第8話対戦相手は『氷像料理の鉄人』雪女の雪目③


 しばらくトイレにこもっていた黒元だったが、どうにかお腹の具合が落ち着いてきて部屋に戻ってきた。


 布団の近くには先ほどまで食していた雪目の作った氷像があった。

 頭は先ほど黒元自ら食し、時間の経過で他は溶け始めていた。

 このような姿になってしまうと、最初の感動が薄れもう食べる気は起きない。


 黒元は、氷像を下げさせて布団にくるまる。

 酷く体が冷たい。

 少しでも暖をとりたかった。


 そのまま布団にくるまり眠りにつきたかったが、空腹感が邪魔をした。

 ここ最近、黒元は満足に食事ができていない。

 もともとあやかしは食事はしなくとも、空気中に漂う生命力さえ吸うことができればなんとか生きてはいける。

 そう、霞を食べて生きていけるのだ。

 しかし、霞だけでは力は湧かない。


 より強くなるためには、口から何かを食した方が良いのだ。

 空気に含まれていない濃い生命力が、食べ物には込められている。

 だから、鬼族のものたちは、食材を使って食事もする。

 そして鬼達は、より強そうな料理を求める。

 派手であったり、石のように固いものであったり、刀のように鋭いものであったり、刺激的な味がするもの。

 そういったものが、強さを求める鬼たちにとっての至高の料理。強そうな料理を食べればその強さを自分達のものにできる。


 そう、あやかし達は信じている。

 そして、それは、鬼族の長たる黒元も同じであった。


 しかし、ここに来て黒元は最近思い悩んでいた。

 自らの肉体の衰えを感じ始めたのだ。

 強そうな料理を食べても食べても、弱っていくばかり。

 最近に至っては、食べたものが口から下から吐き出されることすらある。


 老いを感じた。自らの体の衰えは、すなわち弱さ。鬼の長にあってはならないことだった。

 しかし後を継ぐはずの青葉は鬼の里を引っ張っていくには幼すぎる。


 悲痛な思いで、目を強く結ぶ。眠らなければと強く思う。

 空腹感はあるが、何かを食べれば、先ほどの雪目の料理のように吐き出してしまうかもしれない。

 息子の前で弱さを示すことは躊躇われた。


「父上、眠る前に、かな子の料理をたべてくれませんか?」

 布団にくるまり瞼を閉じる黒元の耳に、幼い青葉の声が入る。

 薄っすらと薄目を開けると、心配そうに黒元をみる青葉の顔があった。


(情けない。息子に、こんな顔をさせてしまうとは……)

 心配かけさせまいと、寝ていた体を起こす。

 少しでも気丈に見えるように背筋を伸ばした。


「何をそこまで……その女の料理だったら、昨日食ったが、なんの面白みも感じなかった」

 憤慨するように黒元は口にするが、青葉は引かなかった。


「それは父上のお口の中が万全じゃなかったからだよ。今なら、きっとかな子の料理のすごさに気付ける」

 まっすぐと見つめる青葉の視線に、黒元はいぶかしむように眉根をよせる。


「お前がそこまでいうとは……」

 昨日食べたかな子とやらの料理に黒元は思いを馳せた。

 体の大きな黒元にとって、昨日食べたかな子の料理は一口にも満たなかった。

 歯ごたえもなく、食べた感じすらしない。

 舌に走る刺激的な味もせず、血の味であった。


 息子がそこまでこだわる理由が黒元にはわからないが、あまりにも真剣な眼差しに小さく息を吐き出した。


「よかろう。ならば、かな子の料理とやらを持ってこい。行っておくが、見て食欲がわかなければわしは食べぬぞ。それでもいいか」

 念を押すように黒元がいうと、青葉は嬉しそうに表情を緩めて頷いた。


「はい、それでかまいません」

 青葉のその言葉を皮切りに、かな子がお盆を持ってきた。

 お盆の上には土鍋と口の大きな急須、そしてサジが置かれていた。


 土鍋の蓋の穴から白い湯気のようなものが立ち上ると一緒に米特有の甘みある香がふわりと広がった。


 黒元もその香に何かを感じ取り、先ほどから感じていた空腹感が増した。

 口の中に唾がたまる。

 しかしこのような身体的反応に慣れていない黒元は、ただただ戸惑った。

 しかしその戸惑いを息子に感じさせまいとより一層に目に力を入れて、顔を険しくさせる。


 いそいそと青葉が食事台を黒元の前に用意し、かな子はそこにお盆を置いた。

 そして、まずはとばかりに、かな子は鍋の蓋をとる。


 ブワリ。

 湯気が立ち上る。

 先ほどかすかに漂っていた甘く優しい米の香が、雪崩のように部屋中を満たしていく。


 土鍋の中にあったのは、お粥。

 白濁のつゆの中に柔らかくじっくりと煮込まれた白米が輝いている。

 そしてその白がゆの中に、7粒の綺麗な橙色をしたいくらがポツポツポツとバランスよく浮かんでいた。


 それを見て、黒元は明らかに落胆した。


(たしかに香には何か一瞬感じるものがあったが、それだけだ。このように弱そうな見た目の食べ物では、食べる気にはなれん)


