第29話 唐突な悪意

「ただいま」


梅雨を駅まで送っていった後、僕は更なる疲労を感じながら家へ辿り着く。


あの後、梅雨を宥めるのに本当に苦労させられた。何かしらご褒美をしないと気が済まない梅雨に、膝枕+耳かきの指令を与えることでなんとか問題を解決することができた。


幸せそうな表情で耳かきをする梅雨さんだったが、それだったら最初からそういう提案をしてくれればいいのに。どうして柄にもない方向に走っては、僕とバトルを始めるんだ。


いっそのこと1回乳を揉んで男の恐ろしさを理解してもらった方が良いかもしれない、そうすれば安易に乳を差し出すこともなくなるはず。本当は決してこれっぽっちも行いたくないのだが、梅雨には必要な教育的指導である。


「おかえり、駅までご苦労様」

「……」


ダイニングへ入ると、笑顔で僕を迎え入れてくれる父さんと、表情を変えずに夕食を頬張る母さんがいた。



……この人、なんで毎回口一杯にものを入れるんだろう。父さんのご飯を雑に味わおうものなら、全力でその頬袋プッシュするからな。


「はい、ゆーくんの分」

「ありがとう父さん」


父さんからご飯の入った茶碗をもらい、僕も夕食をいただく。今日は豚肉の生姜焼き、相も変わらずお店を出しても良いくらいの美味である。


「ん?」


父さんの料理の味を噛み締めていると、母さんがずっと僕を凝視していることに気付いた。頬の膨らみを減らしながら、まったく表情を変えずこちらを見る。


恐らくは梅雨絡みだろう、梅雨を送る前にリビングにいたし。とはいえ気味が悪いことこの上ない、美味しいと思って食べてるんだよね、顔見ても全然分からないが。


1分後、ようやく口の中を空にした母さんが、お茶を飲んでから一言言った。



「……変態」



戦争の合図だった。一日の終わりに邂逅して息子に言うことがそれとは、ついに父さん争奪戦争を行う時が来たということだ。


今までは父さんに遠慮していたが、そっちがやる気ならこっちだって容赦はしねえぞクソババア!



「さっき、階段での会話が聞こえたんだって」



ちょっと待って、それだと話が違います。


父さんの補足で冷静さを取り戻す僕。階段での会話、つまり梅雨との会話だが、内容はともかく結構なボリュームでおっぱいを連呼していた。


成る程、これは形勢が悪い。話の中身なんてどうでもいい、年下の女子におっぱいと連呼している事実だけで勝てる気がしない。よくよく考えたらどんな状況だこれ。


「おっぱい言ってるだけで変態とか、どんだけウブなのやら」


とりあえず負け惜しみ発言で御茶を濁す。「でも変態でしょ」と返されたら何も言えないが、母さんに何も返せない方が嫌なので仕方がない。大丈夫、よっぽど不利になったら父さんに助けてもらうから。


「ウブじゃないし。お父さんといっぱい経験済みだし」


一体何を言ってるんだこの親は。息子に言うことじゃないって何度言っても伝わらない、父さんが可哀想である。


「ゆーくん、最近放課後はお友達と勉強してるんだよね。今日は梅雨ちゃんの番だったのかな?」


そして案の上、びっくりするくらい急激に話題を転換する父さん。ホントにウチの母親が何度も何度も迷惑掛けて申し訳ない限りでございます。


「梅雨は若干イレギュラーだったけどね、学校ではそんな感じ」


当然僕は話に乗る。おっぱい戦争から話が外れたのだ、ここは父さんが作った波に乗っていく以外ないだろう。



「友達……? いるの?」



本日二度目の戦争である。しかも今回はこちらが有利な戦い。この僕をナメ腐った表情(無表情)を完膚なきまでにたたき直すタイミングがきたようだ。


「いますけど? それなりにいますけど? 母さんと違って」

「私もいるし」

「ですわババアだけだろ」


ですわババア(本名忘れた)というのは、母さん唯一の高校時代の友達である。母さんは見ての通りの性格なので父さん以外とまともに交流していなかったが、ですわババアだけとは今になっても交流がある。ちなみに僕はあまり好きじゃない、僕のことを可愛いという奴はみんな敵だ。


「量より質だし」

「友達のこと質って言ってる時点でたかが知れてる」

「うっさい変態」


ぐっ、そこに戻られると古傷が痛んでしまうが、これは上手く返せなかった母さんの逃亡と言えるのではなかろうか。


僕の返答が悔しかったのか、母さんは机の上のご飯とおかずをリビングのテーブルへ移すと、父さんをつれて移動してしまった。


文字通りの逃亡、僕の完全勝利である。こんなに気持ちよい勝利は久しぶりだ、豚の生姜焼きがいつもの3倍は美味しい。そしてありがとう父さん、友達の話題に代えてくれて。父さんのファインプレーなくして得られなかった勝利だ。


「それにしても、ゆーくんに沢山お友達ができてお父さん嬉しいよ」


リビングの方から、僕に声をかけてくる父さん。


そうなのだ。少し前だったら、友達の話など家族とすることはできなかった。何故なら、僕に友達がいなかったから。


中学時代もいなかったし、高校に入ってからも僕は友達としてあいつらと接していたわけじゃない。友達だと思うようになったのは今年の夏休みに入るまで、それまでの僕の態度は決して良いものではなかった。



――――僕は恵まれている。



ありのままで生活して、僕なんかを友達だと思ってくれている奴らがいるのは幸運でしかない。中学の時のようにずっと1人でいる可能性もあったわけだし、今のこの状況を信じられないのは僕自身だ。それくらい、僕は恵まれているのだ。



「……ののの方が友達力高いし」



母の負け惜しみを肴に、僕は夕食を愉しむ。



そう、僕は恵まれていた。自身の望む平穏とは離れていっているが、周りの騒がしさに慣れつつある今は、そんなに悪いとは感じていない。



だからこそ、忘れていた。平和な世界の中で完結していたからこそ、僕の頭から抜け落ちていた。






『廣 瀬 雪 矢 は 犯 罪 者』






廣瀬雪矢という人物は、そんな張り紙が学校中に貼り付けられるくらいに、嫌われているという現実を。

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