第29話 夏休み、茶道部13

戸村先生による巻き込み事故に憤慨しながらも、昼食の時間は終わりを告げる。


食事自体は文句の付け所はなかったが、先生とのやり取りのせいでまったく身体は休まらなかった。


『この服装の感想を聞いてたつもりでしたが』という返しのせいで、ジャージエプロンの批評をしなければならなくなった僕。


無難な回答よりアホっぽい返答を求めていると思い、『ジャージが水着だったら夏っぽくて良かったですね』と攻めた結果、『廣瀬さん、水着は水辺で着るものですよ?』と真面目な顔で諭されてしまった。


そもそも根本的におかしい質問をしてきたのは戸村先生の方なのだが、僕らのやり取りを見ていた朱里が『廣瀬君、先生に水着着て欲しいんだ……!』と誤解を招く発言をし、それが茶道部内に広がってしまったのだからお手上げ。意味のない言い訳に時間を割く形になり、休憩している余裕などなかったわけだ。


まあいい。尖った返答してしまった僕にも責任はある。ここは苦い経験を得たということで手打ちにしようじゃないか。次同じ事があったら先生といえど容赦しないが。


と、個人的には慌ただしい昼休みだったわけだが、午後一発目は座学、茶道に関する知識の振り返りである。


一般的な歴史から、作法の確認、約40分ほど時間を掛けて頭の中の整理を行った。茶道部員たちも改まって勉強することではないだろうが、蔑ろにしていいものでもない。これから行う実戦に向けて、勉強し直すのは間違っていないだろう。


そしていよいよ実践。離れに備え付いている茶室に場所を移った僕らは、作法通りに中へ入り、順番に茶を点てていく。


今日お茶を点てるのは茶道部員の半数。もう半数は明日の茶道の時間にて行うようだ。


「佐伯さん、少し乱暴になっています。丁寧に落ち着いて行いましょう」

「はい!」


正座をしながら、1人1人の所作を確認する。陽嶺高校の茶道室より広く、高価な掛け軸の飾ってあるこの場所は、いつもより厳かな雰囲気を醸し出していた。お寺の中で森の空気がすぐ側で感じられるというのも影響があるかもしれない。背筋が少しだけ伸びる。


茶道部にお邪魔することはそれなりにあったが、この空気の中に身を投じたことはなかった。皆が皆ひたむきに茶道へ取り組んでいるのが分かる。ただお茶を点てて飲むだけの部なんて口が裂けても言えない。この熱量は、相撲に取り組んでいた僕と何ら変わらない。


それを実感できただけでも、この合宿に参加できた意味はあったと思った。



―*―



茶室での時間は思った以上に長かった。基本的な作法の指導以外にも、茶道で持て成される菓子の種類や知っておいた方が良い春夏秋冬の話など、茶道に関する一連のものを学習したといった感じだ。


こうも感心させられる内容を聞くと最初の座学の時間が勿体なく感じる。茶室で説明を受けていたら、もっと頭に入っていただろう。その代わり、ノートにメモなどできないわけだが。


時刻は17時半。夕方にも関わらず空は水色に光っており、夏らしい明るさを保っていた。山なので当然虫も沸いてくるわけだが、僕らは本堂から少し離れた広場に集まっていた。


