第50話 体育祭15

青八木雨竜は興奮していた。自分でも驚くくらいにテンションが上がっていた。


理由はただ一つ、悪友である廣瀬雪矢から騎馬戦で勝負を挑まれたからであった。


1年夏休み明けの実力テストで負けて以降こういった機会を窺っていた雨竜だが、雪矢本人がまったく乗り気でなかったのと、勝負事では雪矢とチームになることが多かったため、ずっと縁がないままだった。


元々男女混合二人三脚で戦うはずだったが、アクシデントでもあったのか棄権をすると言ってきた後での朗報。晴華や真宵には申し訳ないが、二人三脚のタイムを競い合うよりよっぽど燃える展開だった。


だが、幼い子どものように心を弾ませられた時間はなかった。


『廣瀬ってお前の金魚の糞か』

『戦うのはいいがサクッと終わらせたら次行くからな、こっちのエースの時間を割く作戦かもしれねえし』


優勝を狙う先輩方の反応は淡泊だった。廣瀬雪矢に一切の脅威を感じないのか、それとも青八木雨竜を信頼しているのか、いずれにせよ雪矢のことを路傍の石のようにしか感じていないようだ。


『……金魚の糞は俺なんだけどな』

『何か言ったか?』

『いえ、俺のワガママ聞いていただいてありがとうございます』


先輩方がどんな態度であれ、雪矢と最初に戦う許可自体はもらうことができた。後は正面切って戦うのみ。


相手には豪林寺先輩がいる。ちょっとやそっと上体が動いたからといって崩れることはない。雪矢たちは急造チームではあるが、体重の軽い雪矢を支えるのにそれほど負担はかからないだろう。少なくとも雨竜はそう思っていた。



「ぐっ!」



雪矢と楽しい攻防戦を繰り広げていると、雪矢の身体が右下に傾いた。自分の攻撃を凌ぐために激しい動きをしてきたツケが回ってきたかのように、雪矢の右足を支えていた堀本翔輝がバランスを崩して転んだ。


雪矢が落ちないように豪林寺先輩の肩に掴まる動作を見て、雨竜の中の熱が冷め始める。どう見ても頭がお留守だが、ルール上崩れかけている騎馬に突っ込むのは禁止である。


何もなかった。雪矢ならば自分の想像もつかない攻撃を仕掛けてくるかと思っていたが、真っ向から自分とやり合い、結果騎馬を崩すハメとなった。勝負を挑んできてから時間はなかったが、これが廣瀬雪矢の全力だったというのだろうか。



「青八木! 他のフォロー行くからな! この馬どうせ終わりだろ!」

「……はい」



あの状況から立て直せないことはないが、騎手である雪矢が地面に着いた瞬間に騎馬は失格。慎重に騎馬を立て直している間に時間は過ぎていくだろう。


呆気ない幕引きだったが致し方ない。自分は騎馬戦での主力、死にかけている騎馬にいつまでも構っていてはいけない。


騎馬がゆっくり向きを変える。左側へ方向転換し、味方のフォローに回ろうと動き始めた、まさにその瞬間だった。



気のせいとは思えない、とてつもなく嫌な予感が後方から漂ってきた。



―*―



「っし!」


方向転換を始める雨竜の騎馬を見て、僕が小さく声を上げた。


作戦成功。翔輝を転ばせることで、雨竜の騎馬に僕らの騎馬が『終わった』ものだと認識させることができた。それを演出するために頭を守らず豪林寺先輩に縋るポーズを見せたが、案の上雨竜は攻めてこなかった。賭けは僕の勝ちである。


雨竜たちはもう僕を見ていない。僕たちは死んだ馬、そこに意識を向けるくらいなら味方のフォローへ回った方が成果が出るだろう。


だがな雨竜、騎馬は騎手が地面に着くまで失格にならないのがルール。立て直しに時間が掛かると思っているならそれは間違い。



既に僕の身体は、豪林寺先輩のみに支えられている。



「いくぞ廣瀬!」

「はい!」



豪林寺先輩の合図で、僕の足を支える先輩の両手が下から上に挙げられる。その勢いを利用して、僕は両足を豪林寺先輩の肩に持ってくる。豪林寺先輩の両肩に両手両足を置いている状態、さすがの先輩もこの体勢で長く保つことはできない。僕だってバランスを保つのがやっとだ。


