第8話 今後に向けて

「と、そんな話がしたかったわけじゃないんだった」


お互いに感謝を伝え合うと、豪林寺先輩は僕をここへ呼んだ本来の目的を話す。


「陽嶺高校の部活動なんだが、その前に引退が決まる部活を除いて、3年の1学期には部長を引き継がなくてはいけないらしい」

「あっ」


そういえばそうだ。当たり前のことだが、豪林寺先輩がずっと部長を続けるわけではないのだ。そもそも先輩が相撲部屋に行ってからまともな活動は行われていない。全員入部が必須のため、先輩の籍は相撲部にあったわけだが。


「成る程、つまりアレですか。今日僕を呼んだのは部長を僕に引き継ぐためですね?」


そういうことならば責任を持って引き受けるべきだろう。豪林寺先輩の後の部長というのはなかなかプレッシャーがあるが、僕だって何もしてこなかったわけじゃない。先輩がいない日も四股だけは踏み続けてきたんだ、足腰の強さには定評があるぞ。


「いや、違う」

「あれ?」


僕はずっこけそうになった。どう考えても僕に部長を引き継ぐ流れだった。それ以外の内容が思い付かず先輩を見ると、先輩は少し言いづらそうに宣言した。



「ワシが抜けたら、相撲部はそのまま廃部でいいかと思っとる」

「はい!?」



今日は何度先輩に驚かせられるのだろうか、僕はその度に言葉を失ってしまう。


しかしながら、先輩は冗談で言っているわけではないようだ。


「廃部って、僕が居るじゃないですか?」


というわけで、真っ先に思ったことを口にする。部活の定員の規定みたいのがあるのかもしれないが、それは来年以降の問題である。僕はとにかく、先輩の真意を知りたかった。


「お前さんはそれでいいんか?」

「えっ、それってどういう?」

「ワシの自惚れだったら忘れて欲しいんだが」


そう前置きすると、先輩は僕でも見えていない心の内を見抜いたように言った。



「お前さんは、相撲というよりはワシを気に入ってくれたからここに来てくれたんだと思っとったが」

「っ!」

「お前さんの相撲好きを疑っとるわけじゃない。ただ、ワシが正式に引退してからもモチベーションを保てるんか?」



そう言われて、はっきり自覚した。僕が部長になるということは、先輩が部活に来なくなるということだ。そんな中で、来るかも分からない新入部員を待ちながら部長を続けられるだろうか。


相撲は好きだ。先輩と出会ったおかげで好きになれた。大相撲だって見るようになった。あの場所に先輩が立つ可能性があるのだと思うと、今の内から楽しみである。


でも、自分ですることに以前ほどのやる気はない。先輩が部活に来なくなったことも大きいが、父さんに心配を掛けたくないという思いが強くなったからだ。食事も元の量に戻してもらったし、体重も戻った。根本的に向いていない現実を突きつけられたのは1つの原因だろう。


「お前さんは変に義理堅いからな、ワシに気を遣って相撲部を続けるって言い兼ねん。だが、そんな必要はない。後1年もあるんだ、相撲以外にこれからやれることを考えるのも悪くないだろ?」

「先輩……」

「今すぐ相撲部を辞めろってことじゃない、何も決まらないならずっと居れば良い。ただ、他にやりたいことができたら躊躇せず辞めていい。ワシが伝えたかったのはそれだけだ」


腕を組んで笑う豪林寺先輩を、僕は直視できなかった。


まったく、どれだけ良い人なんだこの先輩は。わざわざこんなことを言ってくれるために時間を取ってくれたっていうのか、聖人君子と言っても過言じゃないぞ。中学時代に友達が居なかったとか嘘だろ、周りの人間はどれだけ見る目がないんだか。


