第33話 コミュニケーション
「はあ……」
力なく隣を歩く美少女が、あからさまに大きな溜息をつく。
「失礼なやつだな、そんなに僕が信用できないか」
「そうじゃないよ、ユッキーのことは信頼してるけどお兄ちゃんと会ってもなぁ」
「それ聞くの3回目だ。そんなことよりサンダル履けよ」
現在晴華は、ミュールサンダルを片手に持ってアスファルトの上を素足で歩いている。家が近いからといって非常に行儀が悪い。
「だってこれ走りづらいんだもん、今日転けたって話したでしょ?」
「歩けば良いだろ、これだからスポーツ好きのじゃじゃ馬は」
「でも、これ履いちゃうとユッキーの身長抜いちゃい……」
「そのまま歩け。幼い頃を想起して駆け回るのも良いことだろう」
晴華から不穏なフレーズが聞こえたので被せて完全消去を試みる。靴というのは機能性を重視するべきであって、踵を強引にあげるものではありません。
「着いたよ」
話しながら歩くこと数分、廣瀬家と同程度の門構えの家へ到着する。表札には神代、間違いなく晴華の家である。青八木家を知っているせいか、普通の建物を見ると妙に安心してしまう。
「お兄ちゃん、まともに取り合ってくれなかったらゴメンね?」
早速討ち入りに行こうとしたところで、表情を暗くした晴華が改まって謝罪する。
「それは何回も聞いた、その上で大丈夫だって言ってる」
「その自信の根拠が分からないんだって」
「お前が味方、それじゃ根拠にならないか?」
「勿論ユッキーの味方でいるつもりだけど」
「ホントだな? 兄妹の情に絆されたりしないな?」
「……しない、ユッキーを信じるって決めたから」
「だったら絶対コミュニケーションは取れる、僕に任せておけ」
「……うん」
そう言って、チャイムは鳴らさず玄関の扉の方へと向かう。晴華の話が本当なら、兄君は玄関で待ち構えているはず。チャイムを鳴らさずとも、扉をノックするだけで充分だ。
軽く深呼吸をする。緊張はしていないが、ノルマを考えると少し慎重にもなる。
さっきから晴華のアホっぽい元気姿を見ていない。その一端が晴華の兄君にあるというなら、僕はここで退くわけにはいかない。
晴華の元気と未来を取り戻す、そのために僕は来たんだ。
コンコンとドアを鳴らすと、少しして家の中からガサゴソという音が聞こえた。靴を履いているのだろうと思ったところで、目の前のドアがゆっくり開いた。
「晴華おかえり! もう、こんなに遅いと心配する……」
陽気な声と共に現れたのは、晴華と同じ栗色の髪の毛を携えた若い青年。大学生と思われるその容姿は言わずもがな完璧で、神代晴華の兄と言われれば納得しか抱かない。
「……誰だ?」
僕の存在を認知した瞬間、声のトーンが格段に下がる。バリバリの敵意を向けてくる相手に、僕は嫌味のない笑顔を向けた。
「初めまして、晴華さんの友人の廣瀬雪矢と申します」
軽く頭を下げてから顔を上げるが、兄君の目に僕は既に映っていなかった。
「晴華、早く家に入りなさい」
兄君は僕を無視して僕の後ろに居る晴華へ声を掛ける。こういう展開は予想できてた、だから僕が晴華の前を立って先導したのだ。
「まったく、近くとはいえ公園で時間潰しすぎだぞ?」
「……入らないよ?」
弱々しい声が僕の身体を射貫く。上出来だ、ここで晴華が家に入ろうものならドアを閉められて終わってしまう。兄君が強引な手段に出る前に僕が先手を打つ。
「今日の晴華さん、彼氏とデート行ってたって知ってました?」
「はっ!!?」
あまりに衝撃的な内容だったのだろう、兄君は僕を無視しきれず強く反応した。
「相手は学校の先輩ですね、今は大学に通ってますけど」
「そ、そうなのか晴華?」
「う、うん」
僕があっさり今泉さんのことを伝えると思わなかったのだろう、晴華も少なからず狼狽えているようだった。
仕方あるまい、お前が各々に望む関係は、隠し事をしていては始まらないのだから。
