第53話 普通じゃない気持ち


「えっ……?」


思考が凍ってしまうほどに、予想の外から飛んできた言葉だった。晴華は口を半開きにしたまま固まってしまう。


「お前の乳も捨てがたかったけどな、僕にとってはこっちが優先だ」


雪矢は晴華の疑問を紐解くように理由を説明していく。


「お前がトレードマークを自称してたが、確かにポニーテール以外のお前を見たことがない。勉強合宿で温泉入った後もまとめてたし、あの感じだと美晴たちもポニーテールじゃないお前を知らないんじゃないかと思ってな。だったら僕が最初にポニーテールを解いた姿を見たい、それだけだ」

「……」


雪矢の言っていたことは当たっていた。


ポニーテールは幼い頃の習慣で、その髪型が彼女にとっての普通だった。それが普通になってしまったせいで、普通じゃない姿を見せることに抵抗を覚えていた。だから修学旅行でもこの前の勉強合宿でも、分かりやすく解いてしまったことはない。髪を洗った後はすぐにまとめていつも通り、これくらい徹底していた。


だからこそ、的確にそこを要求されたことに戸惑いを隠せずにいたのだ。


「ユッキー、1つだけ聞いていい?」


ただ、ポニーテールを解くことを要求されたことで、新たな疑問が生じてしまう。


「今の話を聞く限り、あたしの髪型のことはずっと気になってたってことだよね?」

「まあそうだな」

「なんで今まで言ってこなかったの? やましいことでもないし、普通にお願いするくらいできそうなのに、どうしてこのご褒美のタイミングだったの?」


雪矢にはポニーテールを引っ張らせろだとか引っこ抜くだとかふざけて言われていたことはあったが、解いて欲しいと言われたことは1度もない。気になっていたことをぶつけず何も言わないでいるのは雪矢らしくなく、違和感があった。


それに髪型を変えるだなんてそこまで難易度の高い要求ではない。日常の中で言われてもなんらおかしくないのに、どうしてご褒美としてぶつけようと思ったのか。


「そう言われると確かに、普通に言ってみればよかったのかもしれないな」


雪矢は、晴華の真っ直ぐな瞳を受け、そう前置きをする。


どこかありきたりな返答に少々拍子抜けしてしまう晴華だったが、



「ただ、僕にはその髪型への拘りが『普通』で流していいように思えなかった。簡単に触れちゃいけない、『特別』なものに感じたんだ」



後から付け加えられた雪矢の言葉が、どこまでも自分の中へ土足で入り込んでくる雪矢の考え方が、不意をつくように晴華の心を揺さぶった。



「美晴は清掃するときに髪型変えるし、真宵も運動するときはまとめるからな。そういう気安さみたいなものをお前から感じなかったというか、すまん、言ってること伝わってるか?」

「……うん、伝わってる」



たかが髪型、されど髪型。自分の中で固まっている信念を軽々しく触れられるのは良いものではない。


それを朧気ながらに理解していたからこそ、雪矢はご褒美という形でポニーテールを解くことを要求してきたのだ。


もしかすると雪矢は、最初から胸を触るつもりなどなかったのかもしれない。受け入れがたい内容を始めに口にすることで、それより幾分も易しい今の内容を通したかった可能性がある。


ああもう。雪矢のことはいつも自分が振り回していると思っていたのに、いつの間にか自分が振り回されている。これだけ感情が上下に動いて騒がしいというのに、それも悪い気がしないというのだから重症だ。


「で、早速解いた姿を見せて欲しいんだが」

「ユッキーこそいいんだね、後からやっぱり変更って言っても遅いからね」

「うーむ、そう言われると揺らいでしまう自分がいるが、まあ大丈夫だろう」

「なんで?」

「絶対に損しない自信があるからな、特別版晴華が見られるんだし」


廣瀬雪矢は遠慮を知らない。思ったことは口にするし、その際にオブラートに包むような真似はしない、おべっかとは無縁の人間であるが、だからこそ晴華は裏表のない雪矢に好意を感じているのだと思う。


