第7話対戦相手は『氷像料理の鉄人』雪女の雪目②
青葉の父親、黒元の部屋は基本畳なのだが、一部の区画が土間になっていた。
そこには、蛇口をひねれば水が流れる作りの水場があり、コンロはないがカマドがある。
それに土鍋に、オタマにフライパン。
料理器具も十分。
玉ねぎ人参、じゃがいもといった野菜から、肉に魚に調味料にと必要なものは全て揃っている立派な台所である。
(これはすごい)
あらためて、完璧に様々なものが揃えられているお台所を見回してかな子はほうとため息をついた。
昨日のコンサート会場のようなところと比べるとかなり狭いが、二人で料理する分には広いスペースだ。
「こんな立派な台所が、部屋に備え付けられてるなんて……」
「料理は僕たちの最大の娯楽だからね。私室に台所を作るなんて当然だよ」
青葉の言葉の「娯楽」というところに疑問を持ったが、ここがあやかしの世界であることを思い出して、そういうものなのかとかな子は納得することにした。
どちらにしろ、料理をする側にとっては環境がととのっていることは有難いことである。
ただ、問題はガスが通ってないことだ。
ここに備えられているのは、カマドである。
カマドは友人と行った古民家体験旅行に止まった古めかしい宿で使ったことはあるが、それきり。
コンロと比べると火加減で扱いにくい部分があるのが気にかかった。
「かな子お姉ちゃん! これ、昨日忘れていったやつなんだけど、使う?」
そう言って、かな子が両手で簡易式ガスコンロを持ってきてくれた。
思わず目を見開く。
「ありがとう、青葉君! 助かる!」
かな子はそう言ってありがたくガスコンロを受け取った。
そういえば、昨日青葉の家に料理道具を持って行ってそれきりだった。
(ここに置きっ放しにして帰ってしまってたのか。けど今回ばかりはラッキー。胃が弱い時の料理といえば、やっぱりお粥。そうなると火加減が調節しやすいコンロは有難い)
かな子の中に憂いがなくなるとまずお米を研ぐ。
かな子はいつもお米は一粒一粒、磨くようにして研ぐ。
そうすると炊き上がった時の輝きが違うのだ。
十分に米を磨き上げると、土鍋に入れて多めの水を投入。
本当は、しばらく水に米をつけたいところだが時間がない。
かな子はカチっとコンロのスイッチをひねって、着火した。
ボワっと火がついたら、まずは沸騰するまで強火だ。
あとは様子をみて、火加減を調整すればおかゆが完成する。
(問題はここからよね。正直そのままお粥として出すのが胃に一番優しい。けど……)
そう思いながらかな子はどうしようかと首をひねる
そのままの粥が胃に優しいことはわかっているが、その味気のない食事を黒元が最後まで食べきってくれるかどうかという問題がある。
少しでも体力をつけさせるためには、少しでも多く食べてもらえる工夫が必要だ。
悩むかな子だったが、ふと周りの空気が冷たくなったのを感じて周りを見た。
すると、かな子と少し離れた場所で料理台に向かっている雪目がいた。
彼女は白い着物をタスキで捲り上げ大きめの木桶に向かってフーっと息を吹きかけていた。
肌に感じた冷気は、どうやら雪目が吐き出す息から出てるらしい。
「雪目は、雪女のあやかしなんだ」
いつのまにか近くに来ていた青葉がそう教えてくれた。
「雪女ですか……」
鬼だけでなく、雪女まで出て来た。
どちらにしろかな子にとっては馴染みのない単語である。
(まあ、鬼がいるんだから、雪女もいるんだろうね。すると河童とかもいるのかな……)
ふうふう冷たい息を吹きかける雪目を見ながらそんなことを考えていると、雪目が先程から息を吹きかけていたバケツをヒックり返した。
そして、すっとゆっくりバケツを引き抜くと、そこには一部がオレンジがかった氷の塊が置かれた。
(あれは、刻んだ人参の入った氷……?)
