第39話 体育祭4

晴華を見逃さないようスタートしたはずだったが、父兄の人混みに紛れて姿が見えなくなってしまう。


だが関係ない、ここまでくればあいつの行き先の心当たりは保健室のみ。治療中の晴華と鉢合わせて言い訳をできない状況にする。そうと決まれば校舎の中へ一直線。



……そう思ったところで、足が止まる。



本当にそうだろうか。あいつの性格上、僕らへの隠し事を養護教諭には話してるなんてことがあるだろうか。怪我の深さ次第では参加を止められる可能性もあるのに、応急処置をするためにわざわざ保健室へ移動なんかするのか。


あいつが気兼ねなく入れて、応急処置にも困らなさそうな場所。



「体育館だ」



僕は目的地を変えてダッシュする。


体育館には、保健室に寄らずに治療できるよう部で救急箱を常備していると聞いたことがある。体育館がホームである晴華は当然それを知っているだろうし、今なら体育館に人がいるはずもない。絶好の応急処置のスポットだった。


生徒玄関からではなく、校舎を迂回して体育館を目指す。すぐに校庭に戻ることを考えたら、行儀良く靴を履き替えるなんて時間はない。第二体育館を結ぶ第一体育館の扉から中へ入る。


「ビンゴ」


本来施錠されているはずの第一体育館の扉が僅かに開いていた。急いで扉をこじ開け中の様子を見ると、すぐ脇で驚いたような視線を送っている美少女の存在を発見した。


「えっ、ユッキー?」


壁を背もたれに一休みしていた晴華。とぼけたような声色とは打って変わって、左手で救急箱を、右手で自身の足を隠そうとする。


僕は彼女の問いかけに答えることなく体育館の中へ入り、彼女の制止を聞かずに隠した右足を見た。


「これは……」


思わず唾を飲み込んでしまう。晴華の足首は、分かりやすく深刻さを伝えるように青黒く腫れ上がっていた。捻挫、だと思うのだがここまでおぞましくなるものだろうか。


「み、見た目ほど大したことはないんだよ? さっきの100メートル走見てたでしょ、ぶっちぎりだったんだから!」


晴華の中で作戦を切り替えたのか、隠すのを止めて怪我の軽度を主張する。それでもこの状況を見られた動揺からか、声が僅かに震えていた。


「大したことないならどうしてここに来た?」

「そ、それは、万が一のことがあったら団のみんなに迷惑が掛かるし」

「少なくとも、万が一を想定してしまう程度には痛みがあるということだな?」

「そ、そういう言い方はズルいよ」

「ズルい奴に合わせてズルい言い方をしているだけだ」


そう言って僕は、晴華の右足首に軽く触れた。


「っ!」


晴華の表情が苦痛で歪む。圧力を掛けたわけでもないのに、尋常じゃない痛がり方。これが軽傷のはずがない。



『うん。お願いね』



晴華の親友の、信頼しきった笑顔が一瞬過ぎる。晴華を何より心配する彼女の期待を裏切れるほど、どうやら僕はやんちゃできないらしい。


「ユッキー、あたしの足のこと先生に言ったりしないよね?」


僕の沈黙が不安を煽ったのか、晴華は表情を曇らせて問いかける。


「本当に大丈夫だから! これくらい部活をやってたら慣れっこだし、何よりあたしが棄権したらいろんな人に迷惑かけちゃう!」


その通り、僕の指令もあって晴華は可能な限り競技に参加する。団体競技にもそれなりに出るため、足の怪我で休んだとなったら連携的にも黄団は打撃を食らうだろう。


「何を勝手に慌ててる? 僕がいつそんなことを言った?」

「えっ?」


慌てふためく晴華に対し、僕はあくまで冷静に対処する。


「自分で参加を表明した以上、足が千切れても貢献しろ。それこそ僕がダメと言ったところで先輩方が納得できないだろ」

「そ、そうだよね」


暗くなっていた顔色に明るさが増す晴華。否定的なことを言われると思っていたのだろう、声のトーンも少しずつ上がっていく。


体育祭は団体戦、美晴の頼みがあったとしても、本人の意思を無視してできることは限られてくる。こうなったら意地でも晴華には踏ん張ってもらわなくてはならない。




「ただ、二人三脚だけは棄権する」




