にあったのだと思ったら、それはどれほどの痛みだろうか。
「青葉、そんな顔をしないの」
重苦しい空気の中で、小さくそれでいて澄んだ声が部屋に響いた。
「おお、白糸、目覚めたのか……!?」
黒元が心配そうに問いかける目線の先には、黒目がちな目をひらき、乾燥した唇を微かにほころばせて青葉を見ている白糸がいた。
「母、上……」
青葉君の口からかすれた声が響く。
「青葉のせいじゃないの。これは私の弱さのせい」
「……! 嘘だ! だって、じゃ、じゃあ、何で母上は出ていったの!? 弱い僕が嫌になったからでしょ!? 僕が弱いから、捨てたんじゃないの!?」
青葉がそう問いただすと、バカねといって白糸が笑いながら首を横に振る。
「そんなわけないじゃない。私は、ただ、貴方が食べれる料理を探しに行っただけなの……。貴方が食べれる強い料理を見つけたらすぐに戻るつもりだったのよ。それで人間の世界にいったのに、ダメね。私も相当弱っていたみたい。すぐに瘴気に侵されて、正気を失ってしまった」
白糸の言葉に青葉は大きく目を見開いた。そしてその目頭からたぷたぷと涙が溜まってゆく。
「じゃ、じゃあ、母上は僕のこと嫌いになったわけじゃない……?」
「当り前でしょう? 嫌いになってほしいと言われたって嫌いになれっこないわ。だってあなた以上に大事なものなんて、この世に存在しないもの」
白糸がそういうと青葉はもう堪えられなかったのか、白糸に覆いかぶさるように抱き着いた。
ヒックヒックとしゃくりをあげてすすり泣く声が部屋に響く。
「ずっど、母上は僕のごど、嫌いになっだんだって……思っで……!」
と声にならない声で青葉が言うのを、白糸が優しく包み込むようにして背中をさすった。
そして、何かに気付いたらしく目を見開く。
「まあ、青葉ったら、私がいない間に随分と大きくなったのではない?」
抱きしめた時に青葉の恰幅が良くなったことに気付いたらしい。
白糸にそう言われて相当嬉しかったようで、青葉はガバッと顔をあげた。
「うん! 僕ね、専属料理鬼を見つけたんだ!」
そう言って、青葉が涙で濡れた瞳をキラキラと喜びで光らせてかな子の方を振り返る。
唐突に話題に出されたかな子はびっくりしたところで、白糸と目が合った。
「まあ、なんてこと! そう、貴方が青葉に料理を作ってくださったのね……ああ、ありがとう! 本当に、何とお礼を言えばいいか」
と言って白糸が体を起こして、かな子に頭を下げようとするような動きを見せたので、かな子は慌てて白糸の肩を抑えた。
「あ、いえ! そんな、大丈夫です! 私の方こそお世話になっておりますし……」
と、かな子は慌ててそう言った。
咄嗟に言った言葉だけでそれはかな子の本心だった。
仕事としてのお給金は、正直かなりいい。その上青葉と言う癒しと一緒にいられる。職場の同僚達との仲については今まではあまりよくないものだったが、これも解決しそうだった。
最初こそ面食らったが、慣れてくればこれ以上に良い環境はないし、かな子はかな子でとても気に入り始めていた。この場所も、ここにいるあやかし達のことも。
「……かな子お姉ちゃん。僕からも、いつも本当にありがとう」
青葉はそう言って、はにかむように笑った。
今までもかな子を夢中にさせるぐらいには可愛かったが、今ほど晴れやかで思いのこもった笑顔はなかっただろう。
かな子も思わずつられて笑みをこぼした。
「……思えば、かな子お姉ちゃんと出会ったのは母上のおかげだったのかも」
ふとなにかを思い出したかのように青葉がぽつりとそういって、かな子は首を傾げる。
「お母さんは、鬼の里の外につながる鬼門から出て行ったんだ」
「鬼の里の外?」
「うん。僕とかな子お姉さんが最初に会ったところだよ。僕は、母上に嫌われていてもいいから一目会いたくて、外に出たんだ。でも、空気が汚くて……遠くまでは行けなくて……あの場所でウロウロしてるだけだった時に、かな子と出会ったんだ」
「そうだったの?」
「うん。かな子お姉ちゃんのお弁当、美味しくて、僕みたいな弱い鬼も食べることができて、本当にびっくりしたんだ。それに嬉しかった。僕でも食べれたって思って」
そう言って儚げに笑ってくれる青葉が、あまりにも可愛らしくてかな子は悶えた。
まさか母恋しくてあの場にいたとは思わなかった。
「青葉君、私も、一緒にご飯を食べてくれてありがとう」
(感謝してるのは私の方だよ。暮らしに潤いができて、本当に嬉しかったんだよ!)
正直、当時のかな子は就活活動に疲れてきていた。
しかも前の職場の辞めるきっかけは、元カレの浮気。
もうすぐ結婚するかもしれないと思っていた相手との突然の裏切りは、あまり考えないようにはしているが、かな子の気持ちを重くさせていた。
そんな時に、青葉に会ったのだ。可愛らしい青葉に夢中になって、連れてこられたあやかし屋敷での生活は驚きの連続で、もう昔のことを考える余裕なんてなかった。
それがかな子にとってどれほどの救いになっていただろうか。
「そうか、白糸は、瘴気立ち込めるあの世界に行っておったのか。それで我を忘れてあのような姿になって暴れておったのだな……」
と黒元がしみじみと白糸を見ながら呟いた。
聞きなれない単語にかな子がそう尋ねた。
「瘴気、ですか……?」
「さよう。鬼門の外は、瘴気立ち込める世界。霞を食べて生きる我々にはまさに地獄よ」
「じ、地獄ですか……」
かな子の生きる世界はどうやら鬼達にとって地獄みたいなものらしい。
確かに排気ガスとかでちょっと空気汚いなとは思うけれど、それほどだったとは……。
「青葉、泣くな。母も戻ってきた。今はカナコーのお陰で、お主も強くなった。そしてわしも力を取り戻し始めている。何も憂うことはない」
黒元はそう言ってニッっと白い歯を見せて笑った、その時。
「失礼します」
男の声が部屋の襖の向こうから聞こえた。
「おお、伊織か。入れ」
そう言って襖を開けてそこに座していたのは、黒髪の涼しげな青年。
(やっぱり、あの時の神主さん……)
かな子は声の主に気づいてどきりとする。
白糸を捕らえた功労者であるあの神主の男は、鬼の里で伊織と呼ばれ、なんと黒元の料理鬼の第一席なのだという。
かな子と伊織はあの時目が合い、お互いがお互いを人間であると気づいたはずだが、互いにそのことについては触れなかった。
「伊織、迷惑をかけたわね。貴方が人間界から私をここに連れ戻してきてくれたことは微かに覚えているわ」
「いえ、私のことはお気になさらず。連れ戻せて良かったです」
伊織は一つ頷くと、淡々とした口調でそれだけ言った。
そして彼は、恭しく頭を下げた。
「お屋形様、しばらくかな子という新しい料理鬼をお借りしても良いでしょうか?」
伊織はそう言って鋭い視線をかな子に向けた。
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