目をパチクリさせながらかな子は雪目が作ったバケツの形の氷の塊を見る。
雪目は氷の塊の出来に満足げに微笑むと、かな子の方を振り返った。
「私の方が先に料理の準備ができたようですね」
そう言って雪目はちらりとかな子が先ほど火にかけた土鍋に視線を向けた。
「ふふ、先ほど見ておりましたが、ただの米の粒を水でふやかしただけのものを料理とおっしゃるおつもりで……? 若様の専属になったと聞いたので、どんな迫力の料理をお出しになるかと思えば、随分とつまらぬものを。しかし貴女の地味な顔にはお似合いの料理のようで」
雪目はそう言って嘲るように小さく笑う。
その声は自信に満ちていた。自分の勝利を疑っていないのだろう。
その態度にはかな子も少々カチンときた。
「私は、迫力の料理ではなくて、滋養のある美味しい料理を作ります」
と負けじと言ってみる。
「オイシイ? なんと奇天烈なことを申すのかしら。まあ良いでしょう。私が本物の料理というものをお見せしましてよ」
そう言って、雪目は氷の塊を乗せたまな板ごと青葉の父が眠る寝所に運び入れる。
雪目がしなりしなりと歩いて氷塊はこび、それを畳の上に置いたところで、ちょうど青葉の父が目を覚ました。
「……ん。飯の時間か……」
気だるそうな低い声で、青葉の父が応じるとゆっくりと上体を起こした。
やはりその顔色は悪く、頬はげっそりとコケている。
「お屋形様、起こしてしまいましたか」
「構わぬ……ん? おお、青葉もいたのか」
黒元はそう言って雪目の隣で座っていた青葉に気づいて優しく微笑む。
昨日は、料理のことでもめていた二人ではあるが、親子仲はそれほど悪くはないらしい。
「うん、父上のことが心配で……。それで、かな子お姉さんを連れて来たんだ」
青葉がそういうと父の眉がピクリと動いた。
「かな子、だと……?」
そしてその鋭い目をさらに険しくさせて、青葉の父はかな子を捉えた。
「あ、はい。昨日はお世話になりました。桐生かな子です。今日は、お粥を食べていただきたく……」
「おかゆ、だとぉ……? なんじゃそのかゆそうで弱そうな名前は……!」
その声は地獄の使者の声かのように低く険しかった。
この大鬼に睨まれることは昨日に続いて2回目だが、慣れない。
かな子はびくりと肩を震わせて一歩後ずさる。
「かな子の料理で、父上を元気にしてもらいたくて連れて来たんだ」
と青葉が慌てていうが、父親の顔は険しいままだ。
「お屋形様、お気持ちは十分にわかります。かな子とかいう女の料理、大変に地味でつまらぬものでございました。あのようなつまらぬものをお屋形様の口に入れるなどあってはなりませぬ。しかしご安心くださいませ。お屋形様には私が付いております。私の料理を食して元気を取りもどしていただければ、奴の料理になど手を出さなくてもよろしいかと」
雪目がかな子にも聞こえるぐらいの声量で、そう言った。
「ほう、そういうことか。よかろう。では、雪目よ、わしの料理を作りあげてみよ」
青葉の父は迫力のある声でそう言うと、雪目は「はっ」と返事を返して恭しく頭を下げる。
そして改めて、顔を上げると人参と一緒に凍らせた氷塊に向き合った。
手には、小刀が握られている。
「では、お屋形様の専属料理鬼第三席雪目、参ります」
そう宣言すると、雪目は素早く両手を動かした。
ガリガリ、シュシュシュシュ、ゴリゴリゴリ。
これまた料理をするときにはあまり聞こえそうもない音がその場に響く。
しかしこの場にいる誰もが、雪目の神業に目がクギ付けになった。
「す、すごい。これは、確かに、すごい……!」
かな子は、雪目の華麗な手さばきに呆然と目を見開き、素直に賞賛の声を上げた。
雪目は両手で持った二本の小刀を使って、氷塊を削っていく。
削って削って、先ほどまでただの氷塊だったものが、別の姿に変わっていく。
それは……。
「鳥……?」
鋭い嘴と小さなトサカを備えた頭、今にも飛び立たんばかりに大きく広げられた二つの翼。
風に煽られたかのように立派な長い尾が舞う様は、これが無機物であることを忘れさせる。
目や嘴、その足の爪に至るまでよりリアルに表現されているが、羽毛の形はどこか非現実で、羽というよりも炎のうねりを想起させた。
かな子は雪目の作品に目を奪われていると、最後に目の部分に少しだけ削り、雪目は小刀を置いた。
彼女の繰り出した芸術作品を前に、シンと静まった空気の中で彼女が小刀を置いたコトリという音が響く。
そして雪目は恭しく頭を下げた。
「完成にございます」
彼女がそういうと同時に、一時的に雲で陰っていた太陽が顔を出したのか、窓から陽の光が強く差し込む。
その光は、ちょうど雪目の目の前にある氷像へ向かった。
氷の中に閉じ込めた刻まれた人参の橙色が、光に照らされて本物の炎のようにテラテラとゆらめく。
雪目は勝利を確信した顔を上げると、真っ赤な唇を開いた。
「お屋形様の回復を祈りまして、不死の象徴である怪鳥にあやかりました。雪目の最高傑作でございます」
自身に満ちた雪目の声。
それほどまでの出来栄えだった。
高さにして50センチほどもある今にも動き出してしまいそうな、不死鳥の氷像。
病み上がりの青葉の父もその作品の素晴らしさに目を丸くし、遅れて笑みを深めた。
「ほう……! これは素晴らしい! あいも変わらず優雅にして迫力のすごきこと。さすがはわしの専属料理鬼である」
たいそうご満悦の黒元であった。
そしてそれをずっと見ていたかな子も、雪目の作り上げた作品に恐れおののいていた。
(す、すごすぎない? あの短時間で、あれだけの氷像を作れるなんて……!こんなの、わたしには無理!)
