第25話 夏休み、茶道部9
「桐田さん、車内ではお静かにお願いします」
「す、すみませんでした……」
朱里の気合いの入った宣誓により凍りついたバスの中だったが、先生による至極冷静な注意により朱里はあっさり我に返った。
バス移動前の挨拶時も小さく縮こまっており、大きな声を出したことを激しく後悔しているようだった。
「私は、どうしてこう、そそっかしいというか……」
部活動の合宿というそれなりに楽しそうなイベント前だというのに、正面の座席に額を乗っけてぶつぶつと念仏を唱える朱里。バスが出発し、周りはそれなりに団欒としているのに、心なしかこの周辺はどんよりとしているように見えた。外は太陽が燦々としているのに、どうしてこうも明るさが違うのか。
最初はコロコロと様子が変わる朱里を見ているのも面白かったが、いい加減飽きてきたので頭にチョップすることにした。
「いたっ!」
後頭部を押さえながら弱々しい瞳を向ける朱里に、僕は言葉を投げかける。
「暗い。辛気くさい。何よりつまらん」
「うっ……」
僕のマシンガン攻撃に苦しそうな声を上げる朱里。傷口に塩を塗ったかもしれないが、僕に配慮を望むことの方が無茶である。
「僕の隣に座ってやることがそれなら、出雲と代わって欲しいんだがな」
少しだけ煽るような言い回しをした。僕個人としては1人で悠々と目的地に向かいたいが、先程のやり取りを見てこちらの方が効果があると判断した。
「……代わらない、です!」
それが功を奏したのか、朱里は先程までとは打って変わった強い眼差しをこちらに向けた。
不思議なものだ、前向きな言葉より否定的なことを伝える方が活力を生むんだから。
「……しょうがない、まだ練習不足だけど」
再度自分に向けてぼそぼそ言葉を紡ぐ朱里。練習不足という単語が聞こえて気がしたのだが、何か芸でも行うのだろうか。
「これは、3日前の話なんですけどね」
「はい?」
ううんと喉を鳴らすと、朱里は唐突に何かを話し始めた。表情がものすごく強張っており、気楽に聞いていい話じゃない気がする。少しばかり背筋に力を入れた。
「わたくし、茶道部に所属しておりまして、夏休みながら学校へ向かった訳なんですよ」
「へえ、茶道部って夏休みも活動してるのか?」
「この炎天下の中歩きたくないなあって思いながらも、歩みを進めるんですね」
あれ、今僕思い切り無視された? 茶道部所属なんて知ってるけど、というツッコミを抑え、わざわざ会話が弾みそうな質問に切り替えたのに?
そもそも微妙に様子がおかしいんだよな、話し方変だし両手合わせながらずっとモミモミしてるし。しかし、朱里に関してはこれが通常運転の場合もあるから判断が付かない。いやまあ、これが正常だとしたらそれも治療すべき項目なのかもしれないが。
「その日はたまたま、早く学校に着いたんですね。校庭から野球部の声は聞こえてくるものの、校舎内はしーんとしてまして。明るくはあるんですが、ちょっとだけ不気味なんですよねー」
「……」
「とはいえね、夏の暑さから逃れるのが先だと、あまり気にせず部室に向かってたんですよ。そしたらですね、普段なら気にならないような水の垂れる音が、トイレの前でしたんです」
「……」
「思わず足を止めたわたくしなんですが、音が聞こえるのは男子トイレの中。女のわたくしは決して入ってはいけないのですが、早朝で魔が差しちゃったんですねー、好奇心が勝っちゃったといいますか」
「……なあ」
「ポチャリポチャリと響く音に誘われ、ドアを開けた先にはなんと……!」
「おい」
「……? どうしたの?」
黙って聞いていようとも思ったのだが、話の内容のせいで強引に止めざるを得なかった。クライマックスに差し掛かり何だかノッていた朱里に問いかける。
「お前、怖い話してる?」
オチを潰し兼ねない質問をしているのは重々承知の上だが、師匠として優しさの一欠片くらい披露してやるべきだと思い立った。
はっきりいって、僕はホラーを怖いと思ったことがあまりない。急に驚かされると声は出るが、逆に言うとそのレベル。
商業で出される作品でもその程度なのに、朱里の話で自分が怖がる姿など想像が付かない。だったらオチを聞く前に止めてやるのも1つの優しさだろうと朱里を止めた訳なのだが。
「えっ、違うけど?」
ものすっごい真顔で否定された。心なしか、『えっ、大丈夫?』って見られてる気がする。嘘でしょ、この話し方でこのイントネーションでこのオノマトペで怖い話じゃない? 僕と彼女は同じ価値観を共有できているのだろうか。
「あれ、知らない? テレビでけっこう頻繁にやってるんだけど」
「いや、だから怖い話だろ?」
「違います! 芸人さんが集まってリーダーがいっぱい面のあるサイコロを振るやつ!」
「えっ、お主まさか……」
背筋がゾクッとするのを感じながら言葉を待つと、朱里は満面の笑みを向けた。
「朱里桐田の~、すべらなーい話ー!」
ええええええええええええええええええええ!!?
他の茶道部員たちに決して迷惑をかけないよう、何とか声を抑えることに成功した。思い切りその場で跳びはねたい気分だったが、勿論そのエネルギーも放出させない。
僕の弟子は、自信満々に何を話しているんだろうか。
「ふざけるな! どう考えても怖い話の導入だっただろうが!」
「だから違うってば! すべらない話だもん!」
「なら不気味とかいう言葉使うな! 水の擬音に力入れるな! 不自然に語尾を伸ばすな!」
「廣瀬君何も分かってないね! オチに向けて落差をつけるための演出だから!」
「だったら渾身のオチとやらを言ってみろよ!」
「あっ、もしかして気になっちゃった? 良いところで止めちゃったもんね?」
ああ、このドヤ顔がすごく腹立たしい。スタートは自信なさげだったのに、どうしてこうも生き生きとしているのだろうか。
「ドアを開けたら何とね、小便器上部の物置スペースにアイスの棒が乗ってたの。固形のまま残ってたのか、辺りをべちゃべちゃにして」
「……」
「しかもね、片付けようとして手に取ったらそのアイス、当たりだったの! すごくない!? そんな偶然あるって思わない!?」
「……」
「……思わない?」
「……」
「……」
「……?」
「……以上、たまには早めに学校来てみるもんだ、というお話でした」
僕は無言で朱里の頭にチョップを入れた。
「なんでチョップ!?」
「自覚あるだろ!? なんだその微妙すぎるオチは!?」
「で、でも、偶然見つけたアイスの棒が当たりだったんだよ!? 面白いよね!?」
「それ自体はな! 話自体面白くできてないだろ!?」
「だ、だって練習不足なんだもん! しょうがないよ!」
「だったらなんで今披露したんだよ……」
「だって廣瀬君がつまらんって言うから、面白いものを所望しているのかと」
「朱里さん、面白いってのは別に、笑えるって意味だけじゃないですよ?」
「……確かに」
腕を組んで頷く朱里に愕然とする僕。
まさかこんな形で怖い話を体感するとは、恐るべし天然ガール。
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