第10話対戦相手は『氷像料理の鉄人』雪女の雪目⑤
無事に青葉の父親にお粥を食べさせたかな子は、青葉に送ってもらって封鬼神社に戻ってきた。
先ほどまでかな子を見送るために可愛く手を振っていた青葉の姿が忽然と消え、あの大きなあやかし屋敷の建物も見えなくなった。
「また、へんな体験をしてしまった……」
呆然とあやかし屋敷があったはずの方角を見つめるが、現在は曇り一つない夕闇の空が広々と広がるばかり。
時刻はすでに夕方と言うよりも、夜に近い時間になっていた。
ちなみに今日は土曜日だが、ハローワーク開庁日。
いつもなら就職活動のためにハローワークに通っていたところだったのだが、もうこの時間では無理だろう。
「就活は来週かな。あ、でも、また黒元さんの料理を作ってほしいって言われてるし……いついけるんだろう」
青葉とはいつも月・水・金曜日の就職活動の休憩中に公園でランチとっていた。
それで先ほど青葉から、いつもの曜日の時だけでいいからあやかし屋敷に来てほしいとお願いされた。
あまりにも可愛い上目遣いだったので、かな子は何も考えずにうんうん頷いたのだが……毎回料理鬼対決とかいうよう分からないものに巻き込まれて時間をとられたら就活をする時間がなくなる。
どうしたものかと思ったかな子は、手の中にあるものを思い出した。
右手の中には、青葉から別れ際に渡された金の粒がある。
お礼だと言われて渡されたもの。
「今朝換金したのと同じぐらいの大きさ……」
今朝の金の換金額は55800円だった。
大金である。
「今日の料理に対する報酬ってこと?」
そしてかな子は気づいた。
「あれ、私、もしかして、もう就職してる……?」
金色の小石からずっしりとした重さを感じていたかな子の耳に、ザッザッザと神社の境内に至る階段を上る足音が聞こえてきた。
誰か来ると思って咄嗟に金の小石を拳の中に隠して背中に回し、音のした鳥居の方に目をやった。
すると、白い着物に紫の袴を来た男の人が登ってきているのが見えた。
(あの人はたしか、この前会った封鬼神社の神主さん……?」
なかなかお目にかかれないほどに顔が整っていたのでかな子はよく覚えていた。
それに和装というのも強く印象に残っている。
(でも、なんだかすごく疲れたような顔してる……)
まじまじとその伊織と名乗った神職の男をみていると、男がふと顔を上げた。
そしてかな子と目が合うと、少しだけ目を見開いた。
「貴方は、昨日の……。こんな時間にこんな暗い場所で若い女性が一人でいるのは危険です」
少し険のある物言いだったが、かな子を純粋に心配した故の言葉らしい。
綺麗な男の人に身の心配をされることが妙に気恥ずかしく、かな子は両手を前に出して首を振った。
「わ、若いだなんて、私は、もういわゆるアラサーですし……!」
焦ってそんなことをいうと、伊織はさらに眉根を寄せる。
「十分若いですよ。うちの神社は外灯もないので、より危ない。それにこの辺りは最近危険な……危険かもしれない変なものが出るという噂がありますから、気を付けたほうがいい」
「変なもの……?」
かな子が不思議そうに首を傾げると、伊織は視線を逸らして「いわゆるお化けとか、そういうものです」と小さく答えた。
その顔は実に真面目でうそをついて揶揄っているようには見えない。
それに最近かな子はそういう世界に行ったり来たりしたばかりだ。
(も、もしかして、それって青葉君たちのこと……?)
「お化け、ですか。それは確かに大変ですけど、でも、そんなに危険なものではないかも、しれないんじゃないかなって思ったり……」
と、青葉は弁護しようとしたが、伊織はそんなかな子を不思議そうに見た。
「危険はないと、どうしてそう思うのですか?」
「え? どうしてって……」
それは青葉たちに実際に会っているからだとは言えずにかな子が戸惑っていると、伊織はふうと小さく息を吐き出した。
「いえ、そんなことよりも、どちらにしろ暗い夜道をご婦人をが歩くのは感心しません。早く帰った方がいいでしょう」
そう最後に伊織は忠告の言葉を残すと、「それでは失礼」と言って社の方へと歩いて行ってしまった。
(行っちゃった……。なんか、雰囲気のあるし、和服だし、神職の人だし、青葉君を見つけたら問答無用で祓ったりとかしそう……)
かな子は悪霊退散とか言われて青葉が苦しんでる姿を想像してしまい、背筋をブルりと震わせた。
◆
青葉と約束した通り、次の月曜日から黒元に料理を作りに屋敷に入った。
まだ胃が万全ではないので、基本的には消化に良いものである。
週三回、かな子の料理を口にした黒元は目に見えて変わった。
肌のくすみはなくなり、もじゃもじゃの髭と髪には艶が出てきた。
そして、やせ細っていた胴回りが一気にふっくらとしてきたのである。
正直ふつうの人間のかな子から見て、一週間ほどで変わりすぎだと思ったが、青葉を始め多くの鬼達は何も疑問に思わず素直に喜んでいるので、そういうものなのだろうと結論づけた。
「ほう! これは面白い!」