その代わり、僕にできることだけは力の限りで全うする。それが再度目の前の少女を曇らせることになったとしても。



「な、なんで?」

「なんでって、二人三脚の勝利でもらえる点数なんてたかが知れてる。これの勝敗が団の勝敗に直結はしない」

「そうじゃなくて!!」



体育館内に響くような悲痛な叫び。それほどまでに晴華の声色からは訴えかけてくるものがあった。



「二人三脚はウルルンとの勝負の場なんだよ!? あたしからすれば他の競技よりよっぽど大事で! それなのに、なんでユッキーはそんなこと言うの!?」

「どうせあいつに勝てないからだ」

「え……」



熱を込めて質問してくる晴華に対し、僕は残酷に言い放った。その瞬間、燃え上がっていた晴華の闘志が鎮火し始める。


「僕は運動を技術だけでなんとかできると思ったことはない。天才と呼ばれた人間が本番で失敗するさまを何度も見てるからだ」

「……」

「僕とお前、二人三脚の技術はそれなりに高いと思う。それこそ雨竜たちにだって負けないって自負できる程度には練習を積んできたつもりだ」

「……うん、あたしも」

「でも、最後の1週間の過ごし方が良くなかった。お前と気持ちを通わせることができないまま、率直に言うなら不信感が募ったまま今日を迎えた。そしてお前の怪我が発覚する。はっきり言って、僕はどういうモチベーションで二人三脚に臨めば良いか整理できてない。この状況で雨竜に勝てる気がしない」


晴華の瞳がじんわりと湿り始める。僕が思う事実を叩きつけることで堪えることができなくなったようだ。


「……悪かった」

「なんで、ユッキーが謝るの?」

「お前に他の競技に出るよう促したのが僕だからだ。晴華の出る種目が二人三脚だけなら、お前は僕に怪我のことを伝えられたかもしれない。治療に専念して今日を迎えられたかもしれない」

「そんなこと、分かんないよぉ……!」


瞼のダムが決壊する。僕の謝罪が、晴華の罪意識を加速させてしまった。


「ゴメンユッキー、あたしのせいで……! あんなにいっぱい練習付き合ってくれたのに……!」

「それは気にするな。なかなか悪くない経験だった、それなりに眼福だったし」

「うう、ユッキーの気遣いが辛い……!」


おちゃらけてお茶を濁そうにも、晴華はかなり気落ちしているようで前向きな言葉が何一つ出てこない。これでは他の競技に参加したところで大した戦力にならないかもしれない。



……仕方ない。二人三脚の棄権を提案しようと思っていたときから考えていたこと、実行に移そう。


正直言ってやるつもりはなかったが、それで目の前の友だちが元気になる可能性があるなら、やってみる価値はあるというもの。


「おい。あんまり辛気くさい顔ばっかりするな、こっちのやる気が削がれるだろう」


沈み込む晴華の頭にチョップを入れた。頭を押さえた彼女は、少し拗ねたように呟く。


「だって、ユッキーに思い切り迷惑掛けちゃったし、あれだけ放送で盛り上げてくれたのに棄権だなんて」

「知らん。体育祭なんて他にいくらでも盛り上がるところがあるんだ、生徒の個人戦に執着するやつなんて放っておけ」

「はあ、ユッキーはホント強いなぁ」


溜息をついた晴華は、折り曲げた膝に頬を寄せて軽く足を抱く。


「ウルルンとの決着も来年までお預けになったし。あたしのせいとはいえやっぱり悔しいな」


ついに出た本音。僕への謝罪も本心だろうが、彼女にとってこれこそが1番の心残りなのだろう。



だからこそ僕も、覚悟を決めて言わなければならない。



「勝手に終わらせるんじゃねえ、終わったのは雨竜との二人三脚での戦いだ」

「えっ?」



ポカンとした晴華は、僕の言葉を未だ飲み込めていないようだ。気持ちは分かる、僕自身言うつもりではなかった言葉だ。



それを今、はっきりと晴華に対してぶつける。




「他の競技で僕が雨竜に勝つ。お前の無念を晴らしてやる」




勝算などまるでない、無謀な挑戦が始まろうとしていた。

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