第26話 友だち
期末試験が終わり翌週の水曜日、終礼が終わった今、僕は教室の自分の席でじっと座っていた。
やることがなかったわけではなく、御園出雲に教室で待機しているよう言われたからだ。
理由は分かっている、今日で期末試験の全教科が返ってきたからだ。成績表という形ではまだ結果発表されていないが、テストの返却はなされているため、上位陣なら自分の順位をなんとなく想定できるだろう。
特に御園出雲は、テストが返ってきた授業の後の休み時間で毎回雨竜を訪ねている。その度に僕は席を外していたが、既にどちらが勝利しているか結果は出ているはず。でなければ今のような時間を要求されることはないだろうし。
というわけで誰もいない教室で待機しているのだが、肝心の人物は茶道部の合宿の件で顧問に呼ばれたとかで席を外してしまっている。
退屈だったので先週図書室で借りた広辞苑をパラパラと読むことにした。
気になって仕方がなかった『悪友』の意味を調べたのは、期末試験1日目が終わってすぐのこと。恐る恐る開いたその項目には、こう書かれてあった。
『①つきあってためにならない友達。ともに悪いことをしたり、悪い影響を受けたりする友人をいう』
末吉どころか凶にまで浸食していることにショックを隠せなかった僕。そりゃ僕の有用性など雨竜にプレゼンしたつもりはなかったが、つきあってためにならないと思われていたのかと思うと内心穏やかではいられない。
だが、広辞苑の悪友の項目には続きがあった。
『②(親しみをこめて反語的に)仲のよい友人や遊び友達をいう』
これを見て思わず、「全然意味違うんですけど」と2回呟いた僕を誰が責められようか。
とはいえ②の台頭により僕は気力を取り戻したわけだが、問題は雨竜がどっちの意味で言ったかである。雨竜の話し方だけではそれを特定することはできなかった。
このまま1人で考え続けても分からないため、翌日の試験前に雨竜の胸ぐらを掴みながら質問させてもらったわけだが。
『悪友? そんなこと言ったっけ?』
あろうことかあの男、前日に言った言葉を覚えていないと言い張るのである。数々の英単語や公式を完璧に覚える男がそんな痴呆を拗らせることがあるだろうか。しかし雨竜はまったく取り合おうとしないため、悪友の真相は闇に葬られてしまった。
この『雨竜の記憶シンデレラ事件』により、僕の考えは改めさせられる。ボイスレコーダー、あいつはやっぱり必要だ。僕の相棒としてこれからも懐で準備していてくれ。
「ゴメン、遅くなっちゃった!」
脳内で先週の振り返りを行っていると、御園出雲が額を拭いながら教室へやってきた。
季節は夏真っ盛り、今や少し動いただけでも汗が浮かぶようになってきた。女子が薄着になることを除けば、間違いなく最悪の季節である。
御園出雲は自分の席へ向かうと、自分のカバンから紙を取り出す。自分と雨竜のテスト結果を記載した紙だと勝手に解釈した。
そういえば、御園出雲とちゃんと話すのは先週のお見舞い以来だな。試験期間は帰宅が早かったし、今週のコイツは雨竜にべったりだったし。試験結果の照らし合わせ的な意味で。
「で、どうだった?」
紙を持って僕の方へ来る御園出雲へ僕は尋ねる。雨竜の後を追い続けていた彼女は、一矢報いることができたのだろうか。
「それもゴメン、ちょっと足りなかった」
開口一番の謝罪、それが意味することは1つだろう。
残念ながら、今回も御園出雲は雨竜に勝つことができなかったようだ。
「でも、いつもよりは頑張れたと思う」
そう言って彼女は、自分が持っていた紙を僕に渡す。そこには予想通り雨竜と御園出雲の点数が教科ごとに書かれていたのだが、
「4点差!?」
最終的な総合点の差は4点しかなかった。正確には覚えてないが、定期考査における雨竜と御園出雲の点数差はだいたい15点以上離れていたように思う。それほどまでに雨竜の成績は圧倒的なのだ。
それなのに、今回はたった4点差。教科によっては御園出雲が勝利しているものもある。雨竜の点数が下がっているわけではないし、単純に御園出雲が頑張ったのだろう。
「いつもだったらよくて同点だったんだけど、今回は勝った科目もあって。負けは負けだけど、あんなに焦った青八木君を見たのは初めてだったかも」
「……そうか」
楽しそうに語る御園出雲を見て、僕の口元も緩む。総合で勝利することはできなかったとはいえ、ここまでの追い上げを見せたのだ。雨竜とて今後は彼女を意識せざるを得ないだろう。
「やったな」
「まあ総合順位は変わらないんだけどね」
「いいさ、雨竜が焦ってくれたんなら。これで蘭童殿たちにも負けてないんじゃないのか?」
「……そう、だといいけどね」
微妙に歯切れの悪い御園出雲。気持ちは分かる、結局のところあの朴念仁に何がヒットするかは分からないのだ。御園出雲の努力だって水泡に帰す可能性だってある。それを考えれば僕も随分無責任なことを言ってしまった、反省しなければ。
「あのさ」
「ん?」
試験の話が終わり姿勢を正すと、御園出雲が前髪を弄りながら僕を見た。
「期末試験も終わったし、改めてお礼を言おうと思って」
「お礼?」
「うん。試験を最後まで頑張れたのも、あなたがフォローしてくれたおかげだから。――――本当にありがとう」
彼女の穏やかな笑みを見て、ドキリとさせられる僕。こんな風に笑うんだなとガラにもなく焦ってしまった、怒った表情なら見慣れているんだが。
