第28話 清算
桐田朱里は過去トップクラスに緊張していた。風通しを良くするために開かれた教室のドアを掴みながら、こっそりと中を覗く。
2年Bクラスの教室、その後方に目的の人物は居た。友人たちが彼の席に集まっており、何やら楽しげに談笑している。この状況で話し掛ければ間違いなく目立つし、何かしら噂を立てられるかもしれない。
そう思うと足が竦んでしまうが、彼女にも引くに引けない理由があった。
『とりあえず分かったが、雨竜とはちゃんと話してくれ。前も言ったが、雨竜がお前を好きになったら大変だからな』
先ほど、1度は酷く怒られた想い人にそう言われたからだ。
正直、目的の人物たる青八木雨竜にわざわざ説明せずとも自分に好意を向けられることはないと思うが、それを言い訳に有耶無耶にするのは間違っていると思う。だからこうして、雨竜のいる教室へ足を運んだのだ。
「……ふう」
胸に手を当てて深呼吸する朱里。今日は友人である御園出雲は風邪で欠席しており、頼ることはできない。快く間を取り持ってくれそうな想い人、廣瀬雪矢もこの場には居ない。彼は今、学校を抜け出して出雲のお見舞いに向かっている。
それを思うと、何だか心に余裕が生まれてきた。学校を抜け出すのに比べたら、異性に声を掛ける程度造作もないだろう。
「あ、青八木君!」
勇気を振り絞り教室に入った朱里は、足早に雨竜の元へ向かってそう言った。
雨竜とその友人たちの視線が朱里に向く。その他教室にいる生徒からも視線を送られているような気がして、内心パニックだった。
「ん? どうかした?」
「え、えっと、その」
思うように言葉が出てこない朱里。サラッと事情を話せれば人の目に晒されることなどないだろうに、こればっかりは緊張してどうにもならなかった。
「外で話そっか?」
だが、そこをすかさずフォローしたのは雨竜だった。にこやかに表情を崩して友人たちに一言言うと、朱里を助けるように教室の外へ出て行く。
初めて声を掛けられた時のことを思い出す。内気で人見知りな自分にもちゃんと目線を合わせて話してくれる。
容姿だけじゃない。学力だけじゃない。運動神経だけじゃない。彼が人気なのは、ひとえにこういった心配りができるところにあった。
「あ、ありがとうございます……」
「いいって、時間もないしすぐ話そうか」
「は、はい!」
廊下を出て少し教室から離れると、雨竜は朱里と向き合うように立った。昔だったらこんな状況、堪えきれなくて逃げ出していたかもしれない。
「その……」
2人きりになって先ほどより用件は伝えやすくなったが、今思えば本人に伝えるにはなかなかに酷い内容ではないだろうか。
そう思ったが、なあなあのまま過ごしてきた自分が悪いのも事実。自分の心が変わったことをちゃんと伝えなければ、雨竜にも雪矢にも迷惑が掛かってしまう。それは朱里にとっても望むことではない。
「ご、ごめんなさい!」
朱里は思いきり頭を下げて謝罪した。
「私、せっかく青八木君に声を掛けてもらったのに、ずっと中途半端な態度取ってました! デートに誘ってもらったのに逃げて、そういうのをまず謝らなきゃと思って……」
朱里は以前、雨竜と一緒に出掛けようとしたことがあった。ただ、意中の人との2人きりに堪えきれなくなった朱里は、出掛ける前に逃走してしまったのである。そのことを今まで、ずっと謝れずにいた。
「それと私、優しくしてもらってるのに、今は……」
そして最後に、雪矢が好きであることを伝えたい朱里。だが、雨竜が自分に優しく接してくれているのを思い出し、再び言葉に詰まってしまう。
同時に申し訳なく思う。自分から手紙を渡して振り回しておきながら心変わりしただなんてどこまで勝手なのだろうか。自分の横柄さに嫌気が差し、朱里は何だか泣きそうになってきた。
「それ以上は言わなくて大丈夫」