「いつからだ、彼氏が居たのって」
「今年の1月からだけど……」
「そんなに前!? どうして俺に何も言ってくれないんだ!?」
「っ……!」
兄君の厳しい言葉を受け、何も言えずに身を震わせる晴華。以前電話口から聞いていた2人の会話はもっとフレンドリーだった、つまり男が絡んでしまうとこうなるのだろう。
どうして何も言わない、そんな質問とうに答えは出てしまっている。
「言えるわけないですよ、自分を信用してくれていない相手なんかに」
「……何?」
強く鋭い眼差しが僕に向けられる。よし、これであからさまに避けられるようなことはないはず。第一ステップはクリアだ。
「悪いが君には聞いてない、誰だか知らないがさっさと帰ってくれ」
「それがそうもいかないんですよ、あなたの代わりに相談を受けた身としては」
僕は兄君からの反論が来る前に言葉を続ける。
「晴華さんは邪な関係を作ってるわけじゃない、本来なら普通にあなたにも話せる内容だ。でも、男が絡んでいるというだけで聞く耳を持たないんじゃ話せるわけがない。話したところで、何にも信用してくれないんだから」
「勝手なことを言うな。俺は妹を信用している、ただ周りの男共を一切信用していないだけだ。晴華に群がろうとする男に碌な奴なんていない、だから排除してるに過ぎない」
「成る程、そういうことなら同感です。晴華さんは学校でも絶大な人気を誇りますからね、あなたの心配は尤もで否定する余地はないです」
「はっ、だったら君は何が言いたいんだ?」
「晴華さんに群がった人は排除しても、晴華さんから寄り添った相手については聞いてあげましょうよ」
兄君は面食らったように僕を見る。
「あなたの信頼する晴華さんが友だちと呼ぶ相手ですよ、排除するにもどういう人間なのか聞いていいじゃないですか? そうはいっても晴華さんも抜けてますからね、話を聞いた上でも信用ならないならその時にしっかり言えば良い。それくらいの余地がなければ、晴華さんからあなたに話せることなんて何もないですよ」
「……黙れ、さっきから奇麗事をつらつらと」
今までよりさらに低い声で兄君は語る。
「幼い頃に晴華はな、誘拐されそうになったことがあるんだよ」
初めて聞いた情報に、僕の思考が一瞬凍る。
「近くの公園でよく遊んでくれてたおじちゃんでな、晴華だって懐いてた。そんなやつが、急変して晴華を連れて行こうとしたんだ。一緒に遊んでた少年たちはビビって晴華を助けようともしない、助かったのは偶然警官がパトロールしていたから」
「……」
「家に帰ってから、滝のように涙を流す妹を見て俺は決めた。何が何でも妹を守り抜くと、あんな辛い思いは2度とさせるもんかと」
「お兄ちゃん……」
「だから君が何を言おうと俺は曲げん、俺には俺の信念がある」
過去の出来事、それに伴う決意。それが兄君の極端な行動に繋がっていた。
悪い人ではないと思っていたが、本当に悪い人ではなかった。ここで兄君の本音が聞けたのは、今後晴華がどう接していくかを考える上でも大きい。仮にこのまま会話が終わっても、進展を迎える可能性は十分にある。
しかしながら、視野が狭くなっていることだけは指摘をしてあげなければならない。
「それ、今の晴華さんを見て言ってますか?」
兄君は、僕の質問の意図が汲み取れていないようだった。怪訝そうに僕を見つめている。
「幼い頃の晴華さんに対しての行動としては正解だと思います。自衛をできる年齢じゃないし、トラウマを考慮しても間違っているとは思えない。でも、今の晴華さんにそこまで必要ですか?」
当時のことなど知るよしもないが、少なくとも今の晴華は兄君との関係を窮屈に感じている。そこに大きなズレがあるのに誰も矯正しようとしてこなかった、ひとえにコミュニケーションが不足しているから。
「友だちは多くて、支えてくれる人はたくさんいます。男友だちもいますけど、厄介な状況になったと聞いたことはありません。今の晴華さんはそれくらいしっかりしていて、自衛だってできるんですよ」