かな子には、これほどの氷像を作ることはできない。まさしく職人技だ。
今まで氷像作りに縁のなかったかな子にはむりな芸当だった。
雪目の不死鳥を前に、負けを確信したその時、かな子は思い出した。
(ん? あれ? いや、私はべつに氷像作り対決してたわけじゃない、よね……?)
そう、これはあくまで料理対決である。
勝負の内容を思い出したかな子は、冷静さを取り戻した。
あの氷像はあくまで飾りで、他に何か料理を繰り出すのだろうかと、かな子は固唾を飲んで待っていると、雪目は続けて口を開く。
「こちらの料理名は、『人参の氷漬け不死鳥仕立て~お屋形様よ、永遠に~』でございます。どうぞお召し上がりくださいませ」
雪目のお召し上がりくださいという発言に、かな子は驚きのあまり目を見開く。
(え、あの氷像自体が料理!?ていうか、料理名の『お屋形様よ、永遠に』のあたりとかちょっとお屋形様との死に別れ感出てない!?)
あの氷像自体が料理らしいと気づいたかな子は、先ほどまで感じていた氷像への感動がすっとんでいった。
ただでさえ、お屋形様とやらは昨日の料理を食したことで胃を弱めているのである。
その状態で、急にあんな冷たいものを食べてしまったらさらにお腹を壊すことは必至。
だが、かな子がそれに気づいて声をかけようとした時には遅かった。
お屋形様は嬉々として、氷像に手を伸ばし、不死鳥の頭からかぶりついていたのである。
ガリガリガリ、シャクシャク、ガリ。
氷の砕ける音が、小気味好く聞こえる。
かな子は見ているだけで、お腹と頭が痛くなりそうだった。
大きな口と大きな牙で勢いよく噛み潰す姿に、かな子はもしかして、鬼だからあれぐらいは問題ないのだろうか、と思ったその時、黒元はうっと眉根を寄せて、右手を額に当てた。
かき氷を一気に食べる時に生じる頭痛が来たらしい。
そして、遅れてお屋形様の顔色がいっきに悪くなった。
「……す、すこし席を立つ!」
「え!? どうなさったのですか!? お屋形様!?」
雪目の心配する声が響くが、お屋形様は何も答えず、正確には答える余裕がなく、布団から慌てて立ち上がってお腹とおしりを抑えつつ移動した。
おそらく向かった先は、トイレだろうという確信がかな子の中にはあった。
止めてあげれば良かったかもと、ちょっと後悔する。
(それにしても、昨日から、料理鬼というあやかし達、青葉君親子の二人を敬っているように見せかけて、殺しにかかってるんじゃないだろうか)
かな子の脳裏にそんな疑問がよぎって、疑いの目を雪目に向ける。
しかし、かな子の思いとは裏腹に、嘆い悲しむ雪目がお先ほどまでお屋形様が使っていた布団に涙を濡らしていた。
「ああ、またお屋形様が私の料理を最後まで召し上がらずに、お席をお立ちになってしまった……! お屋形様! ああ、お屋形様! お屋形様!」
小さく震えて泣きむせぶ雪の姿からは黒元を心配する気持ちに嘘はないように見えた。
となれば、先ほどの料理も本気でお屋形様の回復のために作ったものなのだろう。
「ゆ、雪目さん……」
あまりの嘆きように思わずかな子はか近くで膝をつき、慰めるように背を撫でた。
いつもの強気な雪目ならば、おそらくすぐにでも手をはたいてかな子を拒否しただろうが、あまりの悲しみにそれをする気力さえ湧かない。
そこに青葉も近くに寄り添った。
「雪目、泣かないで。大丈夫だよ、きっとかな子が父上を元気にしてくれるから」
青葉は疑う気持ちが微塵もない声色でそういうと、信頼しきった視線をかな子に向けた。
「ね? かな子お姉さん、父上を元気にしてくれる料理をつくってくれるよね?」
純粋無垢でいてすがるような青葉の視線が痛い。
青葉に続けて、雪目も泣き伏していた顔を上げて、まじまじとかな子を見た。
そして一瞬悔しそうに唇を噛んでから、でも意を決したように口を開く。
「貴方に、こんなことを頼むのは癪だけど、お屋形様を、どうか、お救いください」
雪目の言葉と真摯な顔に、たじろぎそうになる。
しかし、二人が本当に黒元の回復を願っていることは痛いほど伝わって、かな子は、二人を安心させるために力強く頷いた。
「うん、分かってる。もともとそのつもりだし。できる限りのことはやってみる」
かな子の言葉に二人は多少落ち着いたのか、少しばかり表情が緩む。
しかし、ふと、雪目が視線を下に下げて首をひねった。
「それにしても、いったい私の料理に何が足らぬというのでしょうか……?」
「……色々あるけど、とりあえずは温度かな」
それだけは伝えておかないとと、かな子は冷静に口にした。
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