生き生きとした顔で、箸を持った黒元は氷でできた小さな滑り台に目を向けていた。
黒いヒゲには、茶色のつゆが付いている。
そしてその滑り台の反対側には、青葉も同じように箸を握って座っていた。
「父上ばっかりずるよ! 僕も食べたいんだから!」
と青葉が不満そうに口を尖らす。
「ふむ。この世界は弱肉強食じゃ。強きものが食らうのじゃ!」
「大人気ないよ! それにかなこは僕の料理鬼なのに!」
二人の親子が言い争う中、滑り台の一番高いところにいるかな子が手を挙げた
「はーい! お静かに! 今から伊勢うどん、じゃなくて『流しうどんのツルッとした恩返し~その柔らかさはまるで羽毛~』を流しますからねぇ!」
そう言ってかな子は先程からじっくりコトコ一時間ほど煮込んだおうどんの入ったお椀を傾けた。
そして、雪目が作った氷の滑り台の上を極太の白いうどんが流れ出す
滑り台の下の方にいる鬼の二人は身構えた。
二人の鬼は、競い合うようにして流れてきたうどんを掬いあう。
どうしても体のデカイ黒元の方が多くとりがちなのを見て、かな子はタイミングを見計らって青葉の方へと麺を流したりと苦労していた。
「な、なぬ!? フェイントとは、小癪な!」
もう流れまいと、濃い出汁の入ったお椀にうどんをつけて啜ろうとしていた黒元は、遅れて流れてきたうどんを見て悔しそうな顔をする。
(というか黒元さん、少しは息子に譲ろうとする気持ちはないのだろうか!)
かな子がタイミングを見て流さないと、
だいたい全て黒元が流しうどんを独り占めするのである。
「かな子お姉ちゃんありがとう!」
遅れて流れてきたおうどんを無事にキャッチすると、青葉はその可愛らしい笑みを浮かべてお礼を言う。
(可愛い。できることなら青葉くんにだけ流してあげたい)
かな子は青葉の笑顔に癒されながら、伊勢うどんを流していく。
そう、現在かな子は
流しそうめんならぬ流しうどんを振舞っていた。うどんは極太で柔らかさが特徴の伊勢うどん。
青葉は別にしてもこの鬼族、面白味というものがないと本当に料理に手を出さない。
最初は黒元もかな子の作るお粥を喜んで食べていたのだが、すぐに飽きて全く口にしなくなった。
その度にかな子はあの手この手でどうにか食べさせていたわけだが、とうとう流し伊勢うどんをする羽目になったわけである。
「それにしてもこの料理もうまい。つるりと口に入るこの食感。極太な見た目に反して口の中に入れただけで解けてしまいそうなほど柔らかい歯ごたえ」
そう言って、うどんをすすった黒元が満足そうに頷いた。
「それにこの黒いたれとの相性が良いよね」
そう言って、お椀に入った黒のたれに浸したうどんを引き上げながら青葉が言った。
伊勢うどん特有の濃い汁に染められたうどんが褐色に光っている。
「そうであるな。これぞ、至高の黒の料理である」
至高の黒、という単語を聞いてどこかで聞いたことがあるなとかな子は記憶をめぐらした。
(確かそれって……)
「酒捨童子さんというかたの料理に対して、そのようなことを言ってましたけれど、黒い料理が好まれるんですか?」
最初にこの鬼の里で料理をつくることになった時に聞いたことがある。
ウニの殻と魚の炭だけの料理を見て、観客達がそう騒いでいた。
「さよう。黒は古来より鬼にとっては至高の色彩。強さの証よ」
どうやら、昔からのしきたり的なもので黒をありがたがる傾向があるらしい。
なるほどと、かな子は頷いた。
「それにしてもカナコーは、鬼事情にうといのぉ」
黒元の不思議そうな声にかな子は目を向ける。
「え、それは、だって私は……」
人間だし、と答えようとしたかな子は口を噤んだ。
(これ、私が人間だって言っても良いのだろうか。青葉君は私が人間であることは知ってるみたいだけど、他のあやかし達は同じ鬼として見ている気がする)
「それにかな子のツノは小さいのう。髪に隠れて全然みえぬなぁ」
黒元は、椅子から立ち上がると、かな子を見下ろしてそう言った。
黒元の視線の先はかな子の頭頂部。不思議そうな声で言われたが、かな子は黒元の巨体に改めて目を見張った。
伊勢うどんを流すためにかな子は台を置いて少し小高い場所に立っている。しかしそれでも、黒元と比べると自分の方が低いのだ。
(人間だって知られたら、食べられてしまうんじゃないだろうか……)
ゴクリと喉がなる。
黒元の体が大きいのももちろん、顔も異形で、牙も鋭い。
なんとなく慣れきってしまって、ここ数日普通に接してきたが、相手は人ではなく鬼なのだ。
「そうなんですよ。ほんと、ツノ小さくて。むしろ埋まってるんじゃなかってぐらいで……へへ」
かな子は鬼のフリして笑ってごまかした。
黒元も特に追求せず再び椅子に座りなおす。
「ツノが小さいことで何か言われる事もあるかも知れんが、気にするでないぞ。お主は優秀な料理鬼なのだからな」
そう言って、黒元はガッハッハと豪快に笑った。
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