少々どころかかなり盛った。厄介な状況云々は僕の耳に入っていないだけかもしれないし、晴華をしっかりしてると定義するなら陽嶺高校はしっかり者だらけである。
だが趣旨はそこじゃない。幼い頃と状況が違うということ、それを伝えるのに兄君へ安心感を与えるのは大切だ。
「いきなり考え方を一新しろだなんて言いません、そんな簡単に曲げられるものならあなたも晴華さんも苦労してない。でも晴華さんはいろんなことをあなたと話せることを望んでいます、隠し事なんてしなくていい関係を。だろ?」
「……うん、お兄ちゃんともっと普通に話せるようになりたい」
晴華の切実な気持ちが兄君へと向けられる。きっと兄君は今まで普通に話せていたつもりなのだろう、だからお互いの『普通』をすりあわせていかなければならない。
「お兄ちゃんが誘拐の件であたしを守ってくれてること、本当に嬉しかった。それがなかったら、今のあたしはなかったと思う」
「晴華……」
「でもね、だからこそ今のあたしをちゃんと見て欲しい。お兄ちゃんのおかげで笑顔で進めてるあたしを見て欲しいんだ」
晴華の表情の変化を見て、僕は終わったのだと確信する。これ以上よそ者である僕が言ってやれることはない。後は当人たちで解決していかなければならないが、晴華の晴れ渡った表情を見る限り問題ないだろう。
「じゃあ僕帰るんで」
兄君に軽く頭を下げ、後ろに居た晴華を一瞥してから道路へと向かっていく。僕に任せろと豪語した割に神代兄妹任せになってしまった。なかなか上手くはいかないものだ。
「ちょっと待った!」
颯爽と帰ろうとしたところを引き留めたのは、先程まで帰れとうるさかった兄君だった。
「なんでしょうか?」
「君、名前は?」
おかしいな、最初に名乗ったはずなんだが。本当に僕に興味がなかったんだな。
「廣瀬雪矢です、晴華さんとは同じ陽嶺高校の友だちです」
「……本当か?」
えっ、友だちなの疑われてる? いや、ここまで介入してくる人間が赤の他人の方が恐ろしいと思うのだが。
兄君の質問の意図を測りかねていると、実に真面目なトーンで兄君は言った。
「実は君が晴華の彼氏ってことはないか?」
「はっ?」
「ちょ!」
重ねられた兄君の問いに、僕以上に晴華が反応した。気持ちは分かる、この人唐突に何言ってんねん。
「一緒に来たときから怪しいと思ってたんだがこう考えるといろいろ腑に落ちる。交際を認めて欲しくて俺に歩み寄ったといったところか」
「全然違うから! 一旦落ち着いて!」
「今日の出来事は感謝しても交際を認めるかは別の話だ! そう易々とウチの妹をくれてやるものか!」
「お願いもうやめて~」
顔を真っ赤にして止めに入る晴華と、毅然とした態度で僕を指差す兄君。男関係以前にそもそも話を聞かない人なんだな、これは妹も苦労するわけだ。
「ただの友だちですよ、疚しいことなんてありません。妹の彼氏はベラボーにイケメンなので、一緒にされると立場ないですよ」
余計な火種をつけて、僕はさっさと帰ることにした。兄君は内心穏やかじゃないだろうが、この後別れるらしいので安心してください。
「ユッキー! 今日はホントにありがとー!!」
見ててうるさいくらいに両手で手を振る晴華に軽く会釈してから、今度こそ僕は帰路につく。
父さんには既に謝罪の連絡は入れてある。時刻は現在21時、家に着く頃には22時、ミッションコンプリートのためとはいえよろしくない時間だ。ここから真っ直ぐ帰りますので、僕は見逃してねお巡りさん。
「あっ」
しばらく歩いて大通りまで出たところで、自分の発言を少し省みる。
『疚しいことなんてありません』
晴華との例の約束、あれは疚しくないってことでいいな。うん、そうしよう。
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