ぐちゃぐちゃになった心を落ち着かせてくれたのは、またも雨竜の言葉だった。
「ちゃんと知ってるから、桐田さんの今の気持ちは」
笑顔で落ち着かせようとしてくる雨竜に、朱里は感極まりそうになる。どうしてこの人は、こんなにも察しが良いのだろうか。どうしてその上で、こんなに優しくしてくれるのだろうか。
「というか律儀だね桐田さん、わざわざ言いに来なくて良かったのに」
それどころか向き合って話そうとする朱里を賞賛する雨竜。
「その、青八木君に失礼だと思って」
きっかけをくれたのは雪矢だが、話そうと思ったのは朱里が決めたことである。だから朱里は、わざわざ雪矢の名前を出しはしなかった。
「失礼ってことはないけど、少し残念ではあったよ」
「えっ……」
衝撃的な雨竜の言葉に固まる朱里。
先程から雨竜は、朱里の心変わりを気にしていた様子はなかった。だから話していく内にそもそも自分に気などなかったのだと思っていたが、雨竜から出た言葉は逆だった。
その理由を打ち明けるように、雨竜は話を続ける。
「桐田さんはさ、俺と仲良くなるために雪矢に相談したでしょ?」
「う、うん」
「そういう女子、けっこう多いんだ。それにうんざりしたからこそ、雪矢は俺に恋人を作らせたくていろいろ手伝ってるみたいだけど」
雨竜の言う通り、今現在でも雪矢を頼る女子は何人かいるように思う。だがそれが、残念という話に繋がるのだろうか。
「そういう女子たちと話すと、だいたい雪矢の悪口を言われるんだよ」
「あ――――」
「デリカシーがないとか言葉遣いが悪いとか、俺との共通の話題だと思って話してるんだろうけど、こっちとしては気分悪いことこの上ない」
確かに、朱里も初めて相談したときはついて行けないほど我が道をいっていた。ついて行けなすぎて、心を折られた程である。
でも、それでも朱里は感謝していた。初めて話した相手にも関わらずいろいろ考えてくれたこと。愚痴りたくないと言えば嘘になるが、誰かにそれをぶつけて盛り上がりたいなど考えたこともない。
「だから桐田さんの手紙、なんか嬉しくてさ。こういう人なら楽しく話せるかと思ってたから、少し残念ってこと」
雨竜の話は、少しだけ朱里を追い詰めていた。
自分にまったく関心がなければ心変わりもそこまで気にしなくて良いと思ったが、自分に少しでも可能性があったのだと知った今、それを放棄した自分が情けなく思えていた。
「ご、ごめんなさい」
改めて謝罪の言葉を述べる朱里。こんな風に言ってくれる相手に誠意を尽くさなかったのは本当に申し訳ないことだった。
「あはは、桐田さんさっきから謝ってばっかりだね」
「うっ……」
気にして怒るどころか、笑って場を和ませようとしてくれる雨竜。こんな風に雨竜とやり取りすることがあれば気持ちは残ったままだったのかなんて、意味のないことを思う。
「それに、謝らなきゃいけないことこっちにもあるし」
「えっ?」
唐突に雨竜に言われ、朱里は目を丸くする。そんなことに心当たりはなかったが、雨竜が少し楽しげに言った内容で合点がいった。
「残念だけど、桐田さんの恋のお手伝いはできないから」
「あっ――――」
「困ったことにあのハチャメチャ男が好きでしょうがない人がいて、そっちの手伝いをしてやらないと怒られそうだからさ」
「ふふっ」
そこでようやく、朱里の表情に笑顔が芽生えた。
ここからは新しい恋の話。幸せになるために一歩踏み出す話。
「私も、負けないです」
「そうしてくれると助かる、雪矢がいい感じに困ってくれそうだから」
「あはは」
そう言って顔を見合わせ笑う2人。
恋人にならずとも、雪矢の話で盛り上がることはできるのだと、朱里は笑いながら思うことができた。
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