第24話 夏休み、茶道部8

出雲は、親友である朱里の気持ちを知っている。雨竜に恋しているままでないことを知っている。そうでなければ、勉強合宿での諍いは起こっていないだろう。


とはいえ、出雲はこんな風に他人の恋愛に悪ノリするタイプだっただろうか。真面目一辺倒の彼女を知っている分、違和感が半端ない。僕が合宿に参加するのを隠すと言ったときもそうだが、エンタメ方向に舵を切ってるように思えてしまう。


まあそれをとやかく言うつもりはないが、僕が巻き込まれるとなると話は別だ。


再度目線を朱里に向けると、その場で小刻みに震えていた。頬をほんのり赤らめ、瞳は潤っているように思う。間違いなく図星のリアクションだ。


大丈夫かこれ、いきなり泣いたり叫んだりしないよな? というかこの状況、後輩たちは怪しまないのか? 今は楽しく雑談している声が聞こえるが、時間が経てば流石に目に付くぞ。



「……そうですけど?」



このままではまずいと思ったが、意外にも拗ねたような声が出雲に向けられた。


泣きそうだった表情が一変、むすっとした面持ちで出雲を見ている。


「なので出雲ちゃんがどいてくれたら嬉しいんですが?」


ワザとらしく語尾を上げ、希望を口にする朱里。これには出雲も驚いたようで、表情が固まっている。ここまで感情をストレートに表現するとは思わなかったのだろう。


「……思ってたのと違うけど、まあいっか」


出雲は軽く自分の頬を搔くと、立ち上がってその場から離れた。狭い車内の中強引に朱里の後ろを取ると、彼女の背中を押して僕の隣につれてくる。


「よいしょ」

「ひゃ!」


最後の仕上げと言わんばかりに朱里の背中を思い切り押し出す出雲。おかげでバランスを崩した朱里を支えるハメになってしまった。


「それじゃ、後は若いお2人でごゆっくり~」

「同い年だろうが」


どこかで聞いたような言葉を残して、出雲はバスの入り口付近に腰を下ろした。下車するときに皆を確認できる位置、最初からそこへ座るつもりだったようだ。


「大丈夫か?」


倒れそうになった朱里に一声掛けると、彼女の顔が真っ赤になっていることに気付く。


「て、てて、ててて!」

「ててて?」


唐突に不思議な擬音を漏らす朱里。夏の暑さにやられ、モールス信号でも発したのかと思ったが、彼女の視線の先を見てようやく気付いた。


「あっ」


僕の右手が、思い切り朱里の胸部を支えていた。前のめりになった彼女を助けようと瞬時に動いた結果、とてもデリケートな箇所に触れてしまったようだ。


意識をすると、確かな重量感が僕の右手に伝わってくる。そういえば朱里って、着やせするタイプだったな。


と、冷静に分析している時間はない。こんなところを誰かに見られては最悪お縄につくことになってしまう。


手を離そうとしたが、朱里のバランスが崩れたままなので、離そうとした方向に身体も寄ってきて意味がない。彼女の体勢を戻さなくては状況を打破できないだろう。


そういうわけで、僕は左手で朱里の右肩を支えながら両手で朱里を押し上げた。加速度が上向きになった瞬間に両手を離すと、ようやく朱里がよろけながらも隣に座ることができた。


「すまん」

「い、いいの気にしないで! 元はといえば出雲ちゃんが悪いんだし!」

「確かに」


アクシデントとはいえ彼女の胸に触れてしまったのは事実。素直に謝罪の弁を述べるが、よくよく考えれば出雲が朱里を押したのが全ての原因である。


「僕はまったく悪くないじゃないか、思い切り謝り損だ」

「そ、そこまで気にされないとそれはそれで複雑だけど……」

「なんだ、胸の感触覚えてればいいのか?」

「ごめんなさい嘘です今すぐ忘れてください!」

「お、おう」


冗談で言った言葉に、勢いよく謝罪をぶつけてくる朱里。さすがに言い方が良くなかったな、ってなんで僕がここまで気を遣わなくてはならないのか。御園出雲め、許すまじだぞ。


「心配しなくてもほとんど覚えてない。お前に指摘されてようやく気付いたくらいだしな」


少々癪だが、僕が朱里に触れてしまったのは事実。僕なりにフォローを入れておくべきだろう。


「……」


そういった思いで紡がれた僕の言葉に、朱里は反応するでもなく俯いていた。


何故だ、嘘を言ったと思われたのだろうか。そりゃ100%覚えてないと言えば嘘になるが、指を動かしたわけでもないし感触を堪能したつもりはない。あくまで紳士的に対応した自負はあるが、それさえも気に入らないと言われてしまえばどうしようもない。そのときは出雲に怒ってもらう他ないが、僕は無罪だし。


「……だよね?」

「へっ?」


どうにか父さんを悲しませない方法を思案していると、隣からボソリと何か呟いたのが聞こえた。


唐突すぎて気の抜けた返事をしてしまうと、朱里は顔を上げ、瞳に力を込めて僕を見た。



って、私の武器なんだよね?」



全てを聞き取れたはずなのに、ますます謎が深まってしまう始末。『これ』という指示語のせいで、朱里が何を言いたいのかイマイチ理解できなかった。


僕があからさまに首を傾げていたのが分かったのだろう、朱里はじんわりと頬を染めていく。挙動不審気味で、視線の方向が定まらない。恥ずかしがる前に、もう一度丁寧に言葉を伝えてもらえないだろうか。


「……そりゃね、付き合ってもないのにこういうのは良くないと思うよ……?」


改めて言いたいことを伝えてくれるのかと思いきや、朱里は再び俯いてぶつぶつと小声で唱え始める。僕に言ってるわけではなさそうなのに、全然落ち着かないのは何故だろう。


ジワリと嫌な汗がポツリと頬から手の甲へ落ちた瞬間、まさにその瞬間だった。



「でもね! まったく覚えてもらえてないものが武器ってどうなんでしょうか!?」



お嬢さんは、それはもうバス中に響き渡る声でお怒りになりました。床に向かって、感情を爆発させております。


隣にいる僕は唖然としてしまいましたが、まあ桐田さんならこんなこともあるかなと納得してしまいました。慣れというのは恐ろしいものです。

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