「ありがとうございます先輩、いろいろ考えてみます」

「おお、別に部活にこだわらんくていいぞ。友だち付き合いとか恋愛とかそういうのでも」

「恋愛……」


そう言われて、僕の頭に2人の女子の顔が浮かぶ。僕なんかを好いてくれている2人の女子の顔が。


「おっ、なんだ? お前さん恋愛でもしとるんか?」

「いや、そういうわけでは」

「隠さんと話してみぃ、相談に乗れるかもしれんだろ?」


すごく親身な言葉だが、その表情はとてもにやついていた。


「……話を聞きたいだけですよね?」

「そりゃそうだろ、お前さんの浮いた話なんて今まで聞いたことないんだから」

「……」

「そんな目をするな。相談に乗れるかもって言うのは本心だぞ?」


僕はしばらく唸っていたが、根負けしたように息を大きく吐いた。


「心配するな、ワシは口が固い」

「そんな心配してませんよ」


ただ、自分の状況を誰かに話してみたいという気持ちはあった。父さんでもいいけど、僕に寄った意見では意味がない。そう言う意味では、豪林寺先輩は話す相手として適任かもしれない。


「その、名前は伏せさせてもらうんですが」


そう前置きし、僕は自分の状況を先輩に説明した。


2人の女子に告白されていること。どっちの返事も保留にしていること。保留にしているのはいいものの、どうすれば良いか答えを出せていないこと。



「はああ!? お前さん、女子に告られたんか!?」

「ちょ先輩、声が大きい!」

「しかも2人!? 2人と申したか!?」



僕の話を聞いた豪林寺先輩は、近くにあった椅子に腰をかけて天井を仰いだ。僕が怪我をしたとき以上に動揺しているように見えるのは気のせいだろうか。


「……そうか。お前さんはこちら側の人間だと思っとったが、あちら側の人間だったか……」

「あちら側……?」

「よくよく考えれば、3年でも評判のハレハレ後輩と仲が良いんだ。こちら側の人間なはずがないか……」

「いや、あいつらはまったく関係ないんですが」

「ほら、あいつらとか言ってるし。気安い関係アピールしてるし……」


アカン。豪林寺先輩が灰になりかけている。天井と意思疎通を図ろうとしてるし。そこまで衝撃的な内容だったのだろうか、相談しない方が良かったのかもしれない。


「すみません、迷惑でしたか?」


申し訳なさげに声を掛けると、ようやく先輩は覚醒したように僕と目を合わせた。


「すまんすまん、ちょっと現実逃避しとった」

「現実逃避……?」

「お前さん、あんまり良い評判を聞かんからな。自覚はあるようだからはっきり言うが」

「ああ」


先輩に言われるまでもなく理解している。僕の態度で傷ついた生徒がいることを考えれば当然だろう、今後改めなければいけないことだ。


「あっ、でも妙に騒ぎ立てる奴がおったな」

「騒ぎ立てる?」

「よく分からんが、かっぷりんぐというやつらしい。お前さんは後ろ側だとちょうどいい塩梅なんだそうだ」

「?」


先輩と一緒に首を傾げる。貴重な情報だが、何のことを言ってるか分からないので記憶から抹消する。抹消した方が良いと本能が僕に告げていた。


「おっと、話が逸れたな」


先輩は1度喉を鳴らすと、再度僕と目を合わせる。


「正直驚いたぞ。そんな状況でよく浮かれんでおれるな。ワシなら校内をスキップして回りそうだ」

「すごく見てみたい光景ですね」

「アホ、無理に決まっとるだろ」

「いたっ!」


煽ってると思われたのか、頭をチョップされる僕。


「なんで叩くんですか!?」

「お前さんがワシを馬鹿にするからだ」

「してないですよ!? 先輩だって告白されたっておかしくないです、めちゃめちゃ格好良いですし!」

「お前、眼科行った方がいいぞ?」

「本気です! 僕の格好良い人ランキングずっと2位です!」

「ちなみに1位は? 青八木か?」

「ははは、雨竜がランクインするわけないじゃないですか。僕の父さんですよ」

