第30話 夏休み、茶道部14

「あっ」


ようやく空が薄暗くなってきた頃、父さんから連絡が入った。どうやら迎えに来てくれたようだ。目的地を教えたのが今日の昼前だったから少し心配だったが、杞憂だったらしい。


僕は法さんと並んで食事をしている戸村先生の元へ向かう。


「廣瀬さん、どうしました?」

「いえ、父が迎えに来たので帰ろうと思って」

「そうですか」


戸村先生は持っていた箸と小皿をテーブルに置き、僕と目を合わせる。


「どうでしたか、茶道部の合宿は?」


表情を変えないまま、どこか僕を試すように尋ねる戸村先生。何を訊きたいか分からないが、僕とて繕った返答をするつもりはない。


「はい、とても刺激になりました」


そう前置きしてから、僕は話を続ける。


「茶道部の合宿って何するんだと思ってたんですが、普段の部活動では養えないものを得られた気がします。後は合宿独特の空気感というやつですかね、いつもの和やかさより真剣みが伝わってきて僕も身が入りました。良い経験をさせてもらったと思います」


出雲から電話が掛かってきて、どこか流されるままに参加した合宿だったが、先程口にしたとおり参加して良かったと思う。自分たちの夏休みを削ってまで行う意義を充分に感じた。場所がお寺だからというわけではない、あの熱量ならどこでも同じ感想を抱いたことだろう。


