第28話 夏休み、茶道部12

それから少しだけ休憩を取ったのち、本堂で横一列に座らされた茶道部一同。


その前に立つ法さんの手元には、警策と呼ばれる細長い棒があった。


この場所でこの状況、どんなに鈍くてもこれから行われることが理解できる。


「今から30分、皆さんには座禅をしてもらいたいと思います」


もはや一部活の合宿からガチの修業へと活動が進化しているが、そんなことは正直どうでもいい。


座禅、おふざけの一環で家にいるときに試してみたことがあるが、まさか本物の住職さんの前で体験することができるとは。


「座り方や姿勢は自由で構いません。ただし、後ろから見て雑念を感じる方がいらっしゃったら――――」


そう言って法さんは、警策で木の床を弾くように叩いた。気持ちの良い音が辺りに霧散し、茶道部員たちの表情に緊張が走る。


「と、いった感じに喝を入れさせていただきます。それほど強くは叩きませんのでご安心ください」


優しい笑顔でその場を収めようとする法さんだが、先程響いた音があまりにも強烈だったようで、少なくとも1年の中にリラックスできているものはいない。そんなに叩かれるのが嫌なのだろうか、僕はむしろ叩いて欲しいのだが。貴重な経験にもなるし。


「なあ朱里」


周りが座り方を模索している間に、僕は隣にいる朱里に声を掛ける。


「ん? どうかした?」

「座禅って去年もしてたのか?」

「うん、初めて言われるとびっくりしちゃうよね」

「いや、酢豚にパイナップルが入ってる時の方がびっくりしたぞ」

「私と会話する気がないのかな?」


何故だか笑顔で凄まれた。僕、何か悪いことをしただろうか。


「そうじゃなくて、去年は誰か喝入れられたのか?」


実演までして茶道部員たちに混乱の渦を巻き起こす法さんだが、実際はこの緊張感を作りたかっただけという可能性もある。真偽を知るなら去年の経験者に質問するのが1番だろう。


「うん、先輩が1回ね。でもあれ、周りにいる私たちも驚いちゃうから経験してるようなものかな」

「成る程、なんとかして僕を叩いてもらえないだろうか」

「えっ、今私に質問してる?」

「他に誰がいるんだよ」

「うーんと、身体を揺らして雑念があるように見せるとか?」

「ふざけるな、座禅は集中して行うものだぞ」

「廣瀬君は理不尽って言葉を知ってるかな?」


朱里の僕を見る目が僅かに冷ややかになった。説教する師に向かって挑戦的な態度だな、しかし僕の第六感が「悪いのは君」と訴えかけてくる。そんな馬鹿な。


「……というか廣瀬君、そういう趣味あるの?」


反抗期到来中の僕の弟子は、妙に落ち着かない様子で視線を送ってきた。先程までの圧は何だったのか。


「趣味? 趣味って何だ?」

「えっと、その、叩かれて喜ぶっていうか……」

「ああそれ。そりゃ喜ぶだろ、(警策の喝なんて貴重な体験だし)」

「え、ええ!?」

「叩かれることで新たな自分を見つけられるかもしれないし、(寺院独特な空気感だと尚更な)」

「あ、あ、新たな自分……!」

「……なあ、大丈夫か?」


ほんの数回のやり取りのうちに、顔を真っ赤にして両頬を押さえる朱里。相変わらず全身から忙しさを滲みだしているわけだが、原因がさっぱり分からん。今の会話のどこに興奮する要素があったんだ。


「だ、大丈夫です。頑張って覚えます!」

「はあ……」


僕の心配に応えてくれたようだが、益々状況が分からなくなる始末。何を覚えるというんだ、寺院だけに念仏でも暗記する気か。


随分無茶なことをするものだと思っていると、朱里が瞳を潤ませながら僕を見た。


「や、やっぱり覚えられる気がしません、普通じゃダメですか?」


混乱しているのか、丁寧口調で泣きついてくる朱里。



……この人、僕と会話する気がないのだろうか?