僕はここから中腰になり、僕らの左前方で足場を作っている佐伯少年の背中へジャンプした。



これが雨竜に勝つための最後の作戦。翔輝が転けたと同時に佐伯少年も豪林寺先輩と手を組むのをやめ、雨竜たちが方向転換したタイミングで僕が乗るための足場を作る。追いかけて間に合わなくなるなら、跳んでショートカットする作戦だ。



「歯ぁ食いしばれ!」

「1回くらい耐えますよ!」



着地の瞬間かなりぐらついたが、佐伯少年の根性により崩れることなく残すことができた。ここの練習がどれほど大変だったか、僕も佐伯少年も何度怪我をしかけたことか。


だがそのおかげで、雨竜の騎馬が方向を変え始めてわずかな時間、佐伯少年島にいる僕から彼らの距離はほとんど離れていない。



ここからなら、跳躍すれば雨竜の頭に手が届く。地面に着くまでは、僕の騎馬は失格にはならない。



「いっけえ!」



最後の綱渡り。佐伯少年の背中で問題なく跳躍できるか。練習では何度も失敗したそれは、驚くくらい滑らかに成功させることができた。僕の身体は雨竜の頭部を目掛けて綺麗に舞う。



「やっぱなんかあったか!」



しかしながら、騎馬自体は完全に背を向けているはずなのに、雨竜が上体を90度反らして警戒してきた。嘘だろコイツ、完全に裏を取ったのに、なんで反応できるんだよ。



僕はすでに空の上。ここからやり直すことはできない。雨竜は体勢が不十分ながらもこちらの迎撃態勢は整っている。



畜生、ここで万事休すなのかよ。



『あたしさ、ウルルンに勝ったことないんだ』

『だからさ、少しでもチャンスがあればウルルンに挑みたいの』

『ゴメンユッキー、あたしのせいで……! あんなにいっぱい練習付き合ってくれたのに……!』



ふざけるな、何を勝手に諦めてやがる。この騎馬戦で、どれだけの人間を巻き込んだと思ってるんだ。


気合いを入れろ、歯を食いしばれ。


雨竜は右手しか使えない。それを片手でいなせればもう片方の手で雨竜の鉢巻は狙える!


僕は右手でガードを作りながら、本命の左手で雨竜の頭を狙う。



「うおおおおおおおお!!」



重力に沿うな、鉢巻が耳に引っかかって取れなくなるかもしれない。中指と人差し指を使ってかちあげろ! 手首の神経が千切れようとも、この一瞬に全てを捧げろ!!



「ユッキイイイイイ!! ファイトオオオオオオ!!」



誰よりも力をくれるこの歓声に、何が何でも応えるんだ!!!




僕の左手が何かに触れた後、僕は腹から地面に落下した。落下の衝撃で痛みが走るが、今はそれどころではない。


この時点で僕の騎馬は失格、これ以上戦いに挑むことはできない。もし雨竜の鉢巻を取れていなければ、言うまでもなく僕の負け。



だが、もし雨竜の鉢巻が取れていたならば……



僕は伸びていた自分の左手を見る。



その手の中には――――――青色の鉢巻が握られていた。



「……ははっ」



乾いた笑い声が上がる。



とても騎馬戦とはいえないルールの隅を突いた戦い。厳密に言うなら失格になっている僕たちは勝ちではない、そんなことは分かっている。



でも、そんな単純なことじゃないんだ。そんな単純なことなら、誰だってあいつ相手に勝利を諦めたりしない。ここまで試行錯誤したって、本当にギリギリの戦いだった。



どこぞの馬の骨なんかじゃない、相手はあの青八木雨竜。彼への勝利を喜ばずして、いつ喜べと言うのだ。



僕はすぐさま立ち上がると、生徒たちの集まる観客席に目を向ける。



そこにいた、雨竜と戦うきっかけをくれた半身に向けて思い切り青の鉢巻を持った拳を差し出した。



「僕たちの勝ちだコンニャロオオオオオ!!」



溢れ出た僕のこの上ない咆哮。



青団と黄団の騎馬戦はまだ終わっていないというのに、大きな歓声が校庭の中に響き渡るのだった。

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