第52話 お願い事
こんなにも、心が揺さぶられる数日間はあっただろうか。
体育祭という大きなイベントに関わっていたとはいえ、ここまで感情の起伏が激しくなることはなかったと思う。少なくとも、去年の体育祭では感じ得なかったことだ。
理由は分かっている。
その感情に名前を付けることができないからだ。出会ったことのない気持ちに整理ができていないから、ここまで自分は狂わせられている。これが空腹だとか睡魔だとか、原因が分かっているなら対策を講じて落ち着ける。対策ができないからこそ、ぐちゃぐちゃになっている心をまとめることができない。
でなければあの瞬間。誰よりも大声で喜びを表現したかったあの瞬間に。
『僕たちの勝ちだコンニャロオオオオオ!!』
声を押し殺して泣いてしまうなんてことが、あるはずがないのだ。
―*―
体育祭の閉会式が終わり、テントの片付けとキャンプファイヤーの準備をしていると、あることに気付く。
いつの間にか目で追ってしまう存在が、校庭の中から居なくなっていた。
まさか帰ってしまったのだろうか、通常ならばあり得ないが、その可能性もあると思わされるのが彼である。
騎馬戦が終わった後も、心の整理が出来ていなかったせいでまともな会話ができずに終わっている。その後も競技が続いて話す機会がなかったため、キャンプファイヤーが始まったら声をかけようと思っていた。
今日のうちに話したい、後でラインでやり取りなんて嫌だ。
「晴華ちゃん、どうかした?」
急いで彼を捜すべきかと悩んでいたら、親友である美晴が心配そうに声をかけてきた。
「うん、ユッキーどこに行ったのかなって」
「雪矢君なら校舎の方に向かっていったよ」
「ホント?」
「騎馬戦後にいろんな人に声掛けられてたからね、うんざりしたんじゃないかな」
確かに雪矢は、雨竜と対決をした後に黄団のメンバーだけでなく、いろんな生徒たちから声をかけられていた。遠巻きで見る限りまったく乗り気じゃないのが彼らしかったが、人が集まってきてしまうのも無理はないと思う。
「でもしょうがないよね、騎馬戦の雪矢君格好良かったし」
「……うん」
美晴の言うとおり、雨竜と戦う雪矢の姿はとても精悍で男らしかった。最初の攻防戦もしかり、後半のトリッキーな攻撃もしかり、見ている人間は終始熱い展開に心を動かされた。その結果本当に雨竜の鉢巻を奪って見せたのだから、会場のボルテージが上がってしまうのも当然の帰結だろう。
「落ち着いたら、校舎向かってみたら?」
「えっ?」
穏やかな微笑みを浮かべる親友が、軽く校舎の方を指差す。
「騎馬戦終わってから雪矢君と話せてないでしょ? 校舎だったらゆっくり話せると思うよ」
「ユッキー……早く帰ったりしないかな」
「大丈夫じゃないかな、雪矢君だって晴華ちゃんと話せないまま帰りたくないだろうし」
「うん、そうだったらいいな」
「その前に晴華ちゃんは足の治療が先、養護テントに行ってください」
「あはは、ミハちゃんの目はごまかせないかぁ」
綱引き、団選抜リレーを経て、晴華の足はボロボロになっていた。アドレナリンが切れてきた今は、ジワジワと痛みが増してきている。
「そもそも声をかけた理由がそれだから」
「まったく、ミハちゃんには敵いませんなあ。でもいつもありがとう、心配してくれて」
「ううん、こんなことくらいしかしてあげられないから」
美晴は謙遜するが、こんなこともできない人は山ほど居る。こういった気配りができるからこそ、美晴は多くの人間を虜にすることができるのだ。自分も含めて。
「じゃあちょっくら、足の治療に行ってきます!」
「いってらっしゃい」
美晴の向けて敬礼してから、晴華は養護テントへ向かう。
彼女との会話で気は紛れた、雪矢と話す準備もできた。
ただ、自分を惑わせる感情の正体は未だ不明のままだった。
―*―
「やっと見つけた」
雪矢を見つけたのは、キャンプファイヤーが始まって15分後くらいであった。
足の治療をしたら校舎へ向かおうと思っていたのだが、来賓の方々に応援合戦の件で声をかけられ、思い切り時間をロスしてしまった。そのままキャンプファイヤーも始まって生徒たちからも声をかけられて抜け出すのに時間がかかったのである。
これで雪矢が帰っていたら泣いてしまいそうだったが、見つけることができて心の底から安堵した。
「どうした、今キャンプファイヤー中だろ?」
「そっくりそのままお言葉返すけど」
「僕があの輪の中で踊るように見えるか」
「あはは、全然見えない」
会ったら何を話そう、どんな風に話そうと柄にもなく緊張していたのに、実際話しているとそんな不安は一瞬で吹き飛んでしまう。繕うことに意味なんてない、彼と話すといつもそう思わされる。
「そういえば足大丈夫なのか?」
「うん、さっき養護テントで治療してもらったから!」
「そりゃよかった」
ぶっきらぼうな振る舞いなのに、最初の話題が足の心配というのが嬉しい。自分が何度あしらわれても雪矢と会話をしたかったのは、こういう面があることを知っていたからだと思う。照れ屋な彼は、そんな自分を否定するんだろうけど。
「で、最初の質問に戻るわけだが」
「キャンプファイヤーより、ユッキーとの会話を優先したくて」
「奇遇だな、僕もお前と話したかったところだ」
騎馬戦の件を清算できていないのだから雪矢がそう返答してくれるのは予想できていたが、話したいと言われるのは嬉しいものである。自分はいつも、雪矢に鬱陶しく思われている側だったから。
「悪かったな騎馬戦、無効試合って言われちまった」
だが、会話の内容は予想外だった。雪矢は申し訳なさそうに晴華に向けて頭を下げる。
「こっちもルールの範囲内で対策を立てたつもりだったんだがまさかあそこまで怒られるとは、勝利を豪語しておいて情けない話――――」
「何言ってるの!?」
自分を卑下する雪矢の発言に黙っていられず口を挟む晴華。そんな話をしたくて雪矢に会いにきたわけじゃない。
「ユッキーの勝ちだよ! 誰がどう見たってそう言うよ! 少なくともあたしは、あんなに砂だらけになって頑張ったユッキーが負けたなんて思ってない!!」
雪矢からすれば教師を諫められなかった点を負けとして扱っているのかもしれないが、生徒同士の戦いに教師の判定なんて関係ない。雪矢がルールを破っていたならいざ知らず、あくまで与えられた条件の中で雨竜の鉢巻を奪ったのだ。
だから、晴華がしたかったのはこんな話ではない。
「だからあたしは、ちゃんとお礼を言いたかったの。ありがとうユッキー、あたしのワガママに付き合ってくれて。あたしの想いを背負って戦ってくれて。それで最後に、ウルルンに勝ってくれて」
始まりは自分のワガママから。体育祭の中で、雨竜と戦って勝ちたいという気持ちから。最初は二人三脚の予定だったけど、自分のポカで参加を辞退することになる。それを騎馬戦へ変更してくれたことも、その中に自分を混ぜてくれたことも、間違いなく雪矢の優しさだった。
兄の件も含め、この優しさに自分はどれだけ救われたことか。それが当たり前になっている彼には、きっと分からないのだろうけど。
「そうか。お前がそう言ってくれるなら、泥だらけになった甲斐はあったんだな」
そう言ってくすぐったそうに笑う雪矢に、胸が締め付けられそうになる。落ち着け、一旦この気持ちにはフタをする。理解できていないことに振り回される前に、やりたいことがある。
「うん、ユッキーは頑張った。騎馬戦なんて時間ない中の大健闘だからね」
「そう言われると僕ヤバいな、天才なのかもしれない」
妙にしんみりとした空気になったからか、雪矢の軽口が心地よかった。案外、そういう雰囲気を察して口にする言葉を考えてるのかもしれない。さすがにそれは考え過ぎかもしれない。
ただ、そのおかげで言いたいことが言いやすくなった。
「だからユッキーにご褒美上げようと思って」
「ご褒美?」
「ほら、その、ウルルンに勝ちたいって言ったときに、あたし言ったでしょ?」
さすがに言いながら恥ずかしくなって、言葉が途切れ途切れになってしまう。明確なことは言ってないが、雪矢は察したようだ。
「いや、あれは二人三脚の話だろ? それを僕が棄権したせいで話は終わってたはずだが」
「違うよ。あたしはウルルンに勝てたらって話をしてるから、二人三脚も騎馬戦も関係ないよ」
これに関しては本当である。晴華にとって重要なのは何で勝つかではなく、雨竜に勝つかどうかである。そして雪矢はそれを達成したのだから、褒美をもらう権利がある。
だからこそそういう提案をしたのだが、雪矢は少し間を置いてから目を細めた。
「馬鹿だなお前、こちとらそんなことなくなったと思ってたんだから言わなきゃ良かったのに」
「だ、だって、ユッキーは約束守ったのにあたしが破るわけには……」
「なんだ、そんなに胸揉まれたかったのか?」
「うっ……!」
そこまで直接的な表現をされてしまうと、提案している自分の方がイヤらしいみたいで顔が熱くなる。
名誉のために言うならばそんなことをされたいとは思っていない、雪矢ならそういった下世話な提案はしてこないというところから切り出したのが始まりである。
ただ、今の自分は、少しくらい嫌な思いをしても雪矢のために何かをしてあげたいという気持ちの方が強かった。
ここまで雪矢の世話になっておいて何もせずに終わるというのは自分の中で納得できない、だからこそ自分は覚悟を決めてこの場所に来たのだ。
「や、約束は守るから。あたしが言い出したことだもん」
「そうか」
雪矢は少しだけ考え込むように腕を組む。何を思案しているか分からないが、晴華の心臓はそれはもうひどく鳴っていた。
雪矢と会えたのが2人きりのときでよかった。こんな話は2人きりじゃなきゃできないし、その先のことも2人きりでなければできなかっただろう。
そういう意味では今泉と別れたのは怪我の功名である。別れる前だったならこの状況そのものに罪悪感を募らせること請け合いだった。つくづく自分の考えなしの思考回路に反省させられる。
「じゃあ、早速いいか?」
「う、うん!」
雪矢からの声掛けで、心臓の鼓動がスピードを上げる。バスケの試合をフルで出場した後よりも動いている気がする。
そんな不安と少々の恐怖に気持ちを揺さぶられていると、雪矢が優しい表情で自分の頭を差していることに気付いた。
「そのポニーテール、解いてみてくれないか?」
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