「お礼は嬉しいが、そもそも僕があそこまで言わなきゃ風邪を引いてなかったかもしれないからな。素直に受け取りづらい」
「逆よ、アレがなきゃ今までと変わらない成績で終わってた。そう言う意味では、私は風邪を引いて正解だったのかもしれないわね」
ふふっと口元に手を当てて笑う御園出雲。僕の失態がなかったことになるのは助かるが、微妙に調子狂うな。彼女はこんなに笑う女子だっただろうか。
「――――勉強、教えてあげよっか?」
唐突に、御園出雲はそう言った。上半身を突き出して、名案と言わんばかりの表情で。
「何故勉強?」
「言ったじゃない、お礼だって。私、勉強しか教えられるものないし」
「普通に嫌なんだが」
学校の勉強などびっくりするくらいそそられない。こんなものが卒業後に役立つと思えない以上、乗り気になれないのが本音だ。
「何? 満点取得者さまに私程度の教えはいらないって?」
「そうじゃない。根本的に勉強が嫌だ」
「……そんなんでよく青八木君に勝てたわね」
「そんなつもりで勉強してなかったし」
あくまでノートパソコンが欲しかっただけ。後は一応、堀本翔輝に絡んでた馬鹿共にぎゃふんと言わせたかっただけ。それ以外の意味はない。
「じゃあどうしよ、礼儀とかマナーとか? いい加減堂々と遅刻するの止めて欲しいし」
「あのな、別にお礼とかいいから。言葉でもらってるしそれで充分だ」
「でも」
「でもも戦争もない。だいたい礼儀ってなんだ、僕はお前の…………はっ!?」
そこまで言って、僕は重要すぎる議題を思い出した。
御園出雲が僕を小五だと思ってる説。弟たちに接するように話し掛けてきている説。勉強はともかく、礼儀やマナーを教えるなんて同級生にすることじゃないだろ。いや、僕にそれらが欠けているかどうかは一旦置いとくとして。
「御園出雲よ、この際1つ言っておきたいんだが」
「ど、どうぞ」
「僕はお前の弟じゃないからな!? そんな子どもっぽくないし同級生だ、それ相応に扱ってもらわんと困る!」
というわけで、僕はここに宣言した。僕の勘違いならそれでいい、大切なのは考え方の共有である。
「……」
御園出雲が面食らっているように見える、やはり僕を弟扱いしていたのか。許しがたい事実だが寛容で名高い僕、今後改めれば後に引かないと約束しようじゃないか。
「ふふっ」
腕を組んでほくそ笑んでいた僕に、ニヤニヤとした笑みを返す御園出雲。ど、どういうことだ。ここは反省して謝る場面じゃないのか。
「そうね、そんな風に思ってた時期があったことは認めるわ。それであなたが嫌な思いをしてたというなら謝らなければいけないでしょうね」
「うむ、立派な心掛けだ」
「でも、今はそんな風に思ってないわよ?」
「ん?」
謎の前置き。
そして僕は、自分と僕を交互に指差す彼女を見て、ニヤニヤしていた理由を理解する。
「だって私たち、友達なんでしょ?」
「なっ!」
伝聞のような言い回し。間違いない、マダムが僕の言ったことを伝えたんだ。
「まさかあなたがそんな風に思ってくれていたなんて、びっくりしたわ」
「ぐぬぬ……!」
ねっとりと僕の傷を舐めるような話し方、僕の顔が少しずつ熱くなっていく。そりゃ友達宣言したのは僕だけど、バラすのはさすがにひどくないマダム?
「友達なら勉強だって教えるし、礼儀がなってなければ注意だってする。普通のことよ?」
「そうだったのか……!」
礼儀やマナーって友達相手なら教えるものなのか、経験値が足りなすぎて知らなかった。
ま、まあいい。恥ずかしさなど一時の感情。彼女も僕を友達と認めたんだ、それが1番大事。カウンターなら今後仕掛けることにして、傷が浅い内に撤退するのだ。
だがしかし、僕が撤退を宣言するより、御園出雲の追撃の方が早かった。
「そういうわけだから。いつも以上にちょっかいかけても文句言わないでよね――――――雪矢」
「えっ――――」
聞き慣れない呼び名に僕は戸惑う。御園出雲の方も何だかくすぐったそうな表情を浮かべており、空気に堪えられなくなったのかすぐに補足した。
「と、友達だし! 名前で呼ぶなんて普通だし! いつまでもフルネームで呼ぶわけにはいかないでしょ!?」
「そ、そうなのか……」
何が普通か分からない僕からすれば、曖昧に頷くことしかできない。確かに彼女は友人たちを名前で呼んでいるように思う。
でも、男子は名字に君付けじゃなかったか。僕はフルネームで呼ばれていたけど。
「そういうことだから! 部活あるから私もう行く! また明日!」
しかしながら、僕に質問する時間は与えられることなく、御園出雲は自分のバックを持って立ち去ってしまった。
嵐が過ぎ去った後のような虚脱感に襲われ、ストンと吸い込まれるように自分の椅子に座る。
御園出雲の友達宣言に圧倒され、何も言い返せずに終わってしまった。
「そうか……」
静まり返った教室に部活の掛け声が響いてくる。夏の暑さに負けない高校生たちの声を聞きながら僕は思った。
「友達なら、名前で呼んでいいのか」
季節は夏真っ盛り、蝉の声と夏の日差しに悩まされるそんな日常。室内でクーラーに当たりながら過ごしたいそんな地獄の時期。
陽嶺高校は期末試験を終え、これからすぐ夏休みを迎えようとしていた。
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