 黒元にとって、食事とは強さを得るための儀式。料理とは、力。

 より強そうな食べ物を食すことこそ、あやかしの里の長としての務め。

 これを料理と認めることはできない


 黒元はいらだたしげに眉をピクリと動かし、眼を怒らせた。


「ふざけるな!このようなつまらぬもの、食えるものか!」

 黒元は怒鳴った。

 その怒りは相当なものだったが、しかし、それはあらかじめかな子達にとっては予想されていたことだった。

 かな子は慌てずにお盆に置かれている急須を手に取った。


「私の料理は、まだ完成しておりません」

 はっきりとそういうと、かな子はまっすぐ黒元に目を向ける。


「黒元様は、金龍の滝下りのお話をご存知でしょうか?」

「金龍……?」

 唐突な話に訝しげに眉根を寄せてかな子を見る。

 かな子はこれから慣れない話をするというのもあって、正直舌を噛みそうだったがここが正念場とピンと背筋を立てた。

 かな子の渾身の強がりである。


「はい。金龍とは、古来中国から伝わる伝説の大妖怪のことでございます。とある7つの宝玉を集めて滝壺に沈めると、金龍は空から滝に下るが如く地上に姿を現わすとされています。そして、金龍は宝玉を集めたものに、最強の力を与えるのです」


「さ、最強の力、だと!?」

 かな子の話をきいた黒元は興奮で声を荒げた。

 最強とは、鬼の誰もが求める最高の称号である。

 黒元にとっても、まさしく最強という単語は、うっとりするほど魅惑的なものだった。


「はい。実際に、金龍の祝福にて色々な困難に打ち勝ち、最強の力を手にした戦闘民族がおります。彼らはその力で何度も世界を救っております」

 かな子が務めて神妙な顔をするようにしてそういうと、さらに黒元は眼を見開く。


(そんな逸話があるのか。中国といえば海の向こうの国の話……わしが知らないだけでそんな戦闘民族がいるのやもしれん)


 嘘みたいな金龍の話をにわかに信じ始めた黒元。


 そしてかな子は急須を持っている腕をピンと伸ばした。

 ちょうど、急須がお粥の入った鍋の上に掲げられている。


「今から私がお見せしますのは、その金龍の滝下りを模した料理、その名も『出でよ、金龍!願いを叶える伝説の龍の滝下り卵の餡掛け粥』です!」


 かな子は、恥ずかしさを振り切ってそう宣言すると、急須を傾ける。

 そして大きめな急須の口から、金色の龍が飛び出てきた。

 いや違う。実際に、飛び出て着たものは、金色の卵のアンである。

 味付けのないお粥に、塩とお出汁で味付けをし、よく刻んだ人参と小葱を加え、片栗粉でとろみをつけた優しい味の卵の餡掛け。


 しかし、先ほど金龍の話を聞いたばかりの黒元の目には急須から飛び出してきたものが、金龍に見えた。

 飛び出て着た黄金色の輝きに、黒元はその黒い瞳を輝かせる。


 そしてかな子は急須をお傾けながら、スーッと上の方へと腕を動かす。

 すると急須から落ちる黄金龍はより長く、うねるようにして橙色のいくらの粒、いや宝玉が浮かべられた白い粥、いいや、滝壺へと注がれていった。

「おぉ、これは……!」

 思わず黒元が唸る。


 黒元は、面白味のある料理を好む傾向にあった。

 鬼の里での『面白味』というのは色々あるが、黒元は中でも物語性のある料理が好きである。


 まさに今かな子がしたような演出は、黒元のドストライクであった。

 そのため、黒元の専属料理鬼の第一席には、長年口のうまい料理鬼が据えられていた。

 その料理鬼は知識が豊富で、先ほどのかな子のように、遠い地の逸話を用いて料理を振る舞うことがある。


 卵のアンを急須から綺麗に注ぎ終わったかな子は、すっとお盆に急須を戻す。


 黒元は、先ほどまでの金龍の話、そしてその演出に眼を輝かせていたが驚きはそれだけでは終わらない。


 すーっと先ほどは感じなかった、なんとも言えない食欲を誘う香が漂ってきたのだ。


 甘い米の香だけではない。

 この独特な唾液を誘発させる香りは、すりおろした生姜の香。

 ぷんと鼻にかかると、黒元は我知らず食欲が湧いてくる。

 そして香りだけではない。白がゆを覆い隠したトロリと輝くたまごの餡。

 よく解きほぐされ、滑らかに光り輝く龍の髭のようなたまごの餡には、よく刻まれたネギと人参が入っており、それもまさに龍の鱗の文様のように程よく配置されていて見た目にも美しい。


 まるで、先ほどの話に出て着た金龍が溶けたかのような一品になっていた。


 黒元は、無意識のうちに匙に手を伸ばしていた。


「卵の餡と、白がゆをよく絡めて少し熱を冷ましてからお召し上がりください」

 かな子の言葉に素直に頷き、鍋を匙で回す。

 そのトロリとした見た目を目でも味わうと、黒元は一口分匙で掬った。

 顔の前にその匙を持ってきて、改めてよく目の前のものを見る。


(なんて柔そうな料理なんだ。おかしい。いつもなら、こんな弱そうな、歯ごたえのなさそうな料理と知れば、絶対に食べたくないと思うのだが……)

 ゴクリと唾を飲み込んだ。

 先程から、香のせいで唾が多く口の中で溜まっているのである。


(まるで、わしの体が食べろと言っているかのようだ……)


 黒元は、戸惑いつつも本能には抗えず、『出でよ、金龍!願いを叶える金龍の滝下り卵餡掛け粥』を口にした。

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