理由はたった1つ、目の前に並ぶテーブルのようなコンロが全てを物語っていた。


「皆さんお疲れ様です。夕食はバーベキュー、材料の限り堪能してください」


そう、本日のプログラムをほぼほぼ消化した僕らには、素晴らしいご褒美が待っていた。まさかバーベキューにありつくことができるとは。


合宿で1番大切なのは食事であると実感する、モチベーションが上がる上がる。天まで届いちゃう。


「わあ! お肉焦げてる焦げてる!」

「というか野菜も食べなさいよ!」

「ちょっとプリン置いたの誰!? 下に漏れてるんだけど!?」


茶道部員たちの楽しそうな声を聞きながら、僕は必要最低限の物資を確保して距離を取る。


僕はあくまで部外者だからな、部員たちの食事をあんまりいただくわけにはいかない。焼きプリンだけは後で回収させていただくが。


「……ども」


そこそこ激しい女性陣たちの攻防戦を遠巻きから眺めていると意外や意外、何とも言えない表情を浮かべた佐伯少年が僕に声を掛けてきた。


「どうした? 桃源郷はあっちだぞ?」

「顔色窺うのも疲れたので小休止です」


さらっと毒を吐いてくる佐伯少年。女子に良い顔をするのに疲れたのは分かったが、勝手に僕を休憩スポットにしないでいただきたい。


「というのは冗談で、御園先輩に言われたんですよ。居づらくなったら廣瀬先輩を頼れって、そのための先輩らしいじゃないですか」

「あいつ、本人にも言ってたのか」

「部長さまの御言葉を無視するわけにもいかないですからね、体裁を整えさせてください」


ちょっと? いくら温厚な僕でもそろそろ怒っちゃうよ? 小休止やら体裁やら、もっとまともな理由で僕に接してくれないですかね。


まあいい、後輩相手に喧嘩腰になってもしょうがあるまい。僕らしく穏やかな心を以て接してやろうではないか。


「今日の合宿はどうだったんだ、随分楽しそうに見えたが」

「楽しいですね。男子の目もないですからいろいろ気にせず女子と話せますし」


今日散々聞いてきた佐伯節。悪びれた様子は一切ない。爽やかオーラを発散しながらこんなことを考えているのだから恐ろしい。


「ただ、今日に限っては嫌なこともあったんですが」

「嫌なこと?」


気になるワードだった。ここから佐伯楽園劇場が開幕すると思っていただけに若干不意を突かれてしまう。すっかり合宿を満喫していたと思ったが、そうではないらしい。


「ん?」


返答を待っていると、佐伯少年がジト目で僕を見ていることに気付いた。僕が首を傾げると、諦めたように大きく息を吐く。



「今日、何回あんたが話題に上がったかって話ですよ」



佐伯少年によると、僕が今日来ているせいか、3回に1回は僕の話題で会話が盛り上がっていたらしい。僕は茶道部に何度も邪魔しているから会話のネタにされてもおかしくはないのだが、佐伯少年はそれが気に入らないようだった。


「青八木先輩で経験したことをまさかここで体感するとは思いませんでした」

「久しぶりに僕が来たからそうなっただけで、気にする必要はないがな」

「そういう無自覚っぽい人間の方が何してくるか分からない怖さがあるんですよ」

「はあ」


雨竜とのトラウマでも再燃したのか、僕相手でさえ警戒を怠らない佐伯少年。何だろうな、彼はどうでも良い事に頭を悩ませすぎだ。


「佐伯少年よ」

「何ですか?」

「勝手に相手をでかくして、卑屈になるのは止めた方が良い」


佐伯少年は、不意を突かれたように目を見開いた。


「そりゃ雨竜は完璧人間だが、女子の猛アタックに狼狽したり兄弟の中で肩身が狭かったりする。つつけばあいつだってだらしないところの1つや2つあるもんだ。そう考えれば、意外と身近に感じるものだろ?」

「まあ、それは……」

「後はその点を全力でなじってやればいい。直接言えないなら、心の中でマウントを取ってやれ。今の後ろ向きな考え方より多少はマシになるだろ」


優秀すぎる相手を普通の視点で見たって何の面白みもない。劣等感を抱いて暗くなるくらいなら、根拠もない自信で上を取りに行った方がよっぽど有意義だ。


まっ、これも僕の持論に過ぎないが。


「……先輩は、青八木先輩にマウント取れるんですか?」

「知らん。本来雨竜に勝とうっていうのが馬鹿げてるからな」

「ちょっと、僕を慰めたいんじゃないんですか?」

「アホか。僕は調子に乗ってるお前が見たいだけだ。雨竜なんて気にしてないで楽園に目を向けろ」


そう言うと、佐伯少年は口元に手を当てて小さく笑い始めた。「意味分かんねえ……」とボソリと呟いてから、スッキリした表情で僕を見る。


「ありがとうございます。思ったより参考になりました」

「思ったよりは余計だ」

「僕はこれから青八木先輩も廣瀬先輩も見下して過ごせってことですよね?」

「随分と曲解された気がするが、それくらいの気持ちは持って良いだろ」

「了解です。これ以上先輩と話しててもしょうがないので向こうに行きます」


相変わらず余計な一言を付ける佐伯少年。女子たちのもとへ向かおうと数歩歩いて、振り返った。


「もし」

「もし?」

「先輩が青八木先輩に勝ちたいって思ったら言ってください。協力してぶっ倒しましょう」


そうだけ言って、佐伯少年は何食わぬ顔で輪の中へ入っていった。



……何だ今の。僕に対して終始舐めた態度を取っていた彼が、最後に少しだけ歩み寄ってきたような気がする。


僕マターで主体性がないのは気になるが、雨竜相手に一矢報いたいと思えてるのは良いことだろう。



……ただ、僕が雨竜に勝ちたいと思う事なんて早々ないからあんまり意味がないんだけどな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る