「お、おお。ご家族が入り込むのか……」


先輩は分かりやすく狼狽えていた。父さんが1位だとおかしいだろうか、僕からすれば一生揺るがない不動の1位なんだが。


「とりあえず、分かったことがある」


先程からいろんな表情を見せてくれた豪林寺先輩だが、1度自身の両頬を叩くと真面目な顔で僕と向き合った。


「廣瀬、お前さんは対人経験が少なすぎる」


そう言うと、先輩は少し困ったように頭を搔いた。


「前からおかしいとは思っとったがな。周りにあれだけ人がいるくせに、ワシとの交流ばっかり気にしおって。常人の思考回路じゃないぞ?」

「いやいや、普段学校にいない先輩との交流ってすごく貴重なんですよ」

「そう言っとる時点で間違っとる。普段会わない人間の優先順位なんて普通下がっていくだろ」

「そう、なんですか……?」

「少なくともワシはそう思う。よく会う人間と仲良くなって、そっちの優先順位がどんどん上がっていく。それなのにお前さんはワシを優先する。それは勿論嬉しいが、お前さんがいろんな人と交流するようになればそうはならんと思うぞ?」


僕は混乱していた。自分に対人関係が少ないのは理解していたが、こんなにも良くしてくれる先輩を優先しなくなるなんてあり得るのだろうか。


そんな風に頭を悩ませていると、先輩はその大きな手を僕の頭に乗せた。


「廣瀬、ワシはお前さんを好いてくれている女子がどんな人間か分からん。でも、お前さんにとって大切な人間になるかは接してみないと分からんぞ。だからこの夏休み、お前さんはできるだけ人と会え。会って会って会いまくれ。そうすることで、優先すべきものが少しずつ見えてくるはずだ」

「それは、当人2人じゃなくても良いんですか?」

「良いんじゃないか? 第三者と比較して見えてくる魅力ってのもあるだろうしな」


想像以上に貴重な意見をもらえた。豪林寺先輩の言う通り、僕は今まで人と接する機会を省きすぎてきた。適当に過ごしてきたと言っても良い。


だから、大事なことをはっきり決められないで保留にしてしまっている。それを解消するには、本気で人とぶつかる以外他ない。夏休みの課題、とてつもなく重要な課題だ。


「先輩、重ね重ねありがとうございます。先輩に相談して良かったです」

「気にするな。ワシは返事を保留にされとる女子たちが不憫に思っただけだからな」

「……ですね」


返す言葉もない。彼女たちが僕のせいで日々悶々とさせられているというのなら、少しでも早く解放してやるべきだ。


自分の恋愛なんてよく分からないが、分からないままでいいわけない。夏休みを経て、一歩でも前に進めたらと思う。


ちょっと前までは友達がどうので悩んでいたのに、高校生ってのは思ったより考えることが多くて大変なんだな。今まで何も考えずにオートで生きてきたせいでもあるが。


「優先順位、付けられるよう頑張ります」

「おう。ただ焦るなよ、急げとは思うが適当に返事をしろってことではないからな」

「分かってます。先輩こそ、1つ覚えといてください」

「? 何をだ?」


頭に疑問符を浮かべる先輩に、僕ははっきり言った。


「どれだけ交流しても、先輩の優先順位はそうは下がりませんから。何せ、僕の好きな人ランキング堂々の2位ですからね」


豪林寺先輩は一瞬だけ目を丸くすると、その体型に相応しく豪快に笑った。


「ちなみにだが、1位は誰だ?」

「僕の父さんです」

「くう、ご家族には勝てんな」

「さすがの先輩でもそこは無理ですね」

「機会があったら是非お会いしたいものだ」

「いつでも言ってください、先輩なら大歓迎です」


そこから長く雑談を続けた僕と先輩。時々互いにふざけながら、楽しい時間を過ごした。





そして翌日、高校生活2度目の夏休みが始まろうとしていた。

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