願わくば最後まで体験してみたかったが、家庭の事情はどうしようもない。そう僕が思えたことが何よりの成果だ。


「私も、廣瀬さんに対する印象が変わりました」

「はい?」

「団体行動、ちゃんとできるんですね」

「うっ」


痛いところを突かれ、思わず唸ってしまう。今までの素行や学校行事を見ていれば当然の指摘なのだが。


「そういう懸念があり、今日一日は特に目を光らせていました。私の実家とはいえ公共の場、問題が起きてからでは遅いですからね」

「ごもっともです」

「ですが、今日の貴方は部員同様に真面目な姿勢を貫いていました。それどころか部員たちに指導する部分も見られました」

「指導なんて大層なものじゃないですよ」

「自身の考えを持って人に説くというのは簡単ではありません。万人を納得させるというなら尚のことです」


隣にいた法さんが先生の言葉に軽く頷いた。住職として働くこの人にも思うところはあるのかもしれない。


「そういう意味では、貴方は人の上に立つ素質があるんです。私としてはその素質を伸ばすように心掛けてほしい」

「…………」

「まずは学校行事、真剣に取り組んでみましょう。夏休みが明ければ体育祭に学園祭があります。そこで貴方のリーダーシップが発揮されることを期待しています」


そう言って、戸村先生は少しだけ頬を緩ませた。この人のことを知ってから初めて見た笑顔だった。


自分を嫌っていると思っていた先生がこうも温かい言葉を掛けてくれる、これだけ光栄なことはない。本来ならそれに報いるよう行動を起こすべきなのだろう。



「先生――――それは無理です」



しかしながら、僕は廣瀬雪矢なのである。どれだけ優しく諭してくれようとも、無理難題を突破する気力は沸かない。叶わない夢を抱くほど尊大ではない。


「陽嶺高校には僕よりリーダーシップを発揮できる人間が山ほどいる。彼らを差し置いて僕が活躍するなんてあり得ないことだ」


例え先生が評価してくれようとも、僕にとっての現実はこうだ。クラスには雨竜や出雲がいるし、学年なら晴華もいる。僕が入り込む隙なんてどこにもない。


だからこそ、そんな立ち位置は彼らに任せてしまえばいい。


「僕は僕にやれることを全力でやります。団体行動からできるだけ外れないように努力しながら」


先生には悪いがこのスタンスを変えることはできない。団体行動を考慮できるようになっただけでも僕は成長している……と思う。


戸村先生は一度目を丸くしてから、大きく溜息をついた。機械のような立ち振る舞いの多い先生の、人間らしい姿だった。


「……まったく、いつまで貴方を指導しなければいけないのやら」

「卒業するまでですかね。先生とはそういうものですから」

「私の主体は1年生です。貴方のことなんて知りません」

「急に雑になりましたね」


僕らのやり取りを見て、法さんが声を出して笑った。それを見て、戸村先生が不機嫌そうに顔を背ける。


そんな子どもっぽい仕草を見て、やっぱりこの2人は親子なんだと微笑ましい気持ちになるのだった。



―*―



「お前ら、ホントに来るのか?」


簡単に皆へ挨拶を済ませてから帰ろうとしたところで、僕の後に着いてくる2人に声を掛ける。


「当然でしょ、合宿に誘ったのは私なんだし」

「私はその、帰り道1人だと出雲ちゃん寂しいかと思って」


そのままスルリと帰れれば良かったが、出雲と朱里が僕の両親に挨拶をすると言って聞かなかった。


「でも、この階段もう一回登ることになるんだがいいのか?」

「「うっ……!」」


2人同時に声が漏れる。出雲も朱里も苦労してこの階段を登っていたのは記憶に新しい。わざわざ父さんに挨拶するためだけに往復するのはさすがに申し訳ない。


「じょ、上等よ。茶道にだって足腰の強化は必要だし!」

「飛び交う虫たちを躱しながら敏捷性を鍛えたいので!」

「そ、そうか」


現実逃避なのか意味不明な供述をしている女子高生2人。そこまで言うならこれ以上何も言うまい、僕は階段を下り始めた。


田畑が広がる空間にポツリポツリと住宅があり、光を放っているのがやけに綺麗に見えた。こういう場所に来なかったら、光が綺麗だなんて感想は抱かなかっただろうな。夜中でもあちこち光ってる街に住んでるわけだし。


「廣瀬君、今日楽しかった?」


後ろを歩く朱里から質問される。答えなんて考えるまでもない。


「大満喫だ。良い経験をさせてもらった」

「ほ、ホント!?」

「嘘言ってどうする、僕は世辞なんて言わんぞ」

「そ、そっか!」


表情を見なくとも嬉しそうなのが伝わってくる。嘘を隠せない人間というのは顔だけじゃなくて声にも出るんだと思った。


「そ、それじゃあ、茶道部入りたくなった!?」


予想外の言葉に思わず足を止めそうになった。


「あら朱里、随分攻めるじゃない」

「だ、だって、同じ部活だったら一緒に居られる時間が増えるわけで」

「ちょっと、ただでさえ暑いんだから周りの気温上げないでくれる?」

「そんな力私にないよ!?」


僕が言葉を発する前に、後方で漫才が始まる。


「で、どうなの実際?」


割って返答してやるべきかと考えていたところで、出雲からパスがやってきた。朱里の息を呑む声が聞こえたが、嘘偽りない本心を伝えることにする。


「悪いが、相撲部のオリエンテーリングより心は惹かれなかったな」


茶道部は楽しそうだし部員とも顔なじみ、僕にとっても悪い場所にはならないだろう。


だが、荒みきっていた僕の心に入り込んできた豪林寺先輩の四股には及ばない。先輩からは興味がある部活があれば辞めていいと言われているが、そう簡単に先輩との居場所を無くすつもりはない。


「こここちらこそごめんなさい! 廣瀬君が相撲部辞めた方が良いと思ったわけじゃなく!」


とはいえ厳しい言い方かと思っていたが、朱里は別の心配で混乱していた。間接的に相撲部を辞めろと言ってしまったことを悔いているようだ。


「心配せずとも分かってる、お前こそいちいち気にするなよ」

「う、うん」

「朱里のはただの下心だものね、雪矢と居たいだけの」

「うう……」


シリアスな雰囲気は流れていったが、ある意味僕が触れづらい話題に切り替わっている。出雲め、朱里をからかうためとはいえ空気を乱しよって。


言おうか一瞬迷ったが、こんなことで気まずくなっても仕方ない。向けられている好意を知らない振りするのは僕としても避けたい。


「なあ朱里、そんな回りくどい方法取らなくていいぞ」

「えっ?」

「部活にかこつけて会う必要はない。用があるなら連絡よこせ、僕が暇なら会えばいいだろ」

「い、いいの?」

「そんな遠慮してたらお前のことなんて忘れるぞ、ラインのやり取りで満足ならそれでいいが」

「ノー満足ノー満足! そしたらすぐまた誘います!」

「ん」


階段を下りながらのやり取りで良かったとホッとする。面と向かってだとどんな顔をすれば良いか分からないからな。


「随分とVIP待遇だけど、梅雨ちゃんはいいの?」

「同じ事を言うだけだ。あいつ受験生だから僕としては遠慮したいが」

「なーんだ、朱里が特別ってわけじゃないのね」

「特別にできるかどうかのために僕だって動いてる。それ以上を望むなら僕の心を動かすことだ」

「上から目線だけど、先に惚れちゃった以上しょうがないことね」


何やら考え込む朱里の代わりに返答してくる出雲。コイツには朱里のことより自分のことを優先して考えてもらいたいものだが。


「梅雨ちゃんって廣瀬君のお父さんと会ってるんですよね?」

「まあそうだな」

「だったら今日で、イーブンって感じですか?」

「分からん。父さんと梅雨はライン交換してるし」

「「はい!?」」


驚くのも無理ないが足元が覚束なくなるので大声は止めてください。2人とも僕らが驚くほどのコミュ力の持ち主なので。


「梅雨ちゃん、外堀から埋める作戦なのかしら?」

「でも、廣瀬君を攻略しなきゃ根本的な解決にはならないんじゃ」

「攻略って」


2人の会話を聞かないようにしながら歩くこと数分、ようやく下まで降りることができた。駐車場にはここへ来る時に来たバスは居なくなっており、代わりに小さな4人乗りの車が停まっていた。