―*―



「はい、30分。皆さんお疲れ様です」


法さんの合図と共に、大袈裟に姿勢を崩し始める茶道部員。同じ体勢でひたすら30分、気持ちは分からないでもないが。


「廣瀬君、すごいね」


軽く身体を伸ばしていると、足を崩した朱里が感心したように僕を見る。


「何がだ?」

「だって廣瀬君、佐伯君が叩かれた時も一切動かなかったでしょ?」

「叩かれたの彼だったのか」


煩悩の塊だからな、それを察知する法さんは流石である。


「それも分からないくらい集中してたってことでしょ?」

「考え方の違いだな、この場は自分との戦いのわけだし人に構ってる余裕なんてないだけだ」

「そういうところがすごいんだけどな」


僕の回答にコクコク頷くと、「そういえば」と朱里は続けてきた。


「廣瀬君って、座禅中目を開けてたんだね」

「はっ、なんで閉じるんだよ」

「えっ、座禅中って目を閉じるものじゃないの?」

「そこまでは知らんが、集中するなら目を開けた方がいい」

「ホント? 景色とか目に入ると気にならない?」

「ならない、1点に集中しておけばな。視界を塞ぐとその分鼻や耳が過敏になるから僕には合わないんだ」

「へえ、そういう考え方もあるんだ」

「後、目を閉じて集中することに意味を感じない。人は基本目を開けて生活する生き物だからな」

「ふふ、それもそうだね」

「たかだか16年生きた僕の持論だ、吹聴して回るなよ」

「そんなことしないってば」


映画を見終えた後の感想会のように座禅を語る僕と朱里。お寺の本堂内という静謐な空間で座禅を体験できたのは嬉しかったが、叩かれなかったことが心残りだ。しかも叩かれたのが佐伯少年だなんて、何とも言えない悔しさが込み上げてくる。座禅力が高すぎるというのも考え物である。


「午前中お疲れ様でした、昼食ですよ」


本堂を離れて宿舎の方へ向かうと、教員用のジャージにエプロンを身につけた戸村先生が昼食の準備をしてくれていた。しばらく姿を見ていないと思っていたが、昼食を作ってくれていたのか。


和室に並べられた机の上にはそうめんが盛られたボールが3つ存在していた。脇には薬味やら小さくカットされた野菜やらハムやらの姿もあり、飽きないような工夫もされている。うーむ、よく分からんが夏合宿っぽい。


「先生、他に手伝うことないですか?」

「スイカを準備しているので、そうめんが落ち着いたら運ぶの手伝ってもらえますか?」

「分かりました」


どうやらデザートまで用意されているようで至れり尽くせりである。そりゃ戸村先生のお寺の掃除を手伝ったけど、ここまで素敵な対価をもらえるとは。せっかくだし堪能させてもらおう。


「廣瀬さん、こういうのはどうでしょうか?」


空いている場所に座ろうとしたところで、軽く手を広げた戸村先生が僕に話を振ってきた。


うむ、飛び入り参加させてもらってる身として真摯に答えるべきだろう。昼食まで準備してもらっているなら尚更だ。


「カレーライスとか豚汁とか想像してたんですがこの季節ですからね。そうめんはナイスチョイスだと思います」


元々僕は世辞なんて滅多に言うことはない。思ったことを思ったままに伝える、これが僕。


そういうわけで戸村先生の対応力に賞賛を述べたわけだが、彼女は不思議そうに首を捻ってしまう。


あれ、もしかして外した? ナイスチョイスが現代文の先生には引っかからなかったか、いとをかしと言うべきだった。あかん、それは古文だ。


そんな後悔に苛まれる僕を見て、戸村先生は静かに言った。



「予想外ですね、この服装の感想を聞いてたつもりでしたが」



教師が生徒にそんなアホなこと聞くんじゃねえよ!!



この昼食を経験し、ようやく僕は「戸村先生はコメディ寛容」という疑念を受け入れることができた。

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