しかしながら、今はその雪矢に、本音を漏らして欲しくないと思う。


いつもと違う髪型、髪を下ろした自分の姿にまったく自信を持てていない。それもそのはず、家族以外の人間にその姿を晒すのは初めてなのだから。


期待をしている雪矢に失望されたらどうしよう、そう思うとなかなか手が進んでくれない。でも、ご褒美の話をしたのは自分で、今更別の内容に変えて欲しいとは言うこともできない。自分にとってどれだけ特別でも、やることは髪留めを解くだけである。


「ユッキー、ちょっと目を閉じてもらっていい?」

「了解」


ずっと見られたままだと緊張するので、雪矢に目を閉じてもらってから髪留めに手をかける。


まとめていた髪が重力に引っ張られて下に落ちる。学校という公共の場でポニーテールを解いたことにドキドキしながら、手櫛で髪を整える。鏡がなくてもどかしいが、少しでもまともに見えるように油断はしない。


それが終わると心の問題。大きく深呼吸をして、何を言われても笑って返せるように準備する。


大丈夫、ここまで備えれば何の問題もない。後は雪矢に「いつもと違う」と当たり前の感想を受けて、笑って終わればいい。それで、ずっと収まらない胸の鼓動ともおさらばである。


「目、開けていいよ」

「ん」


そう言うや否や、全身が僅かに震え出す。覚悟は出来ていたはずなのに、いざ見られるとなるとやはり自信なんて持てない。雪矢に見られるということが、こんなにも緊張することだとは思わなかった。



「ん、やっぱりな」



雪矢の第一声が聞こえる。右手で左手首を掴みながら軽く俯いていたが、ゆっくりと目線を上げる。


雪矢がどんな表情をしているか、恐る恐る窺うと、腕を組みながら満足そうに頷く彼の姿が映った。




「思った通り、髪を下ろすと大人っぽくて3倍は綺麗に見えるな。こっちの姿も自信持っていいぞ、僕が保証する」




無邪気な笑顔で、グッと右手の親指を上げる仕草に心を奪われる。窓から映り込む明るい火の光など、彼と比べれば背景も同然だった。



やっと、ようやく気付いてしまう。



聞き慣れたはずの『綺麗』という言葉に、どうしてこうも心が昂ぶってしまうのか。



たかだがポニーテールを解いた姿を見せるだけなのに、あそこまで緊張してしまっていたのか。



友だちという何より望んだ関係に、どうして疑問を感じるようになったのか。



これら全ての気持ちの正体に、どうして今まで気付けずにいたのか。



気付けるはずもなかった、それは間違いなく、今まで体験したことのない気持ちだったから。



恋愛感情という、自分には無縁のはずの気持ちだと、今になってようやく気付いた。



「ユッキー……」



震える声で、泣き出しそうな声で晴華は雪矢に言う。



「どうした? まさか僕の完璧なレビューにケチつけるんじゃないだろうな」

「ううん、全然違う」

「全然って、じゃあ何だよ」

「あたし、ユッキーのこと好きだ」

「へっ?」



雪矢の目が点になる。そんなちょっと抜けた姿もいとおしく感じてしまう自分がいる。



「あたしが言ったこと、聞こえなかった?」

「いや、聞こえはしたが突然どうしたのかと思って」

「ゴメン、あたしの中でも突然で。ちゃんと伝えたくて」

「そ、そうか。まあ僕もお前が好きか嫌いかって言われたら前者だが……」

「そうじゃない」

「え?」

「そうじゃないんだよユッキー」



話の流れが唐突過ぎたのか、イマイチ状況を理解できていない雪矢。『好き』という言葉も、友人としての意味合いだと解釈したのだろう。



だからこそ晴華は、今度こそ明確に、自分の気持ちが伝わるように想いを伝えた。





「ユッキーのこと、友だちとしてじゃなくて、恋愛的な意味で、好き」





溢れ出したら、全てが止まらなくなってしまった。

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