僕らに気付くと、運転席から背の高いスラッとした男性が姿を現した。言わずもがな我が最愛の父である。


「お疲れ様ゆーくん、合宿楽しかった?」

「楽しかったよ、というかこんなところまで来てもらってゴメンね」

「いいよいいよ。お母さんとのドライブ楽しかったし」


ちっ母さんめ、やはり来ていたか。こんな時間に家を出る父さんを1人で待っていられるわけなどないのだが、助手席から出てくる気はないらしい。


「ゆーくん、こちらの2人は?」


父さんは、僕の後ろに並ぶ2人へ目を向ける。


「ああ、今日合宿に誘ってくれた茶道部員の2人だよ」


正確には出雲だけだが、説明するのが面倒なので割愛する。そう言って2人に目を向けると、分かりやすく表情が強張っていた。なんだ此奴ら、緊張しているのか。


「あれ、君は委員長さんかな? 去年の学園祭でお見かけしたけど」

「は、はい! 御園出雲です! 雪矢君とは今年も同じクラスです!」

「そうなんだ。ゆーくんちょっと癖あるけど優しい子だから、仲良くしてあげてね」

「はい!」

「ちょ、ちょっと父さん」


いかん、父さんの悪いところが出てしまっている。一言で言うなら「親バカ」、凄く嬉しいけど同時に恥ずかしくなるから勘弁してほしい。


「そちらは……」

「桐田朱里と言います! 廣瀬君とはクラスは違いますが、仲は良いと思います!」


何だその自己紹介は、とツッコミそうになったが、父さんは嬉しそうにニコニコ笑う。


「ありがとう、ゆーくんと仲良くしてくれて」

「いえいえそんな! こちらこそ身に余る光栄でして!」

「ゆーくん、すごく慕われてるね」

「彼女、テンパるとちょっと語彙が怪しくなるんだ」


僕の的確なフォローに父さんも「成る程」と言葉を紡ぐ。よし、もういいだろう。これ以上父さんの親バカが発動する前に解散しなければ。


「あ、あの!」


そう思っていたのだが、朱里が父さんへ一言声を掛けた。何を話すつもりだろうかと警戒していると、朱里は頭を下げながら自分のスマホを前に差し出した。



「ラインIDを教えていただけないでしょうか!?」

「なんでやねん」



父さんは特に驚いた様子もなく、いつものように笑顔で朱里とラインの交換を行った。残念ながら、僕のツッコミは夏の闇の中へ消えていってしまった。


「今日はお迎えありがとうございました!」

「こちらこそ、また機会があれば誘ってあげてくださいね」

「「はい!」」


それを最後に、僕と父さんは車の中へ乗り込んだ。椅子に座った瞬間一気に疲労が込み上げてくる、気を抜けば一瞬で眠れそうだ。


「……誰?」


車が発進すると、助手席で空気と化していた母さんが話を振ってきた。なんだ、起きてたのか。


「ゆーくんのお友だち、可愛い女の子だったよ」


父さんの声が嬉しそうに弾む。僕の友だちを紹介する機会なんてずっとなかったわけだし、本当に喜んでくれているのだろう。



「……浮気?」



しかしながら、人の心を持たない我が母は、びっくりするくらい見当違いのことを言った。まったく、口を開けば周りを凍らせる毒を吐きよって。


「恋愛のれの字も知らない人が浮気を語らないでくれ」

「……知ってますが? 結婚してるんですが?」

「恋人になる前に結婚してるって聞いてるんだけど?」

「……お父さん、反論して」

「えっ、ここで?」

「ちょ自分で説明しろよ! 父さんを頼るな!」

「うるさい雪矢、車内ではお静かに」

「だ・れ・の・せ・い・だ、誰の!」


身体は疲れているのに、母さんとのやり取りのせいで目だけは冴えてしまう始末。今日一日よりこの瞬間の方が精神的に疲労している気がする。大きく溜息をつくと、父さんが「寝てて大丈夫だよ」と言ってくれた。これぞ廣瀬家の癒し。



こうして僕の茶道部合宿体験